公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

残念な人 大前研一氏

2021-01-27 13:10:00 | 知識を消費するということ
久しぶりに大前研一の文章を読んだが、尊敬する大前研一は活きの下がった魚専門の魚屋に成り果てていた。もはや彼はダボス人でも地球人でもない。ふわふわと古い話題を今更啓蒙するガリレオの亡霊のような正しさ時を射ない虚しさが同居する。今頃一帯一路が独裁者の夢だと言ってる評論家は政治系Youtuber未満の情報家。つい最近自分で「中国を敵視して過度に制裁・排除することは避けるべきだ」と書いたことを後悔しているのだろうか? 20年前はいくらか尊敬していた人物だけに残念。
One Belt, One Road" is the Idea of a Dictator

 

 The "One Belt, One Road" concept of a wide-area economic zone is also in line with Hitler's imperialist policy of territorial expansion and aggression. President Xi is planning to turn Beijing into the "World Capital" of the 21st century through the "One Belt, One Road" project, while Hitler was also planning to transform Berlin into the "World Capital of Germania. In the past, Napoleon built the Arc de Triomphe and other structures to turn Paris into a city worthy of being the capital of Europe (the world capital at that time), but dictators always dream of becoming the "world capital," and in this sense, I think Xi Jinping and Hitler's ideas overlap greatly. In this sense, I believe that Xi and Hitler's ideology overlap very much. If we look at history "in light of history," as Xi often says, this is the "road we have come down.

 

 What is instructive here is the Munich Conference of 1938. British Prime Minister Chamberlain met with Hitler, who was about to invade Czechoslovakia, and in order to avoid war, he fully accepted Hitler's demands and ceded the Zdeten region of the Czech Republic to Germany on the condition that no further territorial demands would be made. However, Hitler invaded Poland the following year, and World War II broke out.

 

 Prime Minister Chamberlain's decision to compromise with Hitler by adopting a policy of appeasement was a mistake, but Japan's response to the Tiananmen Square protests followed in his footsteps. According to diplomatic documents released by the Ministry of Foreign Affairs at the end of last year, Prime Minister Muneyuke Uno, who attended the Arush Summit in July 1990, adopted a policy of appeasement by including the phrase "avoid isolation of China" in his condemnation of China in order to avoid a deterioration in relations with China. It is said that he was an advisor to Taiwan's China Airlines at the time.

 

 At the time, I was rebuilding the management of China Airlines in Taiwan as an advisor, and I urged the company's management team (all of whom were former Air Force generals) to "attack China now and unify" and "if we do that, the whole world will support us," but they did not budge. In the end, the Chinese Communist Party survived the suppression of the democracy movement, leading to the current extremely powerful Xi Jinping regime.

 

 So how should Japan deal with the haughty Xi Jinping dictatorship from now on?  In this series of articles (New Year's Special), I wrote that "Japan should avoid looking at China as an enemy and excessively sanctioning or eliminating it," but on the other hand, I also think that a policy of appeasement may lead to an invasion of Taiwan. The U.S. and the U.K. have already deployed an aircraft carrier strike group based on the premise of a "Taiwan contingency," and if there is a contingency, the U.S. military will undoubtedly use Okinawa as a base. It is important to learn from the historical analogy of the failure to stop Hitler's invasion on the premise that Japan would have to be directly involved in a Taiwanese contingency.

[Profile
Kenichi Ohmae was born in 1943. Kenichi Omae was born in 1943. After working as the head of McKinsey & Company's Japan office and as a director at the company's headquarters, he left the company in 1994. Currently serves as Chairman of the Board of Business Breakthrough and President of Business Breakthrough University. His latest book is "Japan's Talking Points 2021-22" (President Inc.). He is also the author of many books, including Shogakukan Shinsho (New Work Power: How to Work Differently in the "Telework Era").

「一帯一路」は独裁者の発想



作詞家松井五郎氏(63)のプロデュースで全7曲収録。<1>92年11月発売「風の姿」<2>91年10月発売のデビュー曲「花をください」<3>「プレゼント」は玉置浩二のシングルのカバーで昨年12月にリリース<4>新曲「まわり道」<5>新曲「Yellow data-reader-unique-id="27"><1>「風の姿」は中島みゆき(68)の作詞・作曲。4枚目のシングルのセルフカバーだ。92年の日本テレビ系主演ドラマ「綺麗になりたい」の挿入歌とNTTコードレスルームテレホンのCMソングに起用された。

