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公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

終戦から75年のこの日

2020-08-15 01:18:00 | 日記
黙祷
75年
時間とは語り得ないものの一例である。語り得ない世界を人ばかりでなく草木月花、禽獣山河それぞれに持っているということが日本人の世界観であった。それ故にどこか自分にあらざるものが自分の一部であり、仮に自分の命がなくなろうともそこに語りえないものが残存するという感性があれば死に対する感じ方がおのずと異なってくる。人は感じながら、ただ沈黙するしか無い。
Time is just one example of the inexplicable. The Japanese view of the world has always been that each of the plants, trees, moon, flowers, birds, animals, mountains, and rivers have their own indescribable world, as well as people. Therefore, if you have the sense that something that does not belong to you is a part of you, and even if you lose your life, the inexplicable will remain there, you will naturally feel death differently. One can only be silent while feeling.

ペリリュー島の記念碑にはこう書かれている。
The monument on Peleliu Island says this.

「Tourists from every country who visit this island should be told how courageous and patriotic were the Japanese soldiers who all died defending this island.  Pacific Fleet Command Chief C.W.Nimitz」
「諸国から訪れる旅人達よ、この島を守るために日本軍将兵が、いかに勇敢な愛国心をもって戦い、そして玉砕していったかを伝えられよ.太平洋艦隊司令長官 C.W ニミッツ」ペリリュー島では日本兵1名の戦死ごとにアメリカ兵1名の死傷と1,589発の重火器および小火器の弾薬を要したと言われる。


カーティス・ルメイの言葉
『我々は東京を焼いた時、たくさんの女子どもを殺している事を知っていた。やらなければならなかったのだ。私は我々の所業の道徳性について憂慮する幹部やパイロットたちに対してこういったものだ。道徳? ふざけるな! 我々は今戦争をしているのだ。戦争に道徳などあるものか。勝つか負けるかそのどちらかだ。そんな事を言うなら最初から軍人になどなるな!』

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