主権者・国民の利益のため、これだけです。
▼そして、動画を収録したあと、ほんとうに公正な人である井上ディレクターと、健康な感覚を持つ三浦麻未公設第一秘書に、相談すべきは相談して、「これは欠かせないでしょう」という意見でふたりが一致した内容だけ、残して、アップしているのです。
▼収録の前には、いつも申しているとおり、事前の打ち合わせや摺り合わせをしません。
ほんとうはしていることを「してない」と言ったりしない。
収録では、演出も仕掛けも何もなく、ぼくは語り、三浦秘書が反応し、収録中でも井上ディレクターに意見を聴くべきは聴いています。
一方で収録のあとは、ぼくが気になる点を聴くと、三浦秘書、井上ディレクターがきちんと言うべきを言ってくれます。井上ディレクターから問題提起があることも、数は多くないですが、あります。
ぼくは自分の意見にあまり拘らず、「あそこは無くてもよいのでは」と提案があれば、そこをカットしてもらいます。
したがって、アップされた動画は、ぼくの勝手な視点だけで語られてはいません。
▼今回の総裁選が、党員・党友の投票方法などに大きな課題があることを浮き彫りにしながら、国民の多くと一緒に考える総裁選になったのは、ほんとうに画期的です。
半面で、予想通りの絶対視、極端な礼賛などが出てきて、ぼくに「あれは言うな」、「これを言うな」という圧力が掛かります。
この圧力、自由民主党の政治家とか、官僚機構とか、当局のどこかからは、一切ありません。
その意味で、やはり日本はしっかりした民主主義国家です。
まぁ、この場合はぼくからの反撃も徹底的に遠慮なくやりますから。
自由民主党の参議院議員になって間もなくの頃、当時あった「みのもんたの夜ズバ」というネット番組で、ある大臣について辞任すべきだと発言したところ、呼び出しがあり、「党の方針と違う」とえらい人たちから強く言われました。
ぼくはその場で反論し、えらい人たちはやがて、じっと耳を傾けられ、それ以来、どこで何を言っても、えらい人の側からは何も無くなりました。
▼一方で、民主主義の宿命として、ぼくが扶 ( たす ) けになりたいと懸命に努力している、その普通のひとびとのなかから、発信を変えさせようとする人も現れます。
そのとき、必ずと言っていいほど「失望した」、あるいは「これまでお世話になりました。さようなら」という言葉で締め括られます。
無視すればいい、という意見を、身近な周辺からもちろん受けます。
正しいと思います。その通りでしょうね。
しかし、ぼくはどなたをも、無視はしません。
ぼくが生きているあいだは、変わらなくて、いい。
ぼくが居なくなったあとに、ふと、あれは違っていたかなと思われる時が万一あれば、それで、ごくごく満足です。
もっともその時ぼくは、もはや何も感じることがないでしょう。
魂になってから考えているほど、しつこくないです、ほんらいの性格は。