公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

エルサレム問題

2019-10-05 07:23:07 | イランおよびトルコ シリア

エルサレム問題は聖地争奪の火種である。トランプが形さえもない大使館に引っ越すと言った途端、世界中のメディアがアラブ諸国およびイスラム教徒の反発が出た。この背景はエルサレムの範囲に東エルサレムの聖地保護区を含むのがイスラエルの主張だから大騒ぎになる。

神話は今も生まれている。ユダヤシオニストが悪質なのは神話作家を兼ねているという点にある。

 

「我々は、ユダヤ人が、ロシア・ドイツ・オーストリア・スペイン・アメリカなど外国から、パレスチナの地にたどり着くのを見てきた。深い判断力を持っているものならば、ユダヤ人の権利に目を閉ざすことはできない。我々は、あらゆる違っている点にもかかわらず、この土地が共に愛され、あがめられ、共通の祖国であり、同時に、この土地の本来の子らのものであることを知っている」―ヨルダン国王・フセイン1世
 
「ああ、エルサレム、エルサレム。預言者たちを殺し、自分に遣わされた人たちを石で打つ者。わたしは、めんどりがひなを翼の下に集めるように、あなたの子らを幾たび集めようとしたことか。それなのに、あなたがたはそれを好まなかった。(マタイ23:37)」


主はこう仰せられる。「わたしはシオンに帰り、エルサレムのただ中に住もう。エルサレムは真実の町と呼ばれ、万軍の主の山は聖なる山と呼ばれよう。」
— ゼカリヤ書 8章3節
 
 
遠い昔の聖蹟、聖書がその縁者にとって大切な理由はそれが現在の自身の原因の一つという因果からである。
 
 
もしその原因が遠い昔に欠けていたならば、今の自分たちの存在が変わってしまう。このように堅く因果を信じている。故に譲ることができない。

つまりエルサレム問題は因果論を前提とする正義戦争なのである。さらに言えばユダヤ教徒の選民思想である。長く理解していなかったが、ユダヤ人問題とは2つある。異国の異教徒であることをやめて故国の地に故国を再建するという比較的新しい問題と、マルクスが生きていた頃の、ユダヤ人とハザール人の同一神をめぐる選民思想による(偽選民に対する)憎悪。つまりユダヤ人自身の内部問題である。
 
因果論による必然性の認識が正義であるという西欧流の考えは一神教に由来すると言ってもいい。科学もマルクス主義も環境過激派もビーガンも同じ正義感を持っている。

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