僕のほそ道   ~ のん日記 ~

  
これと言ったテーマはなく、話はバラバラです。 つい昔の思い出話が多くなるのは年のせい? 

「不信のとき」のドラマと小説

2016年09月10日 | 読書

昨夕、ニュースを見ていたら、前橋市のホテル女性従業員への
強姦致傷容疑で逮捕された高畑裕太が「不起訴・釈放」となり、
警察署前の報道陣に向けて、大声を張り上げ、謝罪をしていた。

その謝罪ぶりは、文字通り「絶叫謝罪」で、
まるで高校野球の開会式の「選手宣誓」での、
「宣誓! 我々はァ、正々堂々と戦い!…」みたいな調子でもあり、
また、やけくそで、心にもない謝罪を怒鳴っているようにも見えた。

「謝罪」したあと、車に乗り込むまで、
周囲を睨みつける目つきで歩いていた。
(普通は、申し訳なさそうに歩くだろ)
状況に合わない、ふてぶてしい態度だった。

不起訴の理由は、被害者との示談が成立したとのことだが、
驚くほど多額の示談金を積んだのだろ…と思われるよね~

もっとも被害者側も、示談に応じなければ、これが裁判となり、
その間ずっと事件が蒸し返され、心の傷が癒えないかも知れない。

まあ、こういう筋書きになるだろうことは予想できたけど、
それにしても高畑裕太に反省の色は全く見えなかったなぁ。


さて、話はコロッと変わって「不信のとき」のことですが…

石田純一の都知事選がらみで放送中止になったこのドラマ、
先月の23日から、改めて第1話からの再放送がはじまり、
今週の水曜日に、全12話の放送が完了しました。

夫の石黒賢をめぐって、妻の米倉涼子と、
愛人の松下由樹の壮絶な女の争いがテーマだったが、
最後は、石黒賢が進行性の胃がんにかかり、亡くなる。
「夫に天罰が下ったのである」とのナレーションが流れた。

米倉涼子と松下由樹…2人の迫真の演技には惹かれました。

なぜか僕は映画もTVドラマも、こういう傾向のものが好きだ。
前回の「マディソン郡の橋」も、クリント・イーストウッドと、
人妻であるメリル・ストリーブの、まぁいわば、不倫の話である。
いや、あの~別に不倫じゃなくても、恋愛ものが好きなんです。
(…と、あわてて訂正!)

ドラマが終わり、余韻を楽しんでいるとき、
ふと「原作を読んでみようか」と思い立った。

原作は有吉佐和子さんだから、ハズレはないだろう。

僕は、有吉佐和子さんの著作では、
「華岡青洲の妻」
「恍惚の人」
「複合汚染」
という3作しか読んでいないが、
いずれも大学生の頃だったと思う。

で、「不信のとき」が書かれたのは1968(昭和43)年だから、
僕が19歳で、これも僕が大学生だった時の作品だ。
しかし、この小説については、全然知らなかった。

10代後半の頃は、長編小説でも、
2日で1冊を読みきるほど、
大の読書好きだったけれど、
ほとんど外国の小説ばかりだった。

さすがに学生時代は「不倫もの」に関心なかったわけで(笑)

そんなことで今回、ドラマに惹かれたので、
その「不信のとき」を読んでみようか…と、

図書館へ行ったけれど、見当たらなかった。

そこで、書店へ行ったら、新潮文庫の棚にあった。
それは、文庫本で上下2冊だった。案外長編なんだ。
値段は2冊で約1,200円。 文庫なのにいい値段だ。
どうしても読みたい本、というわけでもないし…

そこで、ブック・オフのほうへ行ったら、やはりあった。
上下2冊とも新刊書同様きれいな本だったので購入した。
1冊100円、2冊で消費税込みでも200円ちょっと。
ブック・オフは、ありがたい存在ですね。


 
 この文庫本2冊で合計800ページもある長編です。

昨日買ったばかりでまだ読んでいないが、
パラパラと拾い読みをしていると…
ひとつ、面白いことを発見した。

主人公の一人、愛人のほう…松下由樹が演じた役だが、
この女性の名前が、ドラマでは「野上路子」だった。
ところが本を読んで、驚いたことに、
原作ではこの女性の名前が…
米倉路子…だったのである。

ふつう、ドラマでも原作から名前を変える必要はないが、
妻の米倉涼子の敵となる愛人が「米倉路子」ではねぇ…
視聴者もズッコケるに違いない。
で「野上路子」にしたんでしょうね。

妙なところでひっかかってしまったけれど、
ぼちぼち、この長編小説を読み始めてみよう。

 

 

 

 

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うめ婆行状記

2016年03月27日 | 読書

今年1月から朝日新聞の夕刊に連載されていた
「うめ婆行状記」という小説が断然面白かった。

しかし、作者の宇江佐(うえざ)真理さんは、昨年11月、
乳がんで亡くなり、この「うめ婆」は遺作だったという。
調べると、宇江佐さんは49年生まれで僕と同じ歳だった。

僕は本を読み出すと一気に読み進めたいタイプだから、
少しずつ読まされる新聞の連載小説は、あまり好きではない。
ただし、過去にひとつだけ例外がある。
10年ほど前に読売新聞夕刊に連載された、
角田光代さんの「八日目の蝉」である。

たまたま第1回を読んでみたら、もう次回が気になる。
次を読むとその次が気になる。もう、気になって気になって…

半年以上にわたって続いたこの小説を、その期間、
連日、夢中になって読んだことを覚えている。

新聞連載小説にハマったのは、その時以来である。

しかもこの「うめ婆」は、紙面の半分を全部使うほどの大スペース。
つまり「短期集中連載」というやつで、1回分の読み応えもあった。


「うめ婆行状記」は江戸時代の話だが、
そのまま
現代に通じる物語でもあった。

主人公のおうめさんは、醤油問屋のお嬢さんとして生まれるが、
奉行所の同心という武家に嫁いで、いろいろ苦労をするけれど、
夫を亡くした後、家から飛び出して気ままな生活を楽しもうとする。

おうめさんは、シャキシャキしたきっぷの良い姉さん肌である。
で、念願の一人暮らしを始めたとたん、甥っ子の隠し子が判明し、
その甥っ子のためにひと肌脱ぐことを決意したり…。

そのほかにも、いろんな人たちとの付き合いや騒動に巻き込まれ、
「せっかく気ままな一人暮らしができたっていうのにねぇ」
と、うめは仲良しの義妹や隣の奥さんや息子の嫁らにこぼす。
それでも人の難儀は放っておけない性分で、身を乗り出す…
…というようなあらすじだ。話が生き生きとしている。

この小説では、登場人物の男たちは皆、ちょっと頼りない。
それにひきかえ、おうめさんやその他の女性は頼りになる。
現実離れした男たちと、現実を直視する女たち…とも言える。
縁の下の力持ち…という古いことわざを思い出させるように、
女の人たちの力が、庶民の人々の暮らしを支えていたことが、
この小説を読んでいると、しっかりと感じ取られるのだった。

また、おうめさんが「私は家長」だと威張る自分の息子や、
小うるさい夫の妹らに、これまでに溜まったうっぷんを、
思いっきりはらす場面などには、胸のすく思いがした。

それらの描かれ方が実に秀逸で、ついつい引き込まれ、
月曜日から金曜日までの夕刊が楽しみで仕方なかった。
(連載は毎週月曜日~金曜日)

ある時、どこを見ても「うめ婆」が載っていなかったので、
「ありゃぁ~」と大騒ぎしたが、考えてみたら土曜日だった。
日曜日は夕刊はないが、土曜日にはそんなことがよくあった。

そして連載が始まって2ヵ月余り経った今月の中旬。
おうめさんが病に倒れ、生死の境をさまよった末、
どうにか一命を取りとめて回復し、
さあ、これからどうなる…

と物語が佳境に入ったとき…

連載は終ってしまった。

「うめ婆行状記」の連載が始まるとき、
「この作品は作者の遺作です」と書かれてあったのを忘れていた。
毎回のタイトルの下にも「宇江佐真理遺作」と書かれているのに。

これで連載は終わり。つまり未完のままで終了である。
あぁ、惜しい。何とかならないのか…。
…って、なるわけ、ありませんわね。
著者が亡くなられているのですから。

亡くなられる直前まで、この小説を書かれていたわけだ。

話の展開から行くと、あと数回分で終るかもしれない…
…そんな雰囲気も感じさせていたのだけれど。

まことに、残念でなりません。

 

 

 

新聞は切り取って残していますけど、
今回、単行本が出たそうなので、それでも買いますか…。

でも、本でもやはり未完のままです。当たり前ですけど。

 

 

 

 

 

 

