2月16日に、Iさんが歩けなくなったと言っていた時に、振り子で聞いてみると、答えてくれた神様がいて、私はそのままを伝えました。
Iは、穴守稲荷の狐が攻撃していたからだが、虹龍が戦ったから大丈夫だ。
と、言ってるよ。
穴守稲荷に行ったの?
行ってないよ。
色々襲われるからな。
首塚に行って欲しくないんだよ。
歩けなくして行かせないように、と。そういうことだと思うよ。
首塚はレベルがちがう、と言ったでしょ。
昔よりまだいいよ。
たくさんの神様や龍神さんが護ってくれてるから。
前は酷かったからな。
しかし、相変わらず何かと図りかねるな。
私は、なぜこの時に穴守稲荷のキツネと言われたのか、よくわからなかったのです。
私も、穴守稲荷には行っていないし、Iさんは近づかなかったようですしね。
改めて、穴守稲荷を調べてみました。
🌟穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)は、東京都大田区羽田五丁目2番7号(もとの羽田穴守町)にある稲荷神社である。
祭神は豊受姫命。
羽田村の鈴木新田の潮除守護神として、江戸時代から祀られていた稲荷の小祠が、明治18年(1885)、公許を得て穴守稲荷と称し、商人や花柳界の信仰を集めた。
35年(1902)には、京浜電車が参詣用の支線を敷設。
赤鳥居や茶店が門前に並び、盛況をきわめた。連なる赤鳥居の絵あり。
穴守稲荷神社は明治、大正、昭和を通して人々の信仰を集めたが、第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになった。
移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居だけは撤去できず、そのまま空港の更地(後に駐車場となる)に残され続けた。
門前に建っていた赤い鳥居はとても頑丈な作りだった。ロープで引きずり倒そうとしたところ、逆にロープが切れ、作業員が怪我したため、いったん中止となった。
再開したときには工事責任者が病死するというような変事が何度か続いた。
これは、「穴森さまのたたり」といううわさが流れ、稲荷信仰などあるはずもないGHQも、何回やっても撤去できないため、結局そのまま残すことになった。
という、曰く付きの鳥居があるらしいことは、私もなんとなくは知っていましたが、いろいろ見ていくと、昔はこの辺りに沢山のキツネが住んでいたという話もあり、そのことなのでしょうか。。。
2月17日の朝に、また振り子で話してみると、長い話になっていきました。
誰が話し出すかわからなかったので、とりあえず質問を投げ掛けてみたのです。
私
Iさんは、どうなるのですか?
Iは、大丈夫だよ。
穴守稲荷のキツネが来ていたが、虹龍が戦っていたからな。
なぜ、穴守稲荷のキツネに攻撃されるのですか?
首塚には、行って欲しくないということだな。
なぜですか?
つまり、キレイにしたくないということだよ。
人々の欲望が渦巻いている場所だからな。
忘れないでという、念だな。
魅惑の祝詞が聞きたいと思っているのは、平将門の神だよ。
平将門は、スクナヒコが就いていたのだよ。
沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の話だな。
私は、今下書きしながら驚いています。
なぜなら、12月にこの神社のことをIさんが記事にしていたからです。
🌟近江八幡徒然3
私は、この頃にOさん達と神田明神に行っていて、気になったスクナヒコの像を撮ってIさんに送っていました。
彼からは、丁度、沙沙貴神社について、記事を作っていたところだと言われたのを思い出したのです。
平将門とスクナヒコは、関係があったのですね。
きっと、、、、
続きです。
宇多天皇とうまくやれなかったからだよ。
平将門は、真面目でいい人だったから、利用されてしまったのだな。
首塚に来る人達は、認められない無念の気持ちで来るから、「渦」が出来てしまったのだよ。
平将門だったOに伝えられているのは、「思い」の供養のことだな。
見つかったと思ったのだろうな。
Iは、キツネが攻撃していたが、龍神達が守っているよ。隅田川の龍神も、丸山古墳の恩義で動いてくれている。
私は、また下書きをしながら驚いています。
平将門を調べていた時に、その時の天皇は、宇多天皇ではなかったのですが、平将門の父の平良将(たいら の よしまさ)の主君は宇多天皇になっていたからです。
Iさんの沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の話の中にも宇多天皇は出てきました。
宇多天皇を調べると、菅原道真(すがわらみちざね)や在原業平(ありはらなりひら)の名前が出てきて、菅原道真の大宰府への左遷は、実際には、醍醐天皇にされたのですが、醍醐天皇の父である宇多上皇に因る道真に対する溺愛があり、それが面白くなかったようですね。
菅原道真が亡くなった時に生まれた平将門は、生まれ変わりだと言われていたことがわかりました。
なかなかな、人間関係ですね。
そして、隅田川の龍神は、今年の1月7日の「魂の会」で、丸山古墳の石をキレイにしてあげたことを、恩義に感じてくれてIさんを助けてくれたようです。
一見、関係ないように思っていたことが、今になって繋がりを感じて、私は感動しています。
続きます。
Iは、穴守稲荷の狐が攻撃していたからだが、虹龍が戦ったから大丈夫だ。
と、言ってるよ。
穴守稲荷に行ったの?
