南 大 門
広隆寺は推古天皇十一年(603年)に建立された山城最古の寺院であり、聖徳太子建立の
日本七大寺の一つです。 この寺の名称は、古くは蜂岡寺、秦公寺、太秦寺などといわれましたが
今日では一般に 「広隆寺」 と呼ばれています。 広隆寺の成立に就いて、日本書紀によると
秦河勝が聖徳太子から仏像を賜りそれをご本尊として建立したとあり、そのご本尊が現存する
弥勒菩薩であることが広隆寺資材交替実録帳を見ると明らかだそうです。
わが国に大陸文化を移し産業と文化の発達の源流・経済の中心ともなった太秦の、この広隆寺は
衆生済度の道の探求、仏法への絶対的な帰依、そして 「和を以って貴しと為す」 平和な世界をめざされた
慈悲の権化である聖徳太子の理想に尽力した秦氏の功業を伝える最も重要な遺跡であり
信仰と芸術の美しい調和と民族の貴い融和協調とを如実に語る日本文化の一大宝庫であります。
南大門の両脇には、立派な金剛力士像が立っています。
薬 師 堂
国宝 ・ 重要文化財 講 堂
綺麗に色づいた葉に見とれて ・・・ 国宝なのに全景を撮らないなんて ・・・
講堂は永万元年(265年)再建された京洛最古の建物で、俗に赤堂といいます。
中央に西方極楽浄土で説法をされている印を結ぶ阿弥陀如来坐像(国宝)
地蔵菩薩坐像(重文)虚空蔵菩薩坐像(重文)を祀っています。
上宮王院太子殿 (本堂)
1730年に再建された入母屋造りの堂で本尊に聖徳太子像を祀っています。
この太子尊像には、太子のいとく偉徳功績を景仰(けいぎょう)せられる歴代天皇が
即位大礼にご着用の黄櫨染御ほう(こうろぜんごほう)の御束帯が即位後増進されて
各天皇御一代を通じてお召しになるならわしであります。
十の善き戒め
成る程~ そうですよね。 いつも心に留めておかなくては ・・・
新霊宝殿前の蓮池
小さな蓮の蕾が一輪、ひっそりと佇んでいました。
新 霊 宝 殿
新霊宝殿には、世界が絶賛した弥勒菩薩像 をはじめ、天平・弘仁
貞観・藤原・鎌倉と各時代の仏像を祀っています。
弥勒菩薩半跏思惟像 (みろくぼさつはんかしいぞう)
(パンフレットより)
国宝第一号で、「東洋のモナリザ」 といわれています。
弥勒菩薩は、須弥山(しゅみせん)の弥勒浄土といわれている兜率天にて、菩薩の行につとめられ
諸天に説法しお釈迦様にかわって全ての悩み、苦しみをお救いくださり正しい道へとお導き下さる
慈悲の仏様です。 この半跏思惟像は「一切衆生をいかにして救おうかと考えている」お姿を表しています。
広隆寺を訪れたのは、今回で二度目ですが、以前はこんなに立派な新宝霊殿などはなかったと記憶しています。
実に 良いお顔をした 「弥勒菩薩さま」 です。 再度、拝礼することができ嬉しく思っています。
この日は、雨で気温は然程でもなかったのですが ・・・ なにしろ蒸し暑くて参りました。
お昼も大分過ぎていましたし、休憩を取りたいと思っていましたら ・・・ 広隆寺の正面に京料理のお店が
蔵造り風の外観の洒落たお店でした。 京料理 「ひし伊」 というお店です。
お手拭の他に冷たいお絞りをだしてくださり ・・・ その心遣い嬉しいですね。 器も涼しげでしょう?
更に、お素麺と、デザート付きで ・・・ とても満足のいく美味しさでした。
皆さんも、こちらにお越しの節は寄ってみてくださいね。 お奨めのお店です。
こちらは 一番手頃な 「京弁当」 です。
さて、美味しいお料理をいただいて満足した後は ・・・ とりあえず、荒電 で四条大宮まで出ることにしました。