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「すべてがFになる」 と 「紙の月」

2014年11月04日 | 読書

昨日、家族で大型スーパーへ行ったついでに、そこに入っている書店に寄って、前回書いたドラマと原作に関して気になっていた「すべてがFになる」の文庫本を手に取り、パラパラとめくってみました。


コメントをくださったジンさんはドラマが始まる前に「Nのために」の原作を読んでおられたとのことで、始まってから読んだ僕よりかなり進んでいらっしゃいます。もうお1人のちひろさんは「すべてがFになる」の原作を以前に読まれていたとのことで、皆さんいろいろと読んでおられますね~(見習わなければ)。「すべてがF…」に関して、ちひろさんからこんなことを教えてもらいました。


この「すべてがFになる」のドラマでは、第2話で早くも事件が完結してしまったので、なんのこっちゃ…と思っていたのですが、あの話は「すべてがFになる」が原作ではなく、同じ著者(森博嗣)の別の作品「冷たい密室と博士たち」という話だったとのこと。主人公の男女は一緒だけど、そのシリーズの別の作品が第2話まで放映されたというわけで、このあともドラマは2話完結が続くようです。どれが“本物”の「すべてがFになる」の原作ドラマなのかは、本を読んでみないとわかりませんね。


そこで、書店でこの本をパラパラめくりながら考えたのですが、ちひろさんもこの本はすごく難しかったと書いておられたしなぁ、難しいのは苦手だし…。買おうかなぁ、どうしようかなぁ…とグズグズ迷いました。


そこで本から目を離して本棚を見ると、その上のほうに「文庫本・売り上げベスト5」というのが列記されていました。見てみると…


1位「Nのために」(湊かなえ)
2位「紙の月」(角田光代)
3位「マスカレード・イブ」(東野圭吾)
4位「マスカレード・ホテル」(東野圭吾)
5位「世界から猫が消えたなら」(川村元気)


となっていました。


う~む、やはり湊かなえさんの「Nのために」が第1位かぁ…。東野圭吾さんの人気も相変わらずだけど、僕は2位に入っていた「紙の月」に興味を持ちました。作者の角田光代さんが好きなのです。彼女の「八日目の蝉」は、読売新聞の夕刊で連載が始まった時から夢中で読み、職場に夕刊が配達されてくるのを心待ちにしたものでした。その後、TVドラマ化され、主演の檀れいがまた魅力的ですっかりハマってしまいました(この映画のほうはイマイチでしたけど…)。


「紙の月」は、その角田光代さんの小説で、本の表紙は宮沢りえのアップ。下のほうに「話題作ついに映画化! 11月15日(土)全国公開」とあった。そういえば、TVでも宮沢りえが映画の宣伝をしていたなぁ。りえちゃんはママが亡くなったばかりで(65歳←僕と同い年)、寂しかったと思いますが、話題作に恵まれてよかったですね。


結局「紙の月」を買った。「すべてがF…」よりは難しくなさそうだし…

 

    


「紙の月」は今年1月にNHKでドラマ化されたそうだが、僕は見ていない…というより、当時、そんなドラマがあることに気がつかなかった。ドラマには関心の高い妻は、僕がそのことを話すと「あ、それ、見たわ」と言ったけれど、題名が「紙の月」だったことはすっかり忘れちゃってた…みたいでした。


久しぶりに角田光代さんの本が読めるのも楽しみである。
今日の午後、コスパから帰ったら読み始めることにしよう。


ちなみに今日午後9時から放映される「すべてがFになる」第3回は、『呪われた仏画師一族 家宝が眠る密室の殺人』というタイトルです。どうやらこれも、原作の「F」とは違うような感じがしますね。原作も読んでいないのに、いい加減なこと言いますけど(笑)。

 


 

以前のブログで角田光代さんの「八日目の蝉」についてふれたのがあります。

 http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/0f8d33b690e0888af15f261b7c4702c3

 

 

 

 

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N のために

2014年10月30日 | 読書

今月から新しく始まった連続ドラマで「Nのために」というのがある。別の日に「すべてがFになる」というドラマも始まった。いずれも第2話まで放映されたが、2つともミステリーで、何となく面白そうなので録画して見ている。でも題名がNやらFやらで、まぎらわしい。「すべてがFのために」なんて具合に、頭の中で2つがごちゃごちゃになる。ま、エラリー・クイーンの「Yの悲劇」や「Wの悲劇」みたいなタイトルなんだけど、それよりは覚えにくいなぁ。


コスパのプールには中高年の女性が多く、テレビドラマの話もよく出るが、先日この話題が出た。1人の女性が「Nのために」はストーリーが難しくて、よくわからないので、見るのをやめた。「すべてはFになる」のほうが面白いので連ドラ予約して見ている…。ということだった。ちなみに、連ドラ予約とはドラマの最終回まで撮っておける機能で、便利な世の中になったものです。(わが家のテレビにはついていませんけど…)


「Nのために」はいきなり殺人事件現場のシーンから始まって、思わず引き込まれる。しかし話が現在の2014年だったり、それから10年前にさかのぼったり(殺人事件があったのは10年前)、さらにその4年前の出来事も描写されたりするので、物覚えの悪い僕などは頭が混乱する。おまけにドラマを見慣れていないので俳優の顔もほとんど知らないし…。ストーリーがよく飲み込めないまま見ている。でも、これからどうなるのか気になるので、プールの女性のように見るのをやめるっていうのもなぁ…というわけで、第2話まで見た。あらすじは…


第1話 http://www.tbs.co.jp/Nnotameni/story/vol1.html
第2話 http://www.tbs.co.jp/Nnotameni/story/vol2.html


…で、明日の金曜日午後10時から第3話が放映されます。


でも、やはり僕には難しい。そこで、原作を読むことにした。著者は最近の売れっ子作家・湊かなえだ。「告白」という、松たか子が主演した映画の原作になった本を読んだことがある。それは期待したほどではなかったけれど、とにかく原作を読んでみたら、複雑なストーリーも人間関係もわかるだろ。(ついでに結末もわかっちゃいますけど、ま、それもやむを得ないか)

 

   


ということで、この8月に出たばかりの文庫本を買い、昨日読み終えたところである。感想をひとことで言うと「とても興味深く読んだけれど、やっぱりむずかしい」ということ。小説の構成も、あの「告白」もそうだったが、ひとつの事件を何人かの登場人物に語らせるというふうになっているので、こちらもドラマ同様、僕が苦手な「立体的な思考力」が求められる。ちなみに、本の裏表紙に書かれている文章は…


超高層マンション「スカイローズガーデン」の一室で、そこに住む野口夫妻の変死体が発見された。現場に居合わせたのは、20代の4人の男女。それぞれの証言は驚くべき真実を明らかにしていく。なぜ夫妻は死んだのか? それぞれが思いを寄せるNとは誰なのか? 切なさに満ちた、著者初の純愛ミステリー。


というものだ。小説を読み終えてからこの文章を読んだ。ふ~む、これは「純愛ミステリー」だったのか。つまり「純愛」というところに物語のカギがあったのか…。僕はテレビドラマ鑑賞の手引きとして「謎解き」の観点だけからこの本を読んだので、そこまで頭が回らなかった(頼りない頭だ)。


とは言っても、いちおう原作を最後まで読んだのだからおよその話の展開はわかった。ただ、原作とドラマがまったく一緒ということはなく、当然、ドラマオリジナルも盛り込まれる。たとえばドラマには、10年前の事件を、退職してからも追い続ける元巡査の三浦友和が出てくるが、原作にはこの人物は出てこない。これは原作自体が難解なので、話をわかりやすくするために登場させたものだろう。それでも、テレビではわからなかったことが、本を読むとよくわかった。おかげで、このあと、ドラマがどう進むのかを楽しめる余裕は出てきた。


この「Nのために」という題名は、ご承知の方も多いと思うが、殺された夫妻も含めて6人の登場人物全ての氏名に「N」がつくことからきている。死んだ野口貴弘(大手総合商社課長で資産家)とその妻・奈央子、血まみれの燭台を手にした西崎真人(彼が犯人とされている)、その場に居合わせた杉下希美(のぞみ→女)と安藤望(のぞみ→男)と成瀬慎司。6人全員にNがつく。


この6人の、お互いの関係が入り混じって、前述の裏表紙の「それぞれが思いを寄せるNとは誰なのか?」という文章に繋がっていくというわけだが、それをじっくり理解するためにも、今後のドラマの展開が楽しみだ。場合によっては、この本をもう一度読み返すかも知れないけれど。


ところで、Nといえば…僕の名前のイニシャルもNである。
それがどうかしたの…? と言われると…
いえ、どうもしませ~ん。

ともあれ、明日夜10時からの第3話が楽しみです。
 

 

