▼すでに一度アップした写真を、もう一度、載せたのには訳があります。
『あれ、この写真、右端が切れているのかな?』と思ったひとも、いらっしゃると思います。
ほんとうはこの写真の右端には、息子ふたりがいます。 ( ぼくの公務、仕事とまったく関係していない家族をターゲットにしようとするかたも、内心の憤りを抑えて申せば、います。だから写真にうつった姿をブログに出しません )
『あれ、この写真、右端が切れているのかな?』と思ったひとも、いらっしゃると思います。
ほんとうはこの写真の右端には、息子ふたりがいます。 ( ぼくの公務、仕事とまったく関係していない家族をターゲットにしようとするかたも、内心の憤りを抑えて申せば、います。だから写真にうつった姿をブログに出しません )
おととい10月8日金曜に、参議院の本会議場で同僚議員が「青山さんが、すぎやま先生とお付き合いがあったなんて、意外でした」と仰いました。
このブログに先に載せた2枚の写真を、ちらりとご覧になったのかも知れませんね。
そして「すぎやま先生のドラクエで育ったので、ご逝去がショックで・・・」とも言われました。
ぼくの息子たちは、この同僚議員よりもかなり年下ですが、やはりドラクエとともに生きてきたのではないかと思います。だから、すぎやまこういち先生とお会いするたびに、静かに感激していました。
▼当のすぎやまこういち先生はいつも「ドラクエは、ほんとうは愛国の物語なんだよ」と、ぼくにも、家族にも話してくださいました。
すべてのドラクエファンに、それを考えてほしいんだというお気持ちも感じました。
今回のご逝去の報道では、愛国者であることを意図的に無視するものがほとんどでした。
産経新聞はさすがに、第2社会面でそれに触れた記事を載せましたが、正直、中途半端な書きぶりでした。
実際のすぎやま先生はもっと、もっと強烈で、「いまは日本軍と反日軍の戦いなんだ」ともいつも仰っていました。
ね? ぼくよりずっと烈しい表現でしょう?
すぎやま先生はそれを、さらりと、何の気負いも、ためらいもなく言われるのです。
敗戦を直に体験された日本人としても、まことに例外的な、真っ直ぐな愛国者でした。
▼すぎやま先生は、素晴らしい奥さまに支えられた生涯です。
その奥さまとほんとうに仲良く、独立講演会に何度もお出でくださいました。
おかげで、独立講演会に参加されたみなさんとも交流があったのです。
その交流を語るコメントを、このブログに沢山いただいています。
うちひとつを、その一部だけ、紹介しておきます。 ( このコメントをくださったかたは、IDCの会員でもあり、プライバシーに触れる内容でもありませんから、一部の紹介を許してください )
~ 以下、一部の引用です ~
いつだったか、独立講演会の休憩時間にタバコ部屋で、すぎやまこういち先生とご一緒し、少し言葉を交わすことが出来ました。
その中で「あの子は体、強いからねぇ、ホント」とすぎやま先生。
その後、IDC ( 青山註 インディペンデント・クラブ ) の会員連中と有楽町の飲み屋へ。
「青山さん、また完徹だから」
「そういえば、すぎやませんせ、あの子は体、強いからねぇ、ホントとか仰ってたよ。。」
「へぇー青山さんのこと『あの子』とか言ってんだーーー、、うぉぉぉぉ」
ということになりました。
ははは、なんか思い出すと、ニヤけてしまいますが・・・ ( 後略。にやりと笑ってしまったあとには、涙されたことが独自の表現で書かれています )
~ 一部の引用、ここまで ~
わはは。
ぼくと向かい合っているときには「あの子」風のご発言は無かったですが、先生の本心としては、そうだったのかも知れませんね。
▼すぎやまこういち先生と家族ぐるみのお付き合いの思い出は、あまりに深く、また日本国の今後を考えると、客観的な意義もあると考えます。
だから、このあと、出逢いから始まって最期の日々まで、何回かに分けて少しづつ書いていこうと考えています。
ただしプライバシーに属することは除いて、です。
このブログに先に載せた2枚の写真を、ちらりとご覧になったのかも知れませんね。
そして「すぎやま先生のドラクエで育ったので、ご逝去がショックで・・・」とも言われました。
ぼくの息子たちは、この同僚議員よりもかなり年下ですが、やはりドラクエとともに生きてきたのではないかと思います。だから、すぎやまこういち先生とお会いするたびに、静かに感激していました。
▼当のすぎやまこういち先生はいつも「ドラクエは、ほんとうは愛国の物語なんだよ」と、ぼくにも、家族にも話してくださいました。
すべてのドラクエファンに、それを考えてほしいんだというお気持ちも感じました。
今回のご逝去の報道では、愛国者であることを意図的に無視するものがほとんどでした。
産経新聞はさすがに、第2社会面でそれに触れた記事を載せましたが、正直、中途半端な書きぶりでした。
実際のすぎやま先生はもっと、もっと強烈で、「いまは日本軍と反日軍の戦いなんだ」ともいつも仰っていました。
ね? ぼくよりずっと烈しい表現でしょう?
すぎやま先生はそれを、さらりと、何の気負いも、ためらいもなく言われるのです。
敗戦を直に体験された日本人としても、まことに例外的な、真っ直ぐな愛国者でした。
▼すぎやま先生は、素晴らしい奥さまに支えられた生涯です。
その奥さまとほんとうに仲良く、独立講演会に何度もお出でくださいました。
おかげで、独立講演会に参加されたみなさんとも交流があったのです。
その交流を語るコメントを、このブログに沢山いただいています。
うちひとつを、その一部だけ、紹介しておきます。 ( このコメントをくださったかたは、IDCの会員でもあり、プライバシーに触れる内容でもありませんから、一部の紹介を許してください )
~ 以下、一部の引用です ~
いつだったか、独立講演会の休憩時間にタバコ部屋で、すぎやまこういち先生とご一緒し、少し言葉を交わすことが出来ました。
その中で「あの子は体、強いからねぇ、ホント」とすぎやま先生。
その後、IDC ( 青山註 インディペンデント・クラブ ) の会員連中と有楽町の飲み屋へ。
「青山さん、また完徹だから」
「そういえば、すぎやませんせ、あの子は体、強いからねぇ、ホントとか仰ってたよ。。」
「へぇー青山さんのこと『あの子』とか言ってんだーーー、、うぉぉぉぉ」
ということになりました。
ははは、なんか思い出すと、ニヤけてしまいますが・・・ ( 後略。にやりと笑ってしまったあとには、涙されたことが独自の表現で書かれています )
~ 一部の引用、ここまで ~
わはは。
ぼくと向かい合っているときには「あの子」風のご発言は無かったですが、先生の本心としては、そうだったのかも知れませんね。
▼すぎやまこういち先生と家族ぐるみのお付き合いの思い出は、あまりに深く、また日本国の今後を考えると、客観的な意義もあると考えます。
だから、このあと、出逢いから始まって最期の日々まで、何回かに分けて少しづつ書いていこうと考えています。
ただしプライバシーに属することは除いて、です。