かつてこのブログで《個人の目標が次世代にも続くように生きる方法を選ぶことだけ面白味があるのかもしれない。しかし、そんなことを考えずとも毎日がその日で普遍的に完結するのならば、どれだけ幸せな人生だろう。その時は人生の目標や生き方など自分には関係ないだろう。》と書いたが、
野村克也 ノムさんの沙知代亡き後のぼやきを読んで、
沙知代が死んでしまってしばらくは、何もする気が起きなかった。
〈何もない人生〉
そんな言葉がふと頭をよぎる。俺の人生は、もう終わりだ。朝起きてすぐに、そんな詮無いことを考える。
それでも、テレビに雑誌と、いただいた仕事はすべてこなした。
- 野村克也氏が、妻・沙知代さんが死去してからの生活を週刊現代に記している
- 「沙知代が死んでしまってしばらくは、何もする気が起きなかった」と野村氏
- 位牌に「君がいない毎日は、本当につまらないよ」とボヤくこともあるそう
ハリガネセンチュウの逸話を思い出してちょっと泪が出てしまった、ノムさんにはその日をその日で完結する喜びが老人には大切だと思った。ノムさんはまだ仕事の依頼もあるようだが、この夫婦は究極の寄生戦略である脳を支配する典型で、妻が夫の脳を支配することで完成していた関係が、たまたま予定外に寄生人の方が先に死んだというだけ。野村克也は脳が沙知代に支配されたまま孤独に放置されいるから気の毒です。ルノーに寄生された日産も同じで、脳がやられているから離れられない。
挑戦も大切だが、全てを賭ける挑戦など必要ない。人生の目標など持たずに生きることが理想でなければ、本当に続く社会ではない。死に方を含めた脳の維持が大切。