 

 


 

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「色彩を持たない…」を読み終えて

2013年05月30日 | 読書

「大学二年生の七月から、翌年の一月にかけて、多崎つくるはほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた。」


村上春樹の小説『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』は、そんな書き出しではじまる。なぜ、ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきたのか…という理由が、この物語の柱になり、多崎つくるの魂の遍歴ともいうべきものが次第に明らかにされていく。


ストーリーとしては村上作品の、たとえば前作の「1Q84」などのように奇抜で非日常的なものではなく、ごく普通の話である。その点は、特に村上ファンではなくても入りやすい小説のように思われる。ただし、謎は多い。その謎は、決して最後まで明かされないのはやはりハルキさんらしい。読みながら、なんとなく、1992年に出た「国境の南、太陽の西」に似ているような印象も受けた。


高校時代(場所は名古屋)、つくるには4人の親友がいた。彼を含めた5人の仲間は、男3人女2人で、常に心はひとつ…というほど仲がよかった。たまたま4人の親友の姓が赤松、青海、白根、黒埜と、みんな色がついており、それぞれ「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というあだ名で呼ばれていたが、つくるの姓だけが色を持っていなかった。「色彩を持たない…」というタイトルは、まずここからはじまり、この小説の深いテーマへとつながっていく。


高校を卒業し、5人はそれぞれの道を歩むが、つくる一人だけが東京の大学に進む。他の4人は名古屋に留まり、地元の大学へ通うようになる。そしてつくるが大学二年生の夏休みに「それ」が起きた。いつものように、名古屋に帰省して4人の家に電話をかけたところ、いずれも家族が出て「今、不在です」との返事で、本人は出ない。不審に思ってしつこく電話をかけ続け、やっと「アオ」と連絡が取れた。しかし「アオ」に「もう誰のところにも電話をかけてもらいたくないんだ」と意外なことを言われ、「理由は?」とつくるが問うと「自分に聞いてみることだ」と電話を切られたのである。身に覚えのないことで絶交を宣告される…。そのことで激しいショックを受け、つくるは生きる気力を失い、冒頭の「ほとんど死ぬことだけを考えて生きてきた」ということになった。


物語では、36歳になったつくるが、今も16年前に起きたそのことを心の中に抱えながら、とめどなく自己内省を繰り返す様子が描かれる。そして、付き合っている女性が、「あなたは今も4人のことが背中に張り付いている。心に根の深い問題を抱えているあなたとは…」これ以上の関係は続けられない…と伝えるとともに、つくるに「4人の実名を教えてほしい」と言う。「この人たちが今、どこで何をしているか私が調べるから、その人たちに会って、なぜ自分をグループから追放したのか、その理由を聞くべきよ」と彼女は言うのである。


…そんな経緯をたどり、インターネットの他あらゆる手段を尽くして「調査」した彼女のおかげで、4人の現況を知ったつくるは、みんなと会うことを決意する。ただし4人のうち一人は…あ、それは言わないでおきます。


つくるは、最初に会ったアオから、絶交宣言の理由を聞かされて愕然とする(むろんそれが何かも、言えませんが…)。そして最後に、4人のうちの1人クロ(女性)がフィンランド人と結婚してヘルシンキ郊外で暮らしていることから、つくるの巡礼の旅はフィンランドまで続く…


…と、あまり詳しく書くと、これから読まれる方の楽しみを奪ってしまいそうなので、まだ他にも重要な人物が出てきたり、「巡礼の年」という曲のことが出てきたりするのですが、この辺でとどめます(もうかなり詳しく書いてるで~)


この小説を読み終えたとき、改めて、人間とはなんと傷つきやすい生きものだろうか…というため息まじりの感慨がこみ上げてきた。僕なんかも、60余年の人生で、どれだけ人を傷つけてきただろう、あるいは、傷ついてきただろうか…と思うと、ため息だけでは済まないような、胸騒ぎみたいなものをおぼえた。


僕自身、大学1年から2年にかけての頃、楽曲関係の同好会に所属し、仲のいい男女の友だちができ、そこで舞い上がるような時間を過ごしたあげく、何かの拍子に先輩を批判してしまい、それが元で同好会を追放された経験がある。まぁ、この場合は小説とは違って僕に非があったのだが、その時の脱力感といえば、それこそ死んでしまいたいほど辛くて悲しいことだった。その翌年、二十歳の時に、野宿中心の数ヶ月間の北海道への自転車放浪旅行に出たのも、この本の表現を借りれば、意味は少し異なるが、僕の「巡礼」の旅だったのかも知れない。


また一方では…この小説は、翻訳調のような言い回しが延々と続いたり、結末について不満が残ったりと、読んでいて不完全燃焼が起きる向きもあるかも知れないが、やはりいろいろなことを感じ、考えさせられる作品ではある。


読み終えたあと、内省…という言葉が浮かんだ。この小説は、主人公の内省描写がとても多い。内省→深く自己をかえりみること(と辞書にあります)。近ごろ自分について深く考えることも少なくなりましたが、僕も、もともと内省的な傾向が強く、いろいろ考えた末でも、あ~でもない、こ~でもないといつまでも思い悩んだり、人間関係での喪失感をず~っと引きずったり…ということが多くありました(今でも、ないわけではありませんが…)。それが極限に達した時、どうなるか…というのも、この小説のポイントのひとつかも知れませんね。


読書による体験は、自分の実体験と重ね合わせながら、いろいろと思いを巡らすところに醍醐味があるのだと思いますが、僕の場合、この小説は、自分の過去のいくつかの辛い思い出を呼び起こすものでもありました。でも、それも貴重で濃密な読書体験のひとつなんだろうなと思います。

 

 

 

 

 

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「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」

2013年05月28日 | 読書

日曜日に家族で阿倍野へ出かけた。
僕たちが住んでいる町は、近鉄南大阪線という沿線にあり、
駅から準急に乗れば、15分足らずで終点の阿倍野の駅に着く。


そこは今、高さ300m日本一の高層複合ビル「あべのハルカス」が来年春のグランドオープンを控え、またずっと改装中だった近鉄百貨店も、これも日本一の売り場面積を持つ百貨店として6月13日にオープンの予定で、新しい街の「あべの」はすっかり様相が変わり、大変な賑わいを見せ始めている。モミィもあべのハルカスのオープンを楽しみにし、テレビのニュースで「アベノミクス」という言葉を聞くたびに、「あっ、アベノハルカスかと思ったわぁ。アハハ~」と意味もわからず笑うのである(なんのこっちゃ)。


その日は、阿倍野のMIOで昼食をとったあと、1階下にある旭屋書店に寄ってみた。モミィは妻と児童書のコーナーへ行ったので、僕は何を探すということもなしに、店内をぶらついた。そこで、村上春樹の新作長編「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が並んでいるのが目についたのである。


4月15日のブログで、この本について書いた。発売前から予約が殺到していたということだけど、僕は予約するほどは急がない…と書き、


「ぶら~っと本屋に入って、この『色彩を持たない…』を本棚で見つけ『あ、そうだ。この本をまだ読んでいなかったんだ』と気づいた時の喜びもまた捨てがたい」と書いたものだった。そして、期待どおりのことが、この日の書店内で実現した。本の背表紙が目に飛び込んでから、ニィっと顔がほころび、手を伸ばしてその1冊を引っ張り出し、レジに向かって歩き出すまで、2秒とかからなかったに違いない(笑)。


でもその日は、帰宅しても本を開かなかった。実はその朝、3時半に起きて、4時過ぎから大和川堤防に出て、15キロを走った。陽が昇ってくる前の薄暗くて涼しいうちに走っておきたかったのでそうしたのであるが、久しぶりの距離を走って足が疲れていた上に、アベノのあちらこちらを歩き回ったものだから、帰宅した時はもうヘトヘトになっていた。


そして昨日。ジムの水泳から帰ったあと、昼食を終え、ワクワクする気持ちを抑えながら、その本の最初のページを開けたのである。むろん、そのままずっと読み続けたいのだけれど、何かと雑用があり、そういうわけにもいかなくて…。


夕方には、モミィを月曜日恒例のECC英語教室に連れて行った。いつもは廊下に用意されている椅子に腰掛けて、ガラス越しに授業風景を見学するのだが、昨日は、いつもどおり廊下の椅子に座ったものの、時々チラッと顔を上げて授業を眺める程度で、実は膝の上にその本を置き、そ~っと続きを読んだのである。何だかカンニングをしているような後ろめたさを感じながら(笑)。


