功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

至上の決定権がある人と(2020-05-07 20:19:08)

2020-05-07 21:35:15 | On the Road
・・・至上の決定権があるひとと電話で、きょうの党対策会議の異例の結果 ( ひとつ前のエントリーを見てください ) を踏まえて、議論しました。
 消費減税などに向かっていった場合、財務省がどれほどのことを裏舞台でやってくるか、これまでの経験からして想像を絶するものがあるという話にもなりましたが、みなさん、やはり今が、敗戦後の日本を変えていくときです。
 どれほど変わるべきものであっても、平時には変わらない、変わりようがない。
 しかし一方で、危機を利用することも、決して、決して、あってはならない。


 仁徳天皇が、民の竈 ( かまど。台所のこと ) から煙が上がらないのをご覧になったときは、民が食事も作れない、まさしく生きることすら難しい危機にあったわけです。
 その危機を仁徳天皇は、まさしく民のために、税を取るのをおやめになることで超克されつつ、日本国の土台を造られた。
 私心を去られた一君のもとで万民のために国策が練られるという日本のオリジナルな民主主義を、むしろ危機によって確立された。


 そこから1500年ほどを経た、幕末の時代に、日本が列強に植民地にされようかという危機のなかで、坂本龍馬さんや高杉晋作先生らのような傑物だけではなく無名のまま屍 ( しかばね ) となった草莽 ( そうもう ) の志士までが、日本を新しい一君万民の国として打ち立てました。

 そして幕末から、150年ほど経た、現在のわたしたち。
 一君のご存在を、奸計を乗り越えてお護りしつつ、危機のさなかにて万民が再び一致点を探して、新しい連帯をつくるべきときです。

 まさかとお思いでしょうが、先ほどの電話ではその最後に、一瞬の呼吸にて、こうした世界観まで話したのでした。
 本物の危機を克服するためには、どうやってごはんを食べるか、民の竈から再び煙を上げるためにはどうすれば良いかという地を這う具体策と共に、歴史を貫く国家観、歴史観、すなわち哲学を持つことが不可欠だと、永く考えてきました。
 それを余人のいない電話でこそ、話すのです。



  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

叫ぶ!自由民主党(2020-05-07 19:51:08)

2020-05-07 20:56:19 | On the Road
▼連休明けのきょう5月7日木曜、武漢熱をめぐって自由民主党の合同会議が開かれました。
 会議は、およそ4時間20分ほど休みなく続き、ざっとのカウントでは95人前後の議員が発言しました。



▼国会に来て3年9か月半、これほど多くの議員が発言し、しかも発言のほぼすべてが、叫ぶがごとしだった自由民主党の会議は無かったですね。
 しかし、それだけなら、日本国民がこれだけ未曾有の苦しみのなかにあって、おいそれとは選挙区に入れない異常な連休であっても地元の声をずっと聴いてきた議員たちの発言ですから、当たり前といえば当たり前です。



▼異例だったのは、首脳陣が用意した、議論のまとめの紙が、ほとんどの議員の烈しい反対によって諒承されずに終わったことです。
 そのうえで、第二次補正予算案をつくる作業にすぐに入ることでは、事実上、一致しました。

 詳しいことは、あとで記します。
 まずは速報です。
 いま自宅に戻ってきたばかりですが、水面下で電話協議、議論をせねばなりません。

▼ごく端的に言えば、この異例の会議はむしろ、自由民主党が内側から変わるきっかけになり得ると考えています。
 これが楽観論にならないように、これまで以上に辛抱強く、おのれを捨てて、また、おのれを消して、掛かりたいと考えています。




  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする