まだ4月に入ったばかり…という感覚から抜け切れないまま、今日はもう4月17日である。退職して、早くも半月以上が経過した。
いろんなことに追われ、なかなかブログを更新できなかったが、ようやく皆さんに近況を報告する余裕ができた。
しかしまだ、朝起きて仕事に行かなくていい、という環境がピンとこない。
今日も、土曜日だとばかり思っていたら、そうではなく、金曜日だった。
世間は仕事をしている日なのである。なんか、勘が狂う。なじめない。
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3月31日に、市長から退職辞令をもらい、職場で花束をいただき、そして多くの人たちに見送られて、長年勤めた場所を後にした。
…と、いかにも感慨深げに書くわけだが、実際は、自転車で通勤している僕は、花束をビニール袋に入れてハンドルからぶら下げ、なんだかなぁ~、もうこれで終わりかいな、と、今のこの状態が「うっそ~」というような気持で自転車をこぎながら、これといって特別な感情も湧かず、家路に着いた。
自転車で家の近くまで帰ってきたら、同じ町内のおっちゃんに会った。
おっちゃんは、孫の男の子を連れて、こちらを向いて歩いてきた。
「あれ? 今日はお休みですか?」とおっちゃんは僕の様子を見ながら、
「なんで花束なんかぶら下げているのですか…?」と、質問を重ねたあと、
「むむ~っ…。今日は3月31日だし、…ひょっとして、退職ですかぁ!?」
「ピンポーン! 定年退職です。どうも、どうも」と僕。
「ひぇ~~。そうですか…。おたくが、定年…ですか? はぁ~。しかし、まあ、それはそれは、退職、おめでとうございます」
おっちゃんは、孫から手を離し、ぺこっとお辞儀をしたので、「これはどうも、恐れ入ります」と、僕は自転車から転げ落ちかけた。
そうして「ただいま~」と家に帰り、そのあともいつもと同じように過ごし、そんな具合にして、3月31日は終わった。
明けて4月1日には、モミィを連れて、妻と3人で白浜へ1泊旅行をした。
「特急くろしお」に乗って、天王寺から南紀白浜まで約2時間。
「特急くろしお」といえば、あれは38年前(昭和46年)、僕たちは新婚旅行で「特急くろしお」に乗り、白浜へ行ったんだったなぁ…。
ま、そんなことは、よろし。
快晴に恵まれた白浜は、桜が満開であった。
翌日は、美しい浜辺で、モミィは久しぶりに目の前に見る海の光景に興奮していた。まだちょっと波が押し寄せてくるのを怖がっていたようだったけれど。
4月3日は、夕方に職場の歓送迎会があったので、3日ぶりに役所へ行った。
職場のみんなは「辞められたという感じがしませんね。また朝に、ひょこっと出勤して来はるような気がして…」などと言ってくれる。僕だって、こうして職場に戻ってくると、自分が辞めた人間だとは到底思えない。
4月4日(土)は終日雨であった。
この日は何の予定もない日だったので、僕にとっては乱雑をきわめた自分の部屋をわずかでも整理ができたし、まあ雨でもかまわなかった。しかし絶好のお花見シーズンの週末にこの雨は、大半の人々をがっかりさせたに違いない。
…雨はこの日を最後に姿を消した。
4月5日から9日まで、「青春18切符」を使って、妻と東北への4泊5日の旅行に出たが、その間、ずっと快晴に恵まれた。列車に揺られて北へ北へと移動したこの旅は、普通のツアーでは味わえない情緒があり、発見も多かった。
(後日改めて、このブログで旅行記を掲載したいと思います)。
しかし、大阪を出るときは桜が満開だったのに、東京を過ぎ、福島県に入ったあたりから、桜色の風景が視界から消えた。仙台では蕾が膨らんでいたが、花はまだ。盛岡や青森、秋田では桜の気配すらなかった。そして大阪へ帰ると、桜はもう盛りを過ぎて、散り始めていたのだ。…ぐすん。