そんなことだから、夜の9時に、モミィが「グッナ~イ」と手を振って妻と寝室へ入って行くと、僕は急いで自分の部屋へ入り、落ち着いて、心ゆくまでこの小説を味わうことができた。本は全部で370ページ。そのうち、300ページまで一気に読んだ。一眠りして今朝、5時前に目が覚めた。続きを読もうと思ったけれど、そうそう、ブログも更新しなくっちゃ、と思って、今これを書いているところです。


「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」については、また感想文を書きたいと思います。今日中に読める(はずの)残り70ページが大いに楽しみです。


では~


 

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村上春樹について語るときに僕の語ること

2013年04月15日 | 読書

村上春樹の久しぶりの長編小説「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」が出た。例の如く発売前から話題となり予約注文が殺到するという、前回の長編小説「1Q84」と同じ現象が、今回も起きているようだ。


この「1Q84」のBOOK1からBOOK3まで出たときもそうだったが、僕がこれを読んだのは、BOOK3の発売後1年ほど経ってからである。村上春樹の新作ならぜひ読みたいという気持ちはむろんあるが、発売前から予約するほどは急がない。まだ読んでいない村上さんの短編やエッセイなども沢山あるし、既読の作品のいくつかも読み直してみたい。焦ることはない。ぶら~っと本屋に入って、この「色彩を持たない…」を本棚で見つけ「あ、そうだ。この本をまだ読んでいなかったんだ」と気づいた時の喜びも、捨てがたいものなのだ。


それにしても「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」とは、長いタイトルだ。もっとも、村上さんも長編小説を出すたびにこれだけ騒がれるのだから、凡作であってはならないのはむろんのことだが、発売されるまでタイトル以外ストーリーはいっさい明かさないので、ファンにとって作品の唯一の手がかりとなるタイトルにはすごくこだわっているはずである。「1Q84」も意表をつく題名で、ナンなのだ?と興味を引きつける。今回の長い題名も、そうだよね。


この題名を見て、僕は以前に読んだ村上さんのマラソンについて書かれた本、「走ることについて語るときに僕の語ること」という長いタイトルを思い起こさせた。まあ、今回も、いかにも村上さんらしいタイトルだと思う。


その「色彩を持たない…」について、昨日の朝日新聞の読書欄に、けっこう詳しくストーリーや解説が盛り込まれた書評が載っていたので、丁寧に読んでみた。村上さんの作品の魅力は筋書きや評論だけでは到底わからないのだけれど、この書評にはなんとなく「匂う」ところはあった。


「色彩を持たない」という意味は、主人公の多崎つくるクンが高校生の頃、男女2人ずつの親友がいて、その4人は姓に色が入っており、それぞれ「アカ」「アオ」「シロ」「クロ」というあだ名で呼ばれていたが、多崎クンの姓だけが色を持っていなかった…というところから来ているそうだ。


そして多崎クンは20歳になる頃、その親友の4人から突然、身に覚えもない絶縁を宣告され、死にたいほどのショックを受ける。その絶縁の真相を確かめるために、彼の「巡礼」の旅が始まる…というストーリーのようである。


「巡礼」は最後にはフィンランドの片田舎へ向かうということだが、そういえば「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」でも、「博士」がフィンランドに行っちゃうシーンがあったなぁ、なんてことをふと思ったりした。しかし「文章は平易だが物語が難解」と言われるように、一筋縄ではいかないのが村上さんの小説である。やはり新聞でこういう解説を読むと、「そこにどんな謎が隠されているのか…? う~ん、早く読みたい」とも思ったりしますね。


で、ここからは蛇足ですが、村上さんに関することで、書こう書こうと思っていたことがひとつあります。3年ぐらい前に映画化された「ノルウェイの森」のことですが…


「ノルウェイの森」が映画になると聞いたとき、この小説を映画にするというのは、どう転んでも無理ではないかと思った。だから映画化されたあとも、見ないままに来たのだけれど、去年の大晦日にBSでそれが放映された。見ても失望するだけだろう…と思いながらも、やはり気になったので、とりあえず録画だけしておいた。そして録画して3ヵ月ほど経った先日、その映画を見たのである。


予想どおり、何の見どころもないつまらない映画だった。まさにヤマなしオチなしイミなし…であった。映画が始まる前、字幕で「過激な表現がありますが、原作を尊重し、そのままで放映します」みたいなことが出ていたが、ほんとに、登場人物が発する卑猥な言葉がこの映画の中心を成すように見えた。俳優では、松山ケンイチは少し甘えん坊っぽい演技が気になったが、さほど悪くはなかった。しかし直子を演じた菊地凛子が不適役で、小説に登場するイメージのカケラもなかった。もう少しそれらしき直子を演じられる女優はいなかったのだろうか。


映画自体も小説の断片を寄せ集めたような構成で、原作を読んでいない人にはさっぱりワケがわからない映画だっただろうし、原作を読んでいる人には、何か小説のダイジェストを映像で見せられているようで、これが映画としてどんな感動を呼び起こすのか…? 戸惑うばかりだったのではないか。


しかしまあ、考えてみれば、映画の出来としてはこれが精一杯だったのかもしれない。元々、映画化するのは無謀だったのだから。…今ごろ3年前の映画についてとやかく言うのもナンですけどね。


蛇足のそのまた蛇足 


2009年(平成21年)6月17日のこのブログで「ノルウェイの森」を再読した感想文を書いているが、そこで少しだけこれの映画化について触れている。ちょうど映画化されることが決まった時期で、「あの物語がどんな映画になるのだろうか…。見当もつかない」と書いている。しかしまあ、これは少し控えめな表現であって、実は「どうせロクな映画にしかならないだろ」と思いながらも、遠慮してそう書いたような記憶が残っているのでありマス。

 

http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/f7a82871ded923c5e691f3d4815ab1d1

 

 

 

 

 

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村上春樹と脳減る賞

2012年10月22日 | 読書

「村上春樹は不滅です」という10月12日のブログに、
「青豆さん」という方からコメントをいただきました。

「青豆」という名前は、そのブログにも書きましたが、村上春樹の長編小説、
「1Q84」に登場してくる女主人公で、陰の姿は 「女必殺仕置人」 です。

読むものを魅了せずにはいられない30歳の女性…青豆。
珍しい苗字なのでそれが彼女の悩みの種だったりします。

コメントをくださった「青豆さん」は、女性か男性か存じませんが、
村上春樹を検索してこのブログにたどり着いた、とのことでした。

「全くの初心者です。最初に読む村上作品は何が良いでしょうか?
 お勧めがあったら教えて下さい」

そう、コメントに書いてこられました。

先ほど、一応の返事はしましたが、 どうも自分でも物足りないと思ったので、
続きを、今日のこのブログで書くことにしました。

そんなことで、村上春樹の何から読み始めるか…? ということですが、
原則的には、言わずと知れたことで、何から読んでもいいわけですよね。

読書に 「こうあるべきだ」 というものはありません。
あくまでも自分流に、融通無碍に読めばいいと思っています。

それでも、村上春樹の何から読めば良いでしょうか…?
…と質問されたら、やはり黙っているわけにはいきませんよね。

貧弱な読書遍歴ですけれど、何かのきっかけになることが書けたら…
と思って、頭に浮かぶまま、少し書いてみることにしました。

何度も言いますが、村上さんと僕は、誕生日が3日違いで同い年。

生まれた場所が彼も僕も、京都市内で、これも同じ。

兄弟姉妹が全くいない一人っ子…というのも同じ。

血液型がA型で、またこれも同じ。
村上さんは 「山羊座・A型の呪われた血…」
な~んてどこかで書いていましたけれど、
そんなことはない…と思いたいですよね。

村上さんは早稲田大学在学中に学生結婚をした。
僕も同じく学生結婚だけど、今の妻と知り合ったのは、
早稲田大学ではないが、ワセダ速記学校というところだった。
(ワセダという名前だけは一緒なんだよ~ん)

村上さんも僕もマラソン大会を走る市民ランナーだったけど、
村上さんが初の海外マラソンを走ったのが34歳の時で、
僕が初めて海外のマラソンを走ったのも34歳の時だった。

…とまあ、僕と村上さんは類似点がとても多いのだけれど、
肝心の 「才能」 だけが、天と地ほどの大きな差がある。 

これが致命的なんですよね。 ぐすん

さて、僕は村上春樹を早い時期から読んでいたわけではありません。

その当時、すでに「ノルウェイの森」なども刊行されていましたが、
初めて読んだのは、「風の歌を聴け」という小説でした。

とりあえず僕は村上さんのこのデビュー作から読もうと思ったわけです。

まあ、わりに一般的な入り方ですよね。

続いて「1973年のピンボール」「羊をめぐる冒険」「ダンス・ダンス・ダンス」
と読み進めるのが、村上春樹に無駄なく接触するための常套手段ではないかと、
まあ、僕は思っているのですが、この4つの作品はいろいろな形でつながり合い、
その作品群を通過すれば、村上作品とより深く付き合えるコツがつかめそうですね。