<歌詞>そんな人だと思わなかった、と言われて

と歌い出す。

「歌っていた当時は18歳。難しい歌ですねぇ(笑い)。歌詞を読み返すと、よく歌っていたなと思えるくらい、非常に深い。当時、この歌詞に共感していました。芸能界に入って数年たっていて仕事は順調だったんですが、自分とは全く違う役柄を自分だと思われてしまう、取材で与える印象と自分自身とのギャップがありました。いまだに芸能の仕事が自分に向いているとは思わないんです。表現することは好きなんですが、自分自身をアピールするより、作品として作り上げたものを出したいんです。一方で、自分の見られ方が、自分が思うのと違っていて、なんか見抜かれているような気がしていました」

中島とは92年の初主演映画「奇跡の山 data-reader-unique-id="32">「私の世界を、こういう風に書いてくれたんだと不思議な感じがしました。(中島の)歌の世界をずっと知っていて、お会いしたらすごく気さくな人だった。よくお笑いになる方でした」

<2>「花をください」は飛鳥涼(現ASKA=62)の作詞・作曲。プロデュースの松井氏は81年にCHAGE data-reader-unique-id="34">「まさにデビュー曲。私がCHAGE data-reader-unique-id="35"><3>「プレゼント」は玉置浩二(62)の05年のシングルをカバー。松井氏が作詞で、玉置が作曲。“日本で一番歌がうまい歌手”と言われる玉置の歌のカバーを松井氏が提案、昨年12月に配信シングルとして発売した。

「すごく美しい歌。コロナの時代にメッセージを込めた気がします。男性の歌をカバーするのは、キーも違うので、その時点であまり原曲のことを気にしないですみます。意識してもまねられないので、自分自身が、どうこの曲を解釈するかという意識で取り組みました」

<4>「まわり道」は松井氏が作詞で、作曲はシンガー・ソングライター森恵(35)の新曲。

<歌詞>まわり道が一番近い data-reader-unique-id="39">「森さんが初めて他人に提供してくれた曲。私にとって、すごく等身大の曲。私も結構、まわり道ですから(笑い)。なにしろ28年ぶりですから」

<5>「Yellow data-reader-unique-id="41">「マシコさんは私のことを学生時代から応援してくれていて、松井さんに『実は中江さんのファンで』って伝わって、松井さんが依頼しました。詞先でジャズっぽい曲です」

<6>「永い一日」は松井氏の作詞で、作曲のChage(63)が14年に発売したシングルのカバー。

「長年付き添ったパートナーのことを歌う曲。Chageさんが歌うと男性の曲なんですけど、『僕と君で』という一人称でも私が歌うと、朗読的な、物語を俯瞰(ふかん)して歌うような要素が出てくるんです。アルバムに飛鳥(ASKA)さんとChageさんが入っているのは、松井さんの思いですね」

<7>「いつも」は松井氏の作詞、松本俊明氏の作曲。昨年10月に27年ぶりの新曲として配信リリース。母への思いを歌っている。昨年8月には、1年間の闘病の末に自身の母親を亡くした。

「母が亡くなる前にもらった曲ですが、病気になって覚悟していました。母の亡くなる前後で、歌うことが、自分の感情をつなぎとめてくれました。歌う時は泣いちゃいけないという思いが、支えてくれました」

演じること、書くことを続けてきて、昨年歌手活動を27年ぶりに再開した。「四半世紀ぶり以上に歌う時、全く前とは同じように歌えませんでした。年も重ねているし、声も変わっている。昔の歌い方をしようとしてもできないし、通用しない。結局、戻れないんですから、進化するしかない(笑い)。『風の姿』や『花をください』を歌う時に比較するのが、かつての自分っていうのが、一番手ごわかったんですけどね」

昨年2月にデビュー32年目にして初めてのライブを行った。念願のアルバム発売を果たして、次の目標は再びライブを開くことだ。「もちろん予定していたけど、今の時期なので延期しました。お芝居をしたり、物を書いてきました。お芝居は泣いたり、笑ったりする。物を書く時は、笑おうが泣こうが関係ない。歌はクールに表現しながら、そこに自分の感情を乗せて行く。そういうことに今回、気が付きました」

新たなスタートが加速し始めた。

◆中江有里(なかえ・ゆり)1973年(昭48)12月26日生まれ、大阪府出身。89年JR東海のCMでデビュー。90年のTBS系「なかよし」で女優デビュー。91年にはシングル「花をください」で歌手デビュー。92年の日本テレビ系「綺麗になりたい」で、連続ドラマ初主演を果たす。95年のNHK連続テレビ小説「走らんか!」ではヒロイン。13年に法大通信教育部文学部日本学科を卒業。



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