さて、9日夜に帰宅すると、長男が溜めておいてくれた郵便物の中に、僕が退職挨拶の葉書を送ったことに対する返事の葉書やら手紙がかなり入っていた。1枚1枚、丹念に読む。僕の葉書での退職挨拶に対して、それ以上の丁寧な返事が来たことに、恐縮することしきりである。自分がこんなにも多くの人々に支えられてきたのかということを、今さらながら身に沁みて感じる。
4月10日は、退職金が振り込まれる日であった。
それに関する用件で、妻と2人で難波にある○○銀行まで足を運んだ。
帰途、遠回りして天満橋あたりを歩いたが、桜はどんどん散り始めていた。
11日の土曜日は、朝4時から起きて、退職時に餞別をいただいた方や自宅に花を送っていただいた方など、特にお世話になった目上の5人の方々へ手紙を書いた。5通の手紙に3~4時間かかった。そしてそれを封筒に入れて、東北旅行で買って来たお土産に添え、荷物を自転車に積み、ペダルをこいで、それぞれのお家へあいさつ回りをし、お土産を渡した。かなり距離があったので、自転車で走っていると、午前中はそれであっという間に過ぎた。
そうこうしているうちに、14日に第一回目が始まるECCの英語教室が気になり始めてきた。3月中旬にテキストが送られてきたが、梱包したままで、どんなテキストかもまだ見ていない。予習をしておかなければ…と、12日にようやくテキストを取り出し、パラパラめくって、付属のCDを少しだけ聴く。
いつかこのブログに書いたが、退職1年目は、生活に3つの柱を据えて、それを中心に過ごそうと決めていた。
ひとつは、身体を鍛えなおしたい、ということ。
もうひとつは、本やビデオや古い日記や切抜き、雑書類、旅行から持ち帰ったガラクタ類はじめあらゆる物を整理しなおし身の回りをスッキリさせること。
最後のひとつが、長年の夢だった英語を好きなだけ勉強すること。
だから、英語の勉強は、僕の今後の生活において大切な要素なのである。
そんなことで、13日は、雑事の合間を縫ってドロ縄でECCの予習をした。
そして、14日、ECCへ行き、緊張の中で最初の授業を受けた。
(この話もまた、ブログに書いてみたいと思います)
15日は、1月に一緒にカナダへ行った義姉が、僕の退職祝いに梅田のホテルバイキングへ招待してくれた。昼間からワインをしこたま飲んだ。あぁ、こうして自分が酒を飲んでいる間、職場ではみんな仕事をしているんだなぁ、と思うと、なんだか、たいそう奇妙な感じがした。
そして昨日の16日は、午前中に大手前病院へ行った。
健康保険証が変わったので、受付で変更手続きをしてもらう。
そんなときにも、あ、そうか、僕はもう現役ではないのだ、とふと思う。
「退職されたのですね。耳鳴りはいかがですか?」と、技師先生。
「そうですね。退職しても耳鳴りは退職してくれないですよね~。でも、これからは自分主体の生活が送れますので、いろんなことを楽しんで、耳鳴りを気にしている暇のないような毎日にしたいです」と答える。
大手前病院を出て、すっかり桜の散った大阪城を眺めながら歩く。
朝は薄曇りだったが、いつの間にか日が照り始め、空が青い。
今までなら、病院を終えると、その足で仕事に向かっていた。
今日はもう、向かわねばならないところは、ない。
どこをぶらぶらしようが自由である。
退職しても、日々の忙しさに紛れてさっぱり実感が湧かなかったけれど、病院を出たとき、急にその「喜び」のようなものがこみ上げてきた。
アイ フィール ライク “ エブリデー イズ サンデー ”.
次のECCの教室では、こんなセリフが言えたらいいなぁ、と思っている。
退職の日、職場で。
* 追加の写真です ↓
波が来ると あわてて逃げるモミィ (4月2日 和歌山県 ・ 白浜)