行ってないよ。
色々襲われるからな。
首塚に行って欲しくないんだよ。
歩けなくして行かせないように、と。そういうことだと思うよ。
首塚はレベルがちがう、と言ったでしょ。
昔よりまだいいよ。
たくさんの神様や龍神さんが護ってくれてるから。
前は酷かったからな。
しかし、相変わらず何かと図りかねるな。
私は、なぜこの時に穴守稲荷のキツネと言われたのか、よくわからなかったのです。
私も、穴守稲荷には行っていないし、Iさんは近づかなかったようですしね。
改めて、穴守稲荷を調べてみました。
🌟穴守稲荷神社(あなもりいなりじんじゃ)は、東京都大田区羽田五丁目2番7号(もとの羽田穴守町)にある稲荷神社である。
祭神は豊受姫命。
羽田村の鈴木新田の潮除守護神として、江戸時代から祀られていた稲荷の小祠が、明治18年(1885)、公許を得て穴守稲荷と称し、商人や花柳界の信仰を集めた。
35年(1902)には、京浜電車が参詣用の支線を敷設。
赤鳥居や茶店が門前に並び、盛況をきわめた。連なる赤鳥居の絵あり。
穴守稲荷神社は明治、大正、昭和を通して人々の信仰を集めたが、第二次世界大戦が終わった直後の1945年(昭和20年)9月21日、羽田空港を軍事基地として拡張するため米軍(GHQ)より、範囲内の住民ともども強制退去を迫られることになった。
移転前の社殿や他の鳥居はGHQによって取り壊されたが、門前の赤鳥居だけは撤去できず、そのまま空港の更地(後に駐車場となる)に残され続けた。
門前に建っていた赤い鳥居はとても頑丈な作りだった。ロープで引きずり倒そうとしたところ、逆にロープが切れ、作業員が怪我したため、いったん中止となった。
再開したときには工事責任者が病死するというような変事が何度か続いた。
これは、「穴森さまのたたり」といううわさが流れ、稲荷信仰などあるはずもないGHQも、何回やっても撤去できないため、結局そのまま残すことになった。
という、曰く付きの鳥居があるらしいことは、私もなんとなくは知っていましたが、いろいろ見ていくと、昔はこの辺りに沢山のキツネが住んでいたという話もあり、そのことなのでしょうか。。。
2月17日の朝に、また振り子で話してみると、長い話になっていきました。
誰が話し出すかわからなかったので、とりあえず質問を投げ掛けてみたのです。
私
Iさんは、どうなるのですか?
Iは、大丈夫だよ。
穴守稲荷のキツネが来ていたが、虹龍が戦っていたからな。
なぜ、穴守稲荷のキツネに攻撃されるのですか?
首塚には、行って欲しくないということだな。
なぜですか?
つまり、キレイにしたくないということだよ。
人々の欲望が渦巻いている場所だからな。
忘れないでという、念だな。
魅惑の祝詞が聞きたいと思っているのは、平将門の神だよ。
平将門は、スクナヒコが就いていたのだよ。
沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の話だな。
私は、今下書きしながら驚いています。
なぜなら、12月にこの神社のことをIさんが記事にしていたからです。
🌟近江八幡徒然3
私は、この頃にOさん達と神田明神に行っていて、気になったスクナヒコの像を撮ってIさんに送っていました。
彼からは、丁度、沙沙貴神社について、記事を作っていたところだと言われたのを思い出したのです。
平将門とスクナヒコは、関係があったのですね。
きっと、、、、
続きです。
宇多天皇とうまくやれなかったからだよ。
平将門は、真面目でいい人だったから、利用されてしまったのだな。
首塚に来る人達は、認められない無念の気持ちで来るから、「渦」が出来てしまったのだよ。
平将門だったOに伝えられているのは、「思い」の供養のことだな。
見つかったと思ったのだろうな。
Iは、キツネが攻撃していたが、龍神達が守っているよ。隅田川の龍神も、丸山古墳の恩義で動いてくれている。
私は、また下書きをしながら驚いています。
平将門を調べていた時に、その時の天皇は、宇多天皇ではなかったのですが、平将門の父の平良将(たいら の よしまさ)の主君は宇多天皇になっていたからです。
Iさんの沙沙貴神社(ささきじんじゃ)の話の中にも宇多天皇は出てきました。
宇多天皇を調べると、菅原道真(すがわらみちざね)や在原業平(ありはらなりひら)の名前が出てきて、菅原道真の大宰府への左遷は、実際には、醍醐天皇にされたのですが、醍醐天皇の父である宇多上皇に因る道真に対する溺愛があり、それが面白くなかったようですね。
菅原道真が亡くなった時に生まれた平将門は、生まれ変わりだと言われていたことがわかりました。
なかなかな、人間関係ですね。
そして、隅田川の龍神は、今年の1月7日の「魂の会」で、丸山古墳の石をキレイにしてあげたことを、恩義に感じてくれてIさんを助けてくれたようです。
一見、関係ないように思っていたことが、今になって繋がりを感じて、私は感動しています。
続きます。
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