米国大統領はFRB議長を解任できるのかという間違った疑問にできないという正しい答えというバグ
間違った疑問に正しい永遠の答えを当てはめるというのが社会システムの典型的なバグであり、何度も同じところでシステムが停止する。
FRBの存在自体が合衆国憲法のバグなのだが、成立の順番を考えてみたらわかる。権威の上下で親が子を支配するのが当たり前。ところがFRBで逆転する。こうして権威は権力というバグを備えながら奇形発展するのだ。
FRBの歴史 その昔1908年
ジョージ・コーテルユー財務長官は、金融業界を保護するために、経済の安定を維持する国家主導の十分な能力が必要であると考えた。その対策として、まずオルドリッチ・ヴリーランド法(1908年)でアメリカ通貨委員会を設立。1910年11月22日、ジョージア州沿岸のジキル島にJ・P・.モルガンが所有するジキル島クラブ[注釈 7]で秘密会議が開かれ、FRBを設立する計画が討議された。計画は、彼らが掌握した貿易金融を促進すべく、アメリカの国際的な手形交換制度を建設した。
1910年11月22日、
米国ジョージア州のジキル島では、世界戦争を開始する隠謀について7人の金融資本家による極秘会議が行われました。
ギャランティなどが担う綿・穀物の貿易金融とは一見独立して、国内の工業系大企業は自己金融による輸出を拡大していた。デュポン・コダック・ゼネラルモーターズ・ゼネラルエレクトリック・NCR・レミントンランド・ウェスタンエレクトリック・ウェスティングハウスなど約30社は、1910年にアメリカ製造業者輸出協会(American Manufacturers Export Association)を結成した[14][注釈 8]。
1913年中に、この段すべての出来事がおきた。まずアメリカ合衆国憲法修正第16条とアメリカ合衆国憲法修正第17条が批准された。ジキル島での会合時すでに修正が議論されていた2つの変革は、各州の財政力と政治力をそぎ落とした。基礎工事が済むと、J.P.モルガンやポール・ウォーバーグ、ジョン・ロックフェラーの後ろ盾の下に、ウッドロウ・ウィルソン大統領[注釈 9]がロバート・オーウェンとカーター・グラスの提出したオーウェン・グラス法[注釈 10]に署名した。こうして、多くの上院議員が休暇で不在の隙を突いて12月23日にワシントンD.C.に駐在する連邦準備制度理事会と12地区に分割された連邦準備銀行により構成される連邦準備制度が成立した[注釈 11]。「準備」とは預金準備のことを意味する。
準備良すぎでしょう。そうなんです1913年に合衆国の源泉が盗まれたんです。ウィルソン大統領がうっかり署名することによって。であるから、歴史哲学的には合衆国大統領はFRB議長どころかFRB自体を解散できる。しかしそれにはThe Federal Reserve Actを廃止して、大統領権限にleagal tender の任命権を含め直さなければならない。
The Federal Reserve Act (ch. 6, 38 Stat. 251, enacted December 23, 1913, 12 U.S.C. §§ 221 to 522) is an Act of Congress that created the Federal Reserve System (the central banking system of the United States), and which created the authority to issue Federal Reserve Notes (commonly known as the US Dollar) as legal tender. The Act was signed into law by President Woodrow Wilson.
アメリカ合衆国憲法修正第16条(アメリカがっしゅうこくけんぽうしゅうせいだい16じょう、英:Sixteenth Amendment to the United States Constitution、あるいはAmendment XVI)は、1913年2月3日に批准された。この修正条項は、アメリカ合衆国議会が所得税を課す権限を大きく制限した「ポロック対農夫貸付信託会社事件」(1895年)判決を撤回させた。これによって、議会は諸州や国勢調査に関係せず所得税を課すことができるようになった。
アメリカ合衆国憲法修正第17条(アメリカがっしゅうこくけんぽうしゅうせいだい17じょう、英:Seventeenth Amendment to the United States Constitution、あるいはAmendment XVII)は、1911年6月12日にアメリカ合衆国上院で可決され、1912年5月13日にアメリカ合衆国下院でも可決された。1913年4月8日に批准され、1914年の選挙で初めて適用された。アメリカ合衆国憲法第1条第3節を修正し、上院議員は各州議会の選出あるいは指名によらず、州民による直接選挙で選ばれることとした。また、各州の知事あるいは行政権威者は、州議会によって承認されれば、選挙が行われるまでの上院議員が空席の場合に指名できることとした。この修正条項はいわゆるアメリカ合衆国の進歩主義の時代に可決され批准された。