日々なるようになる

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高知城

2010-03-24 | 西日本で過ごした時の記録です。

 

 

高知城 (重要文化財)   別名 ・・・ 大高坂城

現在見られる城は江戸時代初期に 山内一豊によって着工され 2代忠義の時代に完成しました。

天守は 4層6階となっています。

 

 

城の正門    追手門

 

 

山内一豊の妻の像

 一豊の妻といえば「内助の功」のお手本として知られていますが 名を「山内まつ」 「山内千代」ともいいます。

かつて一豊が織田家に仕えていた頃 馬市で名馬を見出したが買うお金がなかった。

その時千代は嫁入りの時に実家から持たされた黄金10枚を鏡の下から取り出し

「いざという時の蓄えにしていたので使ってください」と差し出したといいます。

それから程なくして馬揃えがあり その馬を見た信長の目にもとまり 出世の糸口に

なったとのことです。 そんなエピソードを像にしたものであります。

 

高知城 三の丸の桜 

 高知城の桜は有名ですが 満開に近い桜もありましたが ・・・ これからが満開の時のようでした。

満開に近い桜の下ではシートを広げ いち早くお花見を楽しんでいる方たちもおられました。 

 

 

板垣退助

日本の武士(土佐藩士) 政治家

自由民主運動の主導者として知られ 日本の民主政治の草分けとして人気が高く

太平洋戦争後 50銭(政府紙幣) 日本銀行券100円券に肖像が用いられた。

 

高知城公園の桜は満開に近く  一足早く 桜を楽しむことができました。

綺麗でしたょ。 

 

高知市内は今でも路面電車が走っていました。

「土佐の高知の播磨屋橋~♪」 歌にもある 播磨屋橋を見逃してしまった。

車道の播磨屋橋を通るときに 主人が 「あれが播磨屋橋だよ」 と教えてくれたのですが

「どれ どれ」 と 車の窓から眺めたのですが ・・・   あっという間に通り過ぎていたんですね。 

車を止めるわけにもいかないし ・・・ ね。 実に 残念でした。 

 

今回の四国への旅  いつもの如く行き当たりばったりで 宿泊するところも予約せずの旅でした。

なんとかなるものですね。 

 

 

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