▼きのうの10月3日の日曜夜、ぼくの方から電話しました。
動画 ( これです ) でお話ししたとおり、9月5日の日曜に、やはりぼくから電話して以来の会話ですね。
その時は、こう高市さんにお話ししました。
「実は、ぼく自身が総裁選に打って出る覚悟をしていました。しかし高市さんがお出になるなら、支持層を分断することにもなりますから、ぼくは断念して高市さんから要請されていた推薦人をお受けします」と伝え、高市さんはたいへんに喜んでくださいました。光栄なことです。
それ以来ですから、ほぼ1か月ぶりにお話をしたわけですね。
動画 ( これです ) でお話ししたとおり、9月5日の日曜に、やはりぼくから電話して以来の会話ですね。
その時は、こう高市さんにお話ししました。
「実は、ぼく自身が総裁選に打って出る覚悟をしていました。しかし高市さんがお出になるなら、支持層を分断することにもなりますから、ぼくは断念して高市さんから要請されていた推薦人をお受けします」と伝え、高市さんはたいへんに喜んでくださいました。光栄なことです。
それ以来ですから、ほぼ1か月ぶりにお話をしたわけですね。
▼高市さんはとても明るく、いま政調会長として総選挙の公約づくりに取り組んでおられること、その中身について活き活きと熱心に話されました。
これも、上掲の動画で、総裁選中のことについてぼくの解釈をありのままにお話ししましたね。
「 ( すでに推薦人となっているような ) 味方と話して時間を費やすより、味方じゃ無いところにいかに食い込んでいくかに集中されていたのだろう。凄いことだ」という趣旨です ( 言葉の通りではありません ) 。
その解釈の正しかったことを感じました。
▼そして高市さんはほんとうは、8月に電話で推薦人をぼくに依頼されたとき、そして議員会館の青山繁晴事務所へ来られて、あらためて推薦人を依頼されたとき、いずれも、高市内閣ができた場合にぼくをどのように活用するかについて、具体的に語っておられたのです。
そうした処遇や人事について、ぼくは一切考えていなかったので、何もお答えしませんでした。ひとことも、です。
その具体的な中身については、このブログは無条件の公開情報の場ですから、述べません。
その「活用」を、総裁選に勝っていたら実行するつもりだったことを、ゆうべの電話で重ねて述べられました。
ぼくは、それについてはやはり、何もお答えしませんでした。
高市さんはそして、政調会長の仕事でも諸事、連携したいという趣旨を仰いました。
それはもちろん、しっかり連携しますとお答えしました。こゝろからの答えです。
▼高市さんとは、おたがいに「これは国家機密ですね」という話もしましたが、それは当然、あきらかにできません。
▼上記はいずれも、具体的な中身に踏み込んでいません。
それは、電話での会話、議論の鉄則です。
電話は基本、一対一であり、公開する前提ではありません。
電話によってたっぷりの会話、議論、協議があった、そのことだけは、ひと晩と今日の午前中、じっくり考えたうえで、こうやって、公開情報であるブログで述べました。
▼ちなみに、高市政調会長とはゆうべの電話で、経済をどうするかの話も当然ながら、しました。
肝心な話として議論しました。
経済について動画で話すと必ず、あの経済評論家に聞け、この学者に聞けというコメントが来ます。聞いてくださいね、ではなく、聞け、この野郎という調子のものもあります。
どんどん意見を自由に仰ってください。
ただ・・・
共同通信の経済記者だったとき、経済評論家の批評、説、論評にあまり重きを置いていませんでした。
ひとつには、企業の役員や広報部長から、その癒着ぶりを聴いていたからです。もちろん一部のことだとは信じています。
そのあと政治記者になると、政治評論家をあまり信頼できませんでした。
政治家から、官房機密費の意外な行方なども聴いていたからです。これももちろん一部のことでしょう。
ぼくは現場で、謙虚に生きたいと考えています。
経済をどうするか、それを議論するときにも、同じです。
現場を生きるとは、癒着を避け、突き放すことでもあります。すなわち客観的な事実の積み重ねに徹します。
ただし寛容であること、それから底には大きな愛があることは、絶対条件ですね。
そのうえで、どのような意見も歓迎します。
これも、上掲の動画で、総裁選中のことについてぼくの解釈をありのままにお話ししましたね。
「 ( すでに推薦人となっているような ) 味方と話して時間を費やすより、味方じゃ無いところにいかに食い込んでいくかに集中されていたのだろう。凄いことだ」という趣旨です ( 言葉の通りではありません ) 。
その解釈の正しかったことを感じました。
▼そして高市さんはほんとうは、8月に電話で推薦人をぼくに依頼されたとき、そして議員会館の青山繁晴事務所へ来られて、あらためて推薦人を依頼されたとき、いずれも、高市内閣ができた場合にぼくをどのように活用するかについて、具体的に語っておられたのです。
そうした処遇や人事について、ぼくは一切考えていなかったので、何もお答えしませんでした。ひとことも、です。
その具体的な中身については、このブログは無条件の公開情報の場ですから、述べません。
その「活用」を、総裁選に勝っていたら実行するつもりだったことを、ゆうべの電話で重ねて述べられました。
ぼくは、それについてはやはり、何もお答えしませんでした。
高市さんはそして、政調会長の仕事でも諸事、連携したいという趣旨を仰いました。
それはもちろん、しっかり連携しますとお答えしました。こゝろからの答えです。
▼高市さんとは、おたがいに「これは国家機密ですね」という話もしましたが、それは当然、あきらかにできません。
▼上記はいずれも、具体的な中身に踏み込んでいません。
それは、電話での会話、議論の鉄則です。
電話は基本、一対一であり、公開する前提ではありません。
電話によってたっぷりの会話、議論、協議があった、そのことだけは、ひと晩と今日の午前中、じっくり考えたうえで、こうやって、公開情報であるブログで述べました。
▼ちなみに、高市政調会長とはゆうべの電話で、経済をどうするかの話も当然ながら、しました。
肝心な話として議論しました。
経済について動画で話すと必ず、あの経済評論家に聞け、この学者に聞けというコメントが来ます。聞いてくださいね、ではなく、聞け、この野郎という調子のものもあります。
どんどん意見を自由に仰ってください。
ただ・・・
共同通信の経済記者だったとき、経済評論家の批評、説、論評にあまり重きを置いていませんでした。
ひとつには、企業の役員や広報部長から、その癒着ぶりを聴いていたからです。もちろん一部のことだとは信じています。
そのあと政治記者になると、政治評論家をあまり信頼できませんでした。
政治家から、官房機密費の意外な行方なども聴いていたからです。これももちろん一部のことでしょう。
ぼくは現場で、謙虚に生きたいと考えています。
経済をどうするか、それを議論するときにも、同じです。
現場を生きるとは、癒着を避け、突き放すことでもあります。すなわち客観的な事実の積み重ねに徹します。
ただし寛容であること、それから底には大きな愛があることは、絶対条件ですね。
そのうえで、どのような意見も歓迎します。