その次に「ノルウェイの森」などへ行かれると、味わいもいっそう良くなるかと…

いちおうそういう遍歴を経てから、
「国境の南、太陽の西」(僕は特にこの小説が大好きですが…)や、
「世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド」 「ねじまき鳥クロニクル」
「海辺のカフカ」 などを読まれるのも、ひとつの方法ですよね。

しかし、やはりなんといっても 「1Q84」 は、すごい迫力です。
読むのにかなりの体力と気力を要しますが、一番のお勧めです。

いきなりこういう作品から入って衝撃を受けるのもいいかも知れません。

それと、僕は村上さんのエッセイも大好きです。

「村上朝日堂」 シリーズや 「村上ラヂオ」 など数多くのエッセイ、
それと読者とのネットでのやりとりを載せた「そうだ村上さんに聞いてみよう」
…などは、心をウキウキさせ、ついのめり込んでしまいます。
もちろん、笑いのエッセンスも満載です。

また 「走ることについて語るときに僕の語ること」 は、
ランニングをする僕などには、とても楽しく読めました。
(これはdoiron クンに借りて読んだ本だっけ)

また、「回文」を駆使した 「またたび浴びたタマ」 を読むと、
ほんと、村上さん言葉を扱う天才だなぁ…と感心しますね~

いろんな分野で楽しませてくれ、僕の人生に役立ってくれています。

…と、書けばキリがありませんが、以上、簡単にまとめてみました。

最後に、例のノーベル文学賞についてですけれど、
先日の僕のブログで、小説「1Q84」の中にあった、

「精神の鋭利さが心地よい環境から生まれることはない」

という文章を引用して、村上さんがもしノーベル賞を受けたら、
万が一…ひょっとして…心ならずも 「心地よく」 なってしまい、
それこそ「精神の鋭利さ」が磨り減ってしまったら、困りますよね…
と、書きました。 

それから後、何の本だったか忘れましたが、以前、村上さんが、
ノーベル賞のことを 「脳減る賞」 と書かれていたのを思い出しました。

やっぱりねぇ。
村上さんもよくわかっていらっしゃる。

ノーベル賞の受賞は、ある意味で「脳減る賞」になっちゃったりするんだ。

青豆さん。
そ~ゆ~ことで、「私流村上春樹の読み方」 でした。 
少しでもご参考にしていただければ嬉しいのですが… 

今週は、まだ読んでいなかった 「スプートニクの恋人」 を読もうと思っています。

ではね~

 

 

 


 

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村上春樹は不滅です

2012年10月12日 | 読書

村上春樹氏ノーベル賞ならず…

昨夜のテレビやネットから今日の朝刊まで、
このニュースが大きく取り上げられていた。

日本時間の昨日の午後8時に発表されるはずだった。

ノーベル文学賞有力候補の村上春樹さんが栄誉に輝くかどうか…

僕もそれが気になっていたので、ずっとNHKテレビをかけていた。
午後8時、番組中にピポピポ~ンと速報音が入り画面上に字が…
「村上春樹さん、ノーベル文学賞受賞!」…と。

…そんな期待も、8時を過ぎると、とたんにしぼんでしまった。
速報が出なかったということは、受賞を逃したということだろう。

9時前のNHKニュースでそれを確認し、9時からのニュースで、
「今年こそと願っていたのに残念です」という沢山のファンの声を聞いた。

まぁ、負け惜しみではないが、まだまだチャンスはいくらでもあるし、
ノーベル賞を受けようと受けまいと、作品の価値が変わるわけでもない。

村上春樹氏も、性格的に、こういう名誉を欲する人ではない。
だから、それでどうということはないのであるが、
世間があまりに騒ぐものだから、村上さんも、
「やれやれ…」 という心境であろう。

村上さんの「1Q84」も、とても味わい深い小説である。

「青豆」という変わった苗字の女性と、
「天吾」という小説家をめざす男性が、
交互に登場しながら話が展開するのだが、
その小説の中で、こんな言葉が出てくる。

「精神の鋭利さが心地よい環境から生まれることはない」

主人公の天吾が、ある人物を評してこう表現するのだが、
村上さん自身、今回ノーベル賞など受賞してしまったら、
万が一…ひょっとして…心ならずも 「心地よく」 なって、
精神の鋭利さに翳りが出たら、ファンも困るだろうしね。

受賞を見送られて、むしろよかったのかも知れない。

 …………………………………………………………………

さて、ここからは蛇足ですが…

ご承知のとおり、日本人で初めてノーベル賞を受賞したのは、
1949年(昭和24年)の湯川秀樹氏で、物理学賞だった。
僕が生まれた年だったので、何となく縁を感じていた。

学生の頃、湯川秀樹の「旅人・ある物理学者の回想」という本を読み、
それまでイメージしていた堅苦しい学者先生という思いが取り払われ、
ちょっと内向的でもあり、魅力に富んだその人柄に一気に惹かれた。

そんなこともあって…

大学4年の時、就職活動のため提出した履歴書の
「尊敬する人物」 
の欄のところに、「湯川秀樹と桂米朝」
…と書いたら、担当の教授が、

「キミの好みはいったい何やねん」と首をひねりながら笑った。
(僕は当時全盛期の落語家・桂米朝も大好きだったので…)

でも、湯川秀樹を尊敬する気持ちには偽りはなかった。
その後結婚して出来た長男に、ヒデキと名づけた。

それが、まあ、今のモミィのパパですけど。

ちなみに、次男はナオキと名づけた。
ヒデキ…そしてナオキ。

もし次に3人目の男児が生まれていたとしたら…

たぶん 「ハルキ」 という名前をつけていたと思いますね。 

 

 

 

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「ノルウェイの森」 異聞

2012年10月10日 | 読書

きょう、10月10日はかつて「体育の日」だったが、
今はなんと、「お好み焼きの日」、だという。
今朝のNHKニュースで言っていた。
10月10日で、ジュウジュウ…
だからお好み焼きの日、なんだって。 ほんまかいな?


          


「ノルウェイの森」 といえばおなじみビートルズの曲だけれど、

今の日本人なら、村上春樹の小説をまず思い浮かべるだろう。

もちろん、この小説の題名もビートルズの曲からとったものである。

小説の冒頭。
1987年、ドイツのハンブルグ空港に着陸直後の飛行機の中で、
ビートルズの 「ノルウェイの森」 が流れてくる。
主人公は、その曲を耳にすると、頭を抱えこみ、朦朧となる。
曲は、18年前の出来事とつながっており、その回想が、
この長編小説の物語を構成している…

さて、村上春樹は、いつか書いたことがあるけれど、
生年月日が僕と3日しか違わない同い年で、血液型も同じA型、
京都生まれ、学生結婚、海外のフルマラソンを走ったのが34歳の時…
なども同じで、またこの10年間で最も多くの作品を読んだ作家でもある。

その村上春樹が、去る9月28日の朝日新聞の第1面に、
デカデカと顔写真が載り、大きな見出しが躍っていた。

朝、郵便受けから取り出した新聞を、玄関に入りながらチラッと眺めたら、
「村上春樹さん…」 と、白抜きの大見出しが目に飛び込んできたわけだ。

それを見て「ゲェッ!」と声を上げ、その場で動けなくなった。
なぜかというと、村上春樹が亡くなったのかと思ったからだ。

だって、1面に顔写真入りで「村上春樹さん…」とあれば、
たいてい、亡くなったという記事だと思いませんか…?

ところが、見出しを最後まで見てみると、
「村上春樹さん寄稿」だった。

領土問題から悪化した日中関係を憂える文章を、
村上春樹が朝日新聞に寄稿したという見出しだ。
3面に、その全文が掲載されていた。
な~んだ、それは?

