
龍馬が暗殺された時に持っていた吉行は今京博にある(読売新聞 2016年5月11日 37面掲載)が、実は一度釧路で焼けて反りがなくなっていた。釧路で育ちながら全く知らずにいた。参考

坂本商会の前で従業員らと写真に納まる坂本彌太郎(前列赤ちゃんの左側)=明治41年1月3日撮影の裏書きがある
黒金町から幣舞橋まで消失したらしい。啄木は1908年、その後の話だ。写真は啄木が釧路に来た頃の全盛期の坂本商会だろう。
『2016年05月26日 釧路新聞
近江屋暗殺時の龍馬「愛刀」、釧路で大火
没後150年を迎える坂本龍馬の特別展覧会を10月に開催する京都国立博物館の発表によると、龍馬が近江屋で暗殺された際、敵刃を受けた愛刀「吉行」(陸奥守吉行作)が1913年(大正2年)、釧路市内での大火に遭い、研ぎ直されていた事実が判明した。形状と刃文の違いから疑問視する指摘もあったが、新たな坂本家の資料と最新機器の調査で疑念を晴らした。日本の歴史を転換させた龍馬の多くの貴重な遺品が釧路にあった事実が広く知られることになりそうだ。』
出身中学の話
『釧路市立景雲中学校(秋保和久校長)の科学部2年の渡邉陽斗さん(14)、同三富昴耶さん(14)、1年の益子翔伍さん(12)の3人が12月に茨城県で行われる5回目の「科学の甲子園ジュニア全国大会」へ出場する。同校科学部の全国大会出場は初の快挙。』