高校野球、真っ盛り、である。
昨日は第1試合で大阪のPL学園が出ていたが、僕は朝から大手前病院の診察があったのでTV観戦はできなかった。診察を終え、病院のロビーのテレビを見ると、7回裏を終了して6対3でリードされていた。
「な~んや、これは」
チラッと見ただけで、病院を出た。
そのまま6対3で試合は終わった。
まぁ、仕方ない。
相手はのこたんさんの地元の県岐阜商である。夏の大会出場回数は、京都の平安高校に次いで2番目の27回目だ。17回目のPL学園でもまだまだ及ばない伝統校である。
県岐阜商の準決勝進出は実に31年ぶりだそうだが、その31年前、準々決勝で当たった相手がPL学園で、その試合は1対0でPLが勝ったという。県岐阜商は、今回、その雪辱を果たしたわけだ。
ところで、この高校野球選手権大会では、まだ東北勢の優勝がない。
惜しかったのはダルビッシュがいた時の宮城県・東北高校だったが、決勝戦で敗れた。それ以外でも、何度かあと一歩のところで優勝を逃してきた東北勢であるが、僕ら団塊世代にとっては、何よりも忘れられないのは、昭和44年夏の青森県・三沢高校の活躍である。
決勝戦で松山商業と延長18回の死闘の末、引き分け再試合となり、翌日の試合で力尽きて敗れた三沢高校は、2試合を1人で投げ抜いた太田幸司の人気と共に、高校野球史に燦然と輝く伝説を残した。
昭和44年8月18日。
そのとき僕は自転車旅行中で、東京に一時滞在していた。
夕方から、かねてから憧れていた後楽園球場に行き、長島・王を初めてこの目で見る幸福に浸った。
しかし、ナイターの試合が始まる前に、あちらこちらの観客たちが、ラジオの野球中継を聴いていた。それがずっと耳に入っていたので、いったいこんな時間に何の野球をしているのだろうと、隣のおじさんに聴いてみたら、高校野球の決勝戦を聴いているのだと言う。
もう夕方の5時か6時である。 なんでこんな時間に高校野球の決勝が行われているのだと聞くと、「ミサワとマツヤマが互いに一歩も譲らず」試合がここまで延々と続いているのだということだった。
それが、三沢高校と松山商業の「伝説の延長18回」の試合であった。
僕は、三沢高校、と聞いて…
あ、あの三沢高校か!
と、2週間ほど前の出来事を思い出した。
2週間ほど前といえば自転車で青森県内を走っていたときだ。途中で自転車ごとトラックに乗せてもらった。その運転手のお兄さんが、…今年の高校野球は、俺たち地元の三沢高校がいいよ、太田というすばらしいピッチャーがいるんだ…と、自慢していたことを思い出した。
そのあと僕が、岩手、仙台、福島、茨城、千葉、東京と自転車で走っている間に、甲子園での大会が始まり、知らぬ間にその三沢高校が決勝まで進み、今まさにこの時間に、初優勝をかけて延長戦の熱闘を繰り広げているのだった。
あぁ~、このとき勝っていれば、東北勢の高校野球の歴史もずいぶん変わっていたのになぁ、と、ついつい今でも思ってしまう。
…そんな事情で、甲子園に夏が訪れると、必ず思い出す三沢高校のことであるが、あの昭和44年から、今年で40年の歳月が過ぎた。
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数年前、僕はこの昭和44年当時の自転車旅行のブログを掲載した。
それを読んでくださった青森県在住の40歳代前半の男性の方から、3月末にブログにコメントをいただき、さらに丁寧なメールをいただいた。
そして、その男性の方は、その後、僕が自転車でたどった青森県や岩手県、それに北海道などの各地の様子が、40年後の現在ではどうなっているかということを、文章や写真で、何度も送ってくださったのである。
それを見るたびに驚いたり、感慨にふけったり…。
時には、その文章を読ませていただき、涙が出ることもあった。
遠い遠い昔の自転車旅行が、こんな形でよみがえるとは…。
その方から7月にいただいたメールの中で、40年前の三沢高校に関連した次のような新聞記事を教えていただきましたので、紹介します。
http://www.daily-tohoku.co.jp/news/2009/07/15/new0907150903.htm
お会いしたこともない方なのに、僕と自転車旅行と三沢高校とのつながりを知っておられる方からこういう記事を送っていただく…ということが、なんだか不思議である。
これだけではない。
僕はこの方から、何度も、奇跡のような情報を与えてもらっていた。
(続きます)