公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

ゆきてかへらぬ ー中原中也との愛ー 読了

2015-10-27 21:33:38 | 今読んでる本
新しい女 と言われても、何のことやらと思うかもしれないが、家庭から羽がついたように「フラッパー (flapper)ルイーズ・ブルックスなどがアイコン」浮遊した女性は、19世紀新しい女と呼ばれ当時はとんでもなく異質だった。

本人も托鉢と表現しているが、根無し草のように子連れで知人の家を転がる若き日の生活は詳細に描かれている。しかし、中原にあまり関係のない時期を飛び越えて急に55歳になる。どう回顧するか本人の自由ですが唐突、泰子は中也の予言通り宗教にはまり人生の後半を迎える。
泰子の評価。中原中也は田舎っぺで、小林秀雄は優しい都会人。女から見ると”その場のない”男はそのようにしか見えないのかと、読んでいて中也が気の毒というか嫌になるが、中也の本当の心の友は小林秀雄だけだったのかもしれず、小林が中也に「あいかわらずの千里眼」と交わしただけでわかりあえたことに比べれば、泰子のいつまでも亭主気取りの中也という扱いは、あまりに表面的で、この時代の新しい女は野良猫のように世間を泳ぎ渡ることにこだわりがない。中坪に中原中也賞を創設してもらってもそれだけのことに思える。

まるで中也の残した仕舞いどころのない古着を懐かしむように、詩が引用されている。泰子の宝物であることには変わりはないのだ。

少し引用する

「普通、無邪気っていうのはただの無邪気で終わるんだろうが、お前の無邪気は罪だよ。」
中原はいつでも旦那気取りでいたもんだから、私がだれにでも同じ態度で接するのを、こういってました。


後に小林が書いて名声を極める「ゴッホの手紙」は、小林にとって中也研究の延長であったのかもしれないと、以下の理由から思った。

ゴッホのように心の目の開いた人は狂人と呼ばれ、心の耳の開いた人は預言者と呼ばれる。なぜなら言葉だけは誰にも持ち運ぶことができるから。誰にもさわれないもの、従って所有できないものを信じる者は狂人である。しかし、一人の、あるいは多数の狂人の苦痛に満ちた献身なしに触れて所有できる凡人の世界は生じない。而してまた預言者の発する希望の言葉なしに狂人達は献身の苦痛に耐えられない。

見える人は狂人と呼ばれ、聴こえる人は預言者と呼ばれる。見えて聴こえた人は中也とゴッホ、そしてニーチェくらいかもしれない。

次は母の立場から見た中也「私の上に降る雪は」も読んでみたくなった。

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