公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

切り取りダイジェスト チャーチルと日英同盟

2022-10-27 13:30:00 | 意見スクラップ集



米海軍の基本路線は英帝国の崩壊を止めることであり、日本とは開戦しないという路線だったが、1941年8月に決定的に転換された。


1941年8月10日。ニューファウドランド島での米英首脳会談で、チャーチルは「戦後は永久に、日本を独立国として認めてはならない」と言い、ルーズベルトは「如何にしたら日本が先に米国に攻撃を仕掛けるかを、今思案しているところです」と語った。

August 10, 1941. At the U.S.-British summit meeting on Newfoundland Island, Churchill said, "Japan must not be recognized as an independent nation forever after the war," and Roosevelt said, "We are now contemplating how Japan might attack the United States first."

1941 年の夏から秋にかけて、米国は日本の資産を凍結するとともに、日本への石油輸出を禁止しました。

切り取りダイジェスト 日英同盟を葬った米国 - 公開メモ    DXM 1977  ヒストリエ

切り取りダイジェスト 日英同盟を葬った米国 - 公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

昭和三十四年の矢次がインタビューした外遊後のチャーチルとの対話の思い出話しにも出てくるが、日英同盟は米国の反対があってやめることにした。これは私も歴史の前後から...

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昭和三十四年の矢次一夫がインタビューした外遊後のチャーチルとの対話の思い出話しにも出てくるが、日英同盟は米国の反対があってやめることにした。これは私も歴史の前後から予想した通りだが、こう言うチャーチル本人の証言ははじめて見る。矢次もチャーチル回顧録に残すべきと言ってるが、そうはなっていない。

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