73日経過して5分の1終わった。
昨日は株主総会に向けて議案取締役会での決定。
さあこれからという時だが、消費増税を警戒して業界の動きが手控えられている。この先の5分の4は厳しいと思う。しかし攻めるしかないか。上念は『儲からないのには理由があります。銀行のビジネスモデルは、もはや古すぎるのです。経済が右肩上がりで放っておいても預金が集まり貸出先がたくさんある時代はとっくに終わっています。低成長時代に入り、消費者のニーズも多様化し、将来的に何が伸びるビジネスかは誰にもわかりません。』という。モデルが古くなるほどやり尽くしてはいない。まだまだだ。
戦艦長門
史上初めて41センチ砲を搭載する戦艦として建造され、竣工時世界最大・最速を誇った。また、連合艦隊旗艦を最も長期にわたり勤め、日本海軍の象徴として長く国民に親しまれた[*]。完成当時の1920年(大正9年)では世界最大であり、かつ最大口径の16.1インチ(当時日本はメートル法を採用していたため実口径は41cmちょうど)主砲と、当時の戦艦の中では非常に高速である26.5ノット(公試26.443ノット)の機動力を持つ高速戦艦で世界の軍事史や軍艦史にも大きな影響を与えている。
ハワイ・真珠湾の真ん中にあるフォード島を真上から見たところ。1941年11月10日に米軍が撮影したもので、写真上側(南東方向)の「戦艦通り」と呼ばれた停泊地に5隻の大型戦艦が確認できる。島の反対側に停泊しているのは空母「レキシントン」(米海軍史料センター提供)【時事】
2番艦の陸奥と共に各国海軍から注目され、大艦巨砲主義が最盛期をむかえていた列強海軍の熾烈な建艦競争にワシントン海軍軍縮条約による一定の歯止めを与えるきっかけとなったのも本艦であった。岩国湾で「ニイタカヤマノボレ1208」(ニイタカヤマノボレヒトフタマルハチ)の暗号無電を打電した。
終戦時、航行可能な唯一の戦艦であったが、アメリカ軍に接収され原爆実験の標的艦として沈没した。
*連合艦隊戦艦12隻を探偵する202頁、『海軍少年読本』pp.24-25