功山寺決起

青山繁晴事務所から自由民主党の党員になりました。(2020年)

飯田アナの「現場主義」(2020-05-16 19:04:23)

2020-05-16 22:49:37 | On the Road

▼その2にて記したように、きのう5月15日金曜、参議院の本会議を終えて議員会館の部屋に戻ると、早朝にリモート番組参加でご一緒したばかりのニッポン放送、こうちゃんこと飯田浩司アナウンサーが座っていらしたのです。

 ぼくは、昨日の疲弊した体調では、階段登りがことのほかハードで、ぐったり状態でドアを開けました。
 秘書さんが「飯田さんが・・・」と教えてくれているのに意味が分からず、ドアを入って左手のちいさな会議室に飯田アナが居るのが眼の隅に入っているのに分からず、一瞬ぼんやり、したのです。
 だってね、番組でご一緒したからといってすぐに挨拶やお礼に来られるMCはふつう、居ないですよ。
 なんと誠実な、おひとでしょうか。



▼なにか特別な話があるのかな、ともチラリ、思いました。
 そういうわけでもなくて、こうちゃんは「半年ぶりに、番組に出ていただいたので、ちょっとお顔を」と仰っていました。
 話は自然に、番組のなかでぼくが勝手に、「金曜の夕方以降は、国会日程が入らないことが多くて、東大のゼミナールもそこに入れています。金曜に飯田アナ、新行アナと3人でトーク番組できないですかね」という趣旨の話を、もちろん打ち合わせなしに、勝手にしてしまったことに及びました。

 飯田こうちゃんと話したことをみなさんにもありのままに申すと・・・

ぼく 「虎ノ門ニュースのレギュラー参加が終わって、意外なほど身軽になった感があります。月曜の朝8時から10時まで、実質的には、準備と番組の前後を含めて朝3時くらいから10時半すぎまで、必ず時間を費やすのは、ほんとうに大変だったんだなと、あらためて思うんだよね」

こうちゃん 「わかります。8時の生放送開始だと、部会 ( 自由民主党が全ての分野別にひらく議論の場 ) ともちょうど、ぶつかりますもんね」

ぼく 「そうなんだよね~」

( ※ 部会は毎日のように開かれます。そのなかでは月曜は開かれない確率が少しは高いことを、秘書さんとも協議のうえ、番組側に頼み込んで月曜にしてもらったのでした。ところが実際は、党の部会だけではなく本会議をはじめ国会日程とぶつかることも多かったです。公務絶対優先ですから、そうなると、番組参加をキャンセルせざるを得ません。しかも国会日程は与野党の協議、つまりは政治的なナマの駆け引きで決まるから急な変更や決定も多くて、番組はドタキャンとなり、正直、辛かったです )

ぼく 「その困りごとが無くなっただけで、ずいぶんと、自由になった気がするんだよね。番組を楽しみにしてくださった沢山のかたには本当に申し訳ないし、サテライト・スタジオの前の路上で寒いなか、暑いなか、集まってくださったかたがたにも凄く申し訳ないんだけど・・・」

こうちゃん 「うん、うん、よく分かります」

ぼく 「その自由な気分で、まえにご縁のあった関西のテレビ局のひととショートメッセージで雑談してたら、なんと今、自粛ポリスを怖れてスポンサーがどんどん降りてしまったりしてるんだって ? 」

( ※ これは関テレのひとではありません。誤解なきよう )

こうちゃん 黙って頷く

ぼく 「そのテレビ・プロデューサーが、武漢熱が落ち着いてきたら、なにか考えたいですね~と仰っていたから、今朝のラジオでも、急に、金曜を活かしてなんかやりたいねと言っちゃった」

こうちゃん 「なるほど。よく分かりました。あれこれ考えてみましょう」



▼それにしても、この訪問、飯田浩司アナウンサーの思いやり、礼儀正しさに加えて、彼の素晴らしい「現場主義」があると思います。
 飯田こうちゃんは、きのう以外にも、国会議事堂の廊下で、ぼくが予算委員会の審議から出てくるのを待っていたりするんです。
 常に現場を歩いているひとです。
 久しぶりの番組参加のあとのぼくとナマで話すのも、きっと、ちいさな現場なのでしょう。



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14階の階段を上がると、飯田アナがいた(2020-05-16 08:41:56)

2020-05-16 22:33:06 | On the Road

 ニッポン放送の生放送が終わって、ぼくはそのあと、朝早い段階で議事堂に移り、国対 ( 国会対策委員会 ) に政審 ( 参議院自由民主党・政策審議会 ) の副会長として陪席し、そこから本会議に出席しました。
 本会議は正直、予算委員会と同様に疲弊します。
 議論というより罵倒だからです。

 足を引きずるようにして地下から12階まで、中二階を含んで14階分の階段を登って、議員会館の青山事務所に戻ると、なんと、そこに飯田浩司アナウンサーがいたのです。



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圧倒的な存在感!(2020-05-16 07:38:12)

2020-05-16 16:08:00 | On the Road

▼きのう5月15日金曜、朝6時すぎに議員会館の青山事務所に入り、ニッポン放送と音声などの調整・確認作業を終えて、生放送となりました。
 始まってみるとすぐ、実は、困難に直面しました。
 議員会館の部屋はふつうの壁の会議室なので、ラジオ局のスタジオと違って残響が大きいのです。
 自分の耳あるいは脳には、おのれの声が位相のずれた状態で二重、いや三重ほどにも聞こえて、信じがたいほど話しにくかったです。
 言葉を続けようとすると、自分の前の言葉が、繰り返す波のように重なってきます。
 思わず、いったん話すのをやめようかと考える自分を振り切って、振り切って話さねばなりません。
 まさかの、おのれとの戦いです。

 せっかく朝早くから聴いてくださっているリスナーにもこのように聞こえてしまっているのではないかと、気が気でない。
 しかし話すべきはしっかり話し、伝えるべきを伝えねばならないので、そのように心がけながら、久方ぶりの飯田浩司アナウンサー、新行市佳アナウンサーとの対話を続けました。
 CMや交通情報、お天気などの度にニッポン放送のスタッフに聞くと、放送では全く問題が無いとのことで大安心しましたが、ぼく本人は最後の最後まで、危機対応のトレーニングみたいでした。わはは。



▼それにしても、番組がちゃんと、5月15日が沖縄の祖国復帰の日であることを意識して、ミニコーナーをつくってくれていたり、消費減税をめぐる護る会 ( 日本の尊厳と国益を護る会 / JDI ) の取り組みをめぐって、これもミニコーナーを用意してくれていたり、プロフェッショナルな仕事ぶりに感嘆しました。
 朝の番組は、こういう工夫がやりにくいはずです。
 それを志を持って、乗り越えようとしていてくれました。

 ニッポン放送の『ザ・ボイス』を懐かしみ、「テレビもそうだけど、ニッポン放送のラジオには特に復帰して欲しい」という声をずっと絶えずに、数多くのかたから頂いています。
 うーむ。
 ラジオや地上波のテレビは、ぼくが国会議員、それも特定の政党の議員、なかでもメディアに悪の権化として扱われている自由民主党の議員になったために、番組参加がなくなった実態もあります。
 それだけではなくて、TVタックルや朝生のように、こちらからお断りし続けてオファーが絶えた番組もあります。
 一方で、「議員になって3年10か月近く経ちました。ぼくは変わらないことを、そろそろ理解してくれてもいいのにナァ」とふと、思うような番組や局もあります。




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