 

  

 

なんで1面に、こんな大仰な見出しと顔写真を載せたのか…?
え~っ? 村上春樹が死んだのかぁ! と思ってしまうよね。
(思わん、思わん…という声も聞こえてきそうですが…)

でももし、それが今日の朝刊だったら、話はまた変わってくる。

1面にデカデカと「村上春樹さん…」と大きな見出しが出たら、
それはもう「ノーベル文学賞受賞!」の記事だと思うでしょうね。

京大の教授がノーベル医学生理学賞を受賞して話題になっているが、
明日に発表されるノーベル文学賞は、村上春樹が有力な候補である。

明後日の新聞に、再び大見出しと顔写真が載ることがあるのだろうか。

もし受賞すれば、対象となった代表的作品は「ノルウェイの森」だろうね。

ところで御本家ビートルズの「ノルウェイの森」のほうは、
とても静かな曲であり、「ミッシェル」などと旋律がよく似ている。

こういう曲はビートルズの中でも特に好きというほどではなかったが、
年を取るにつれて、いいなぁ…と思い始めてきた。
同じ音楽を聴いても、年齢とともに印象が変わる。

このビートルズの「ノルウェイの森」で面白い逸話を聞いた。

原題の「Norwegian Wood」は、「ノルウェイの森」ではなく、
「ノルウェイの木」と訳すべきだという説が今でも根強いという。
「森」であるならば、定冠詞をつけて「the wood」とすべきだが、
ただの「wood」だから「木」あるいは「木材」と訳すのが正しいというのだ。

つまり「ノルウェイの木」あるいは、「ノルウェイの木材」ですよね。

こうした説を主張する人たちによると、この曲の中身は、
「ノルウェイの木材でできた家具のある部屋」でのお話だそうで、
だから「森」より「木または木材」のほうが歌とマッチする…と言う。

ふ~む。よくわからないけど。

その昔、ジョン・レノンは、「Norwegian Wood」について、
「なんでこういう題をつけたのか忘れた」と言ったそうだ。

一方、これを小説のタイトルに使った村上春樹は、
「木」 「木材」 という説にはまるで耳を貸さない。

「ノルウェイの森はノルウェイの森なんだから、仕方ないじゃないか」
と言っているとか。

さらに、こんな言葉を続けたという。

「そんなことをいちいち気にするのは、木を見て森を見ず…だ」 と。

さすがの村上さんである。

ノーベル文学賞を、ぜひ受賞してもらいたいですね。
明日の発表が、楽しみです。

 

 

 

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「幸せな老後」 とは

2012年05月30日 | 読書

養老孟司さんの「養老訓」という名著がありますよね。
団塊世代の僕たちには身につまされる話が満載です。

読まれた方も多いかと思いますが…

そこに、こんな一節がありました。

「幸せな老後」 という言葉は少々おかしい。
老人になるということは、人生が終わると言うことですから、
身体は駄目になってくるし、目は見えないし、みんなはバカにするし。
何が 「幸せな老後」 だと思います。

あまり大きな期待はしないほうがいい。

そうしたら思いがけないことですごく幸せを感じるかもしれない。
それには感受性が大事です。

…というくだりです。

な~るほど。 感受性ですよね~

そういえば、意識はしていませんが、僕がこのブログを続けているのも、
感受性を衰えさせたくない…という気持ちが作用しているのかも知れません。。

ま、それはそれとして。
この本には次のようなことも書かれてありました。

老後に本当に必要な資産はお金ではありません。根本は体力です。
きちんと歩けるほうが財布に100万円入っているよりも、ずっと幸せです。
体が元手で、お金が元手ではありません。
老後資金より、老後体力を考えるべきなのです。

…と。

説得力のあるお話です。

でもね…
財布に100万円入っているというのも、かなりの魅力ですよね~  
                                        

 

 

 

 

 

 

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北杜夫、亡くなる

2011年10月27日 | 読書

昨日、昼食の用意をしながらテレビのニュースをかけていると「作家でエッセイストでもあった」という音声が聞こえたので反射的にテレビを見た。老人らしい顔が写っている。目の悪い僕には、とっさにそれが誰かわからなかった。すると次の瞬間、僕は持っていた包丁をあやうく自分の足元に落とすところだった。

「作家でエッセイストでもあった、北杜夫さんが2日前に亡くなられました」

「えっ?」と驚いてテレビの音量を上げたけれど、次のニュースに変わってしまった。キッチンに来た妻に「北杜夫が死んだ」と伝えると、妻も絶句した。付き合い始めた頃から、僕が北杜夫が大好きだったことを妻も知っている。

大学時代、ある楽器のクラブに所属していた僕は、高校からずっと、内外の古典文学というか名作しか読まない学生だった。その楽器のクラブに後輩が入ってきて、彼は僕が本が好きだというと、「北杜夫は読んではりますか?」と訊いた。「キタモリオ? 読んだことない。外国ならドストエフスキーやスタンダール、モーパッサン、フローベル、マーク・トゥエインとか、日本なら太宰治、漱石、芭蕉の奥の細道とかやなぁ」

つまり、現在生きている作家の本など、ごく一部を除いてほとんど読まなかった。「世界文学全集」や「日本文学全集」以外の本を読んでいるヒマなどなかったし、なにか現代作家というのは軽い気がして、ほとんど手を出さなかった。北杜夫も、もちろん読んだことがなかったが、名前だけは、知っていた。「どくとるマンボウ」などと馬鹿げた名前をつけた作家など、ロクでもないと思っていた。

しかしクラブの後輩は、「僕は北杜夫と囲碁が人生の生きがいなのです」と言う。「とにかく、読んでくださいよ。どの本も面白いですよ。お願いします」

そこで僕は「どくとるマンボウ昆虫記」という本を買ってきた。昆虫には興味はなかったが、その文章がとても面白かった。続いて「どくとるマンボウ青春記」を買って読んだ。こんな愉快な本がこの世の中にあったのか、と思った。ここから僕の北杜夫中毒が始まった。

「航海記」「小辞典」「途中下車」「おもちゃばこ」などのマンボウシリーズで大笑いし、シリアスなデビュー作「幽霊」や芥川賞の受賞作「夜と霧の隅で」などにしんみりし、大作「楡家の人々」では、著者の父、斉藤茂吉の出身地から出た蔵王山という大相撲の力士を応援する描写にお腹を抱えて笑ったり、とどめは「怪盗ジバコ」で、僕は完全に北杜夫に傾倒した。

それまで、ドストエフスキーや太宰治や漱石にかぶれ、その後は開高健、小松左京、村上春樹などにかぶれたけれど、この時期の北杜夫ほど大きな影響を受けた作家は、後にも先にもいない。

北杜夫が旧制松本高校時代に、テストに書いた珍答案が「青春記」に載っていた。僕は実際に、大学の何かのテストの時、これを真似した珍答案を考えて書いた。それを読んだ先生が僕に「う~む。卓越しとるね」と言った言葉が忘れられない。

書き始めればキリがないほど、北杜夫をめぐる思い出は多い。

「どくとるマンボウ航海記」で北杜夫は、
「肝心なこと、大切なことは何も書かず、くだらないことだけを書いた」
と、あとがきで述べていたが、僕はいまだにこの文章が忘れられず、自分もブログにくだらないことだけ書けばいいやろ…と思ったりしている。

しかし、ここ10年ほど、ほとんど北杜夫を読まなくなった。一人娘の斉藤由香のエッセイで消息を知るぐらいだった。

それでも、これまで読んだ北杜夫の作品は、僕の体の中にしみこんでいる。

その死は、大きなショックだ。悲しい。

5年前の夏、妻と信州を旅行したとき、
「どくとるマンボウ青春記」ゆかりの、旧制松本高校へ行った。

北杜夫を追悼しながら、その時の写真を掲載します。

 

   
ここが旧制松本高校の跡地で、この奥(写真左)の方に記念館が建っている。



  
   門の前で。
   「青春記」の舞台となったところだ。
  

  

 
  旧制松本高校の記念館へ入る。

 

 
 館内にはいろんなものが展示されていた。
 旧制松本高校出身の著名人はわりに多い。
 中でも北杜夫は最も知られた人ではなかったか。
 展示品の中にも、北杜夫に関するものが沢山あった。

 

 
  北杜夫の書。

 

開高健や小松左京が亡くなったときも大きなショックだったが、
「あぁ、好きだった作家が亡くなったんだなぁ」という思いだった。

でも、北杜夫が亡くなったと知ったときは、肉親を失ったような気がした。

 

    

    これも記念館に展示されていたものです。

    慎んでご冥福をお祈りいたします。
         

    (これらの写真は2006年=平成18年=8月10日に撮影したものです)

*北杜夫のことは、今年8月のブログに詳しく書いています。

                  


http://blog.goo.ne.jp/non-ap/e/34f6a232814963ec7b728c468d829291

 

 

 

 

 

 

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主人在宅ストレス症候群

2011年09月10日 | 読書

渡辺淳一の「孤舟」で、定年退職した夫が1日中家にいるようになり、
しかもあれこれと干渉してくるので、妻は息苦しくなってくる…

そんなシーンを読んでいて、僕は何年か前に読んだことのある、
「夫よ! あなたがいちばんストレスです」(村越克子著・河出書房)
という本を思い出した。

本書によると、全国のミセス134人を対象に行ったアンケート、
「あなたの生活の中でストレスになっているものは何ですか?」
という問いに対する答えの第1位は、「夫のこと」だった。
「夫がいること自体」や「夫の言動」が妻のストレス第1位だったのだ。

結婚前は優しかった夫は、実は優柔不断だった。
結婚前はたくましく頼りになった夫は、実は横暴だった。
結婚前は面倒見がよかった夫は、実はおせっかいだった。
結婚前は繊細でよく気がついた夫は、実は神経質で口うるさかった。

結婚前の美点は、結婚後は欠点に変わることもあるって、
知っておいたほうがいいかもしれません。

な~んてことが、いろいろ書かれている。
もちろん、本の後半部分ではこれらのストレス解消方法も示されている。

しかし、この本に書かれているのは「仕事を持っている」夫である。
その夫ですら妻のストレス源の第1位になるのだから、
定年退職して「毎日家にいる夫」となると、これはもう悲惨そのものだ。

妻にとって、夫が四六時中そばにいることは、大きなストレスであり、
それによって精神的、肉体的にバランスを崩して不安定になる…
そういう「主人在宅ストレス症候群」という疾患が実際にあるそうだ。

話は「孤舟」に戻るが、この小説の中で、妻が夫に対して、
「少しは家事でも手伝ってくださいよ」と言う場面があり、
言われた夫はムッとするが、それでも思い直して、
今までのように亭主面して威張らず、時々家事でも手伝うか…
と反省し、そういうことから新しい生活を始めようと思う。

そこで、かつて作った経験のあるちらし寿司を作ってやろうと考えた。

1人ではスーパーへ買い物にも行けないので、妻を同伴させる。
すると、スーパーの中で、買うものを巡ってまた妻と口論になる。
それでも材料を揃え、帰宅して、夫はちらし寿司作りを開始する。

しかし、「おい、寿司桶はどこだ?」から始まって、
とにかくモノがどこにあるかわからないので、いちいち妻に訊く。

そして気合を入れて料理を始めるのだけど、
米と水の分量、椎茸やかんぴょうの戻し方、錦糸玉子の作り方…
何をやるにしても、一人ではできない。
そのつど「おい、これはどうするのだ?」と妻に尋ねる。
妻の方が、夫にふりまわされて、息をつく暇もない。

悪戦苦闘の末、ちらし寿司ができたのは4時間後であった。
普段の食事の時間はとっくに過ぎ、妻は空腹でげんなりする。
「なんだ、せっかく作ってやったのに喜ばないのか」という夫。
「あなたとお料理を作ると何倍も疲れます。一人のほうが楽です」
そう言って妻は、台所の流しに乱暴に散らかった洗い物を眺めるのだ。

このシーン、僕は読みながら、笑うしかなかった。
夫の奮戦も妻の支えなしには出来ず、かえって妻に負担をかける。
しかし、俺がわざわざ作ってやったのに喜ばない、と妻を責める。

初めての料理に、ちらし寿司みたいな難しいものを作るからだよ。
僕は本の中の人物に向かって、そうつぶやいた。
せいぜい野菜炒めぐらいにしておけばよかったんだ。

この家には、27歳になる娘も同居していた。
しかし毎日のように目の前で夫婦喧嘩を見せつけられて耐えられず、
勤務先の会社に近いワンルームマンションへ引っ越してしまった。
そして次には妻も、「娘のところへ行きます」と家出してしまう。

主人公の家に残されたのは、自分と1匹の犬だけだった。

今日の定年後の男性の、ひとつの典型だろうか。

たしかに中高年の男性は、女性に比べ活力に欠けるところがある。

小説の中でも、
「女はいい。いくつになっても、なんだかんだと集まっては騒いでいる。
 男にない強さというか、バイタリティーがあるんだよね」
という会話が出てくる。

僕が通うスポーツクラブのプールにも、中高年の女性が多い。
男性がいても、黙々と泳いだり、水中歩行したりしているだけ。
それに比べて、女性たちはおしゃべりにも熱中し、大いに楽しんでいる。
見た目の「元気度」が、女性と男性ではまったく違うのだ。

僕はいつもそんな女性たちと混じって会話を楽しんでいるのだけれど、
彼女たちは僕にも「ずっと家にいたら、奥さんが嫌がるでしょ」と言う。
いや、まあ、僕は家事をするからそれほどでもないのでは…
と思うのだけれど、むろんそんなことを口に出せば、
「それはね、あなたが自分でそう思っているだけよ」と言われそうなので、
「う~ん、そんなものでしょうかねぇ…」と曖昧に返事する。

「ウチは主人が1日家いるので、うっとうしいからここへ通ってるのよ」
そういう女性が、圧倒的に多い。
「主人と2人だけでずっと一緒にいると窒息死してしまうわ」
と笑わせたりする。

なんだか、男の立場としては、ちょっと哀しくなってきますけど。

そういえば、かなり昔の話ですが、

亭主元気で留守がいい

という、テレビCMから生まれたフレーズが流行語になりましたね。
今やこれは単なる当時の「流行語」ではなく、
時代を超えた不滅のフレーズとなった感があります。

「孤舟」を読んでいると、さまざまな思いが飛び交い、胸が騒ぎます。

 

 

 

 

 

 

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渡辺淳一 「孤舟」 に思う

2011年09月08日 | 読書

「こしゅう」といえば松島アキラが歌った「湖愁」を思い出す人は、
今の日本人の中でいったい何人ぐらいいるのだろうか…
な~んてことを書くだけで世代がわかろうというものだ。

悲しい恋の なきがらは~ そっと流そう 泣かないで~ ♪

50年前にヒットした歌だけど、出だしの歌詞がすらすら出てくる。
昔の歌というものは、よ~く覚えているものだ。

で、なぜ松島アキラの「湖愁」が出てきたかといえば、
この夏に読んだもので最も強い衝撃を受けた作品が、
渡辺淳一の「孤舟」という小説だったからだ。
知らない人はないほど有名になった小説だ。

どちらも「こしゅう」という題であり、
どちらも団塊世代が大いに共鳴する…
…ということからの、こじつけである(あはは~)。

 ………………………………………………………………………

では、本題に入ります(なんか、堅苦しい論文のようですけど)。

長年勤めた仕事を定年退職して、やがて2年半が経とうとしている。
そんな僕と全く同じ年齢の団塊世代の男性が、「孤舟」の主人公である。

すでに読まれた人も多いだろうと思うけれど、
定年退職して自由の身になった男性がこの本を読むと、
身につまされるというか、ただならぬ胸騒ぎを覚えるはずである。

小説の主人公は、かつて広告会社の要職についていた。
そしてその会社を定年退職して1年半経ったころから物語が始まる。

定年になっても、日常的にはあれこれとやることがあり、
その中から暇を見つけて、いままでやれなかったことをやる…
彼はそう思い込んでいた。だが、いざ定年になってみると、
朝目覚めたときから眠るまで、すべて予定のない空き時間ばかり。
暇を見つけるどころか、すべてが暇で空いていることに愕然とする。

朝、目が覚めると、
「まだ眠っていていいのだ」
「今日はどこへ行こうかな」
などと思いをめぐらしながら、むっくり起き上がる。

なんとなくテレビをつけて、なんとなく見る。
デパートをぶらついたり、図書館へ行ったりするが、刺激がない。
妻に頼まれて、犬を散歩に連れて行くことが、唯一の定まった日課だ。

読みながら、僕はふと、サラリーマン川柳の

定年後 犬もいやがる 五度目の散歩 

という文句を思い出し、声を出して笑った。

お正月に来る年賀状の数も少なくなった。
「減ったわね」という妻の言葉に、聞こえないフリをする。
仕事を辞めたといっても、プライドはそう簡単には消えない。

妻は、友達と食事だとか何だとか言って、せっせと出かける。
夫はそのたびに「どこへ行くのだ。何時に帰るのだ」
と、妻に言う。
「いい加減にしてよ。いちいち聞かないでください」
と、妻がキレる。

以前、妻が「今日は何時ごろお帰りですか?」と夫に尋ねても、
いい加減な返事をするか、あるいは無言のままで出勤して行き、
会社のつき合いやら接待で、毎日のように帰宅が遅くなっても、
妻と会話を交わすこともなく、風呂に入って寝ていただけだった。
それが、今は妻に「どこへ行く? 何時に帰る?」としつこく訊く。
「自分勝手な人だわ」妻は、しみじみそう思う。

夫が一日中家にいるようになると、妻の方も大変である。
友達から電話がかかってきて、長話をしたら、そのあと、
夫が「長い電話だったな。何を話していたんだ」と干渉する。
「いろいろあるのよ」と妻はうんざりする。
一日中監視されているようで、居心地が悪い。
しかも夫のために、三食作らねばならない。
自由気ままに出て行くことも出来なくなってきた。

主人在宅ストレス症候群…という言葉がある。
夫が家にいることにより、妻が精神的、肉体的にバランスを崩して、
不安定になる疾患のことを言うそうだ。

この小説でも、主人公の妻は、そんなことで体調を崩したりする。

「旅行でもしようか…?」と夫が言っても、
「あなたと旅行しても、私が疲れるだけです」と妻は断る。

「そんな旅行のことよりも…」と、妻は続ける。
「あなたも働いていないのですから、ときには食事を作ったり、
 洗濯物を取り込むことくらい、手伝ってほしいのです」

夫は、「家事無能力者」というやつである。
思わず彼はムッとして、
「それは、俺に対するさしずか」
「そうじゃなく、頼んでいるんです」
「だったら、頼み方ってものがあるだろう」

あぁ…

ためいきの出るような夫婦のやりとりが、これでもかと続く。

僕自身はと言えば、料理、洗濯、ゴミ出しなどの家事をしているし、
孫のモミィを幼稚園へ送り迎えし、エレクトーン教室にもつき合っている。
それにほぼ毎日、スポーツクラブへ泳ぎに出て行っているので、
1日中家にいるということは、めったにない。
図書館の自習室へ行き、英検に備えて英語の勉強をすることも多い。

だから、定年退職しても、「孤舟」の主人公のようなことはない。
妻にしても、今はモミィの「子育て」に精一杯の毎日である。
僕たち夫婦が口論するようなこともない。

おまけにこの男性は、現役時代は会社のエライさんだったので、
接待の名目で、社費で銀座のクラブなどへ行って遊んでいる。
それが、年金生活になると、もちろん出来ようはずがない。
その落差が、主人公をより寂しい思いにさせるのである。

僕など、公務員だったから、接待で飲みに行くなんてあり得なかった。
そんな高級クラブで飲んだこともない。いつも居酒屋である。
だから、今も飲みに行く場所は同じだから、何の落差もない。

…と、小説の主人公と僕はかなり違う生活だけれども、
それでも、やはり身につまされるのはなぜだろうか…?
他人事とは思えない強い吸引力を、この小説は持っている。

これはもう、笑うしかない、というシーンやセリフが満載されている。
この本を読みながら、僕はどれだけ声をあげて笑っただろうか。
どれもこれも「そうそう、わかる、わかる」という笑いなのだ。
夫の言い分もわかるし、妻の言い分もわかる。
わかり過ぎて、笑ってしまうのである。

それでも、読後、人生観が少し変わったと言えるほど衝撃を受けた。

「孤舟」については、これくらいでは語りつくせない。

今日はこれで終わりますが、まだまだ続きを書きたいと思います。

 

 

 

 

 

 

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「のんき」の自分史

2011年08月05日 | 読書

前回のブログで「のんきのすすめ」を標榜した限りは、「のんき」についての考察と「のんき」とかかわってきた自分史を回顧することが必要であろう。
そう考えた僕は、いったい、いつ頃から「のんき」を意識し始めたのだろうかと、自分の人生を振り返ってみることにした(大げさやなぁ)。

まあ、自分史といっても、内容のほとんどは、二十歳前後の頃の僕の読書遍歴ということになるのですが

中学までほとんど漫画ばかり読んでいた。小説の類は「貸本屋」で借りて読んだことがあるが、それが習慣になるほどではなかった。父も母も読書とは無縁の人だったので、わが家には漫画と雑誌以外の本というものは存在しなかった。僕が日常的に本に親しみ始めたのは、高校生になってからだった。

高校から大学2年生にかけて(つまり十代後半の頃)は、19世紀のロシア文学とフランス文学…トルストイ、ドストエフスキー、スタンダール、フローベル、モーパッサンなどに傾倒し、日本文学では夏目漱石や太宰治を耽読した。漱石は「猫」は別として、「こころ」や「明暗」が特に好きだった。太宰は代表作の「人間失格」のほか、「晩年」「お伽草紙」などに強く惹かれた。

これらの小説は、野心と挫折、狂おしい恋と悲劇、身を焦がす孤独、利己主義や虚栄心…など、並外れて世間知らずだった僕にとっては、理解がむずかしい未知の世界の話ばかりだったけれど、生理的にはこれらの小説を違和感なく受け入れていたようだった。

兄弟もなく、両親との対話も少なく、そばに仲のいい親戚もいなかった僕は、まわりの人たちに影響を受けるよりも、本のほうに大きな影響を受けていた。

これらの本を読みながら、
「う~む。きっと人生というのはこういうことなんだ」と腕組みをして、
それだけで何だか世の中の摂理をすべて理解したような気になっていた。

しかし、息の詰まるような小説ばかり読んでいると、本当に息が詰まる。
読書で心を和ませることはあまりなく、これからの人生を生真面目に予習する場という堅苦しい姿勢でいろんな本を読んできたのだけれど、やがて
そういう姿勢に、息が詰まりはじめてきたのだ。

ある時、それまで、世界文学全集や日本の文学全集しか興味のなかった僕に、大学の後輩が「おもしろい本を書いている作家がいますよ」と教えてくれた。

それが、どくとるマンボウこと、北杜夫であった。
この人の作品を読んで、僕の人生観が変わった。

どくとるマンボウシリーズは、「昆虫記」を読んだのが最初で、それ以来、病みつきになり、「航海記」「小辞典」「途中下車」などの独特のユーモアに酔いしれた。“迷作中の迷作”である「怪盗ジバコ」は僕のバイブルになった。僕はこのころに、固い人間から抜け出したようである。

大学時代の後半、ひとりの女性とつき合っていた。

「筆まめ」な僕は、毎日のように彼女に手紙を書き、彼女と会って別れる時、「はい、これ」と手渡した。彼女は、帰りの地下鉄の中で、僕からの手紙を読むのが習慣になった。

手紙は、最初から終わりまで、北杜夫調で尽くされていた。
なにせ当時の僕の頭の中は北杜夫によって占領されていたのだから、そのユーモア感覚がわが身に乗り移っていた。いかに文章をもって彼女を笑わせるかと頭をひねりながら、毎日いそいそと手紙を書いた。

「地下鉄で手紙を読んでいて、何度も笑い声を上げそうになったわ」
彼女がそう言ってくれたものだから、調子に乗った僕はさらにせっせと手紙を書き続けたものである。その彼女が現在の妻であることは、改めて申し上げるまでもないだろう。(妻でなかったら、こんなこと、書きませんわい)。

前述したように、北杜夫を読み始めてから、かなり人生観が変わった。
「あくびノオト」「南太平洋ひるね旅」という彼の著作のタイトルにも注目し、僕は自分の「ペンネーム」を「あくび」として、ひとりで出したガリ版印刷の文集の題名にも「あくび」と名づけ、20歳のときの北海道への自転車旅行の時は、知人への手紙に「あくびより」なんて書いたりもした。今でも、知人から僕宛に届いた「あくび君へ」という当時のハガキが残っている。

それ以来、「あくび」とか「ひるね」とかいう、
のんき系の言葉を、強く意識するようになった。

こう振り返ってみると、僕は根はマジメで神経質なのだが(笑わんといて)、
20歳ぐらいの時から「のんきなことはいいことだ」と思っていたようだ。
「のんき」に対する憧憬が、きっとこのころから芽生えていたに違いない。

その起爆剤となったのが北杜夫の著作であり、僕ののんきの出発点となったわけだが、ただ北杜夫自身、神経科医だけれど、躁うつ病患者でもあった。

苦悩の多い人ほど「のんき」へのあこがれが強い、と言えるのかも知れない。

というようなわけで、還暦を通り過ぎたいま、「のんきのすすめ」を自分のラストテーマとし、人生の下り坂を心地よく過ごそうと企てる僕なのだが、前回のブログ「のんきりん」に対して、yukariさんとびんさんが、
「のんきのすすめがとても感慨深いですわ~」
「のんきのすすめを興味深く拝見しました」
というコメントを寄せてくださった。

yukariさんは、
「わたしも忘れていた『のんき』を少しでも生活に取り戻していきたいです」

びんさんは、
坂道をゆっくり下山する時期。無事事故を起さず、ゆとりを持ってゆっくり成熟した豊かな下降をいかに楽しむか。ソフトランディングの秘訣、そのヒントがきっと『のんき』にあるのでしょうねぇ」

そう書いていただいていた。

そうですよね。
み~んなで、「のんきのすすめ」を実践していきましょう。

もっとも、yukariさんやびんさんは、
「下山」するにはまだまだ早すぎますけどね  。

 

 

 

 

 

 

 

 

コメント (2)
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