村木厚子の役職
伊藤忠社外取締役は辞めたらしい。
高知県出身。幼い頃は人見知りで対人恐怖症(本人談)の読書好きな少女だった。自由な校風に憧れ、土佐中学校・高等学校に入学する[2]。同校を卒業し[3]、高知大学文理学部経済学科に進学した[2][4]。社会保険労務士の父の背中を見て育ち、大学卒業後の1978年に、労働行政を所管する労働省に入省した[4]。なお、その際の国家公務員採用上級甲種試験では、高知大学からの合格者は村木1名だけであった[4]。
官僚として
東京大学出身者の男性キャリアが多い霞が関の中央省庁の幹部の中では、珍しい地方国立大学出身の女性で、さらに厚生労働省では少数派の旧労働省出身であった。事務処理能力や、頭の良さ、法令知識などが特に目立つような存在ではなく、誰もが認める次官候補や、エースと呼ばれるタイプではなかった。
しかし、障害者問題を自身のライフワークと述べ、人事異動で担当を離れた後も、福祉団体への視察を続けるといった仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができる、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていた。そのため、女性としては松原亘子に続き2人目となる事務次官就任の可能性もささやかれていた[5]。
2008年には、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長に就任した。
官僚として
東京大学出身者の男性キャリアが多い霞が関の中央省庁の幹部の中では、珍しい地方国立大学出身の女性で、さらに厚生労働省では少数派の旧労働省出身であった。事務処理能力や、頭の良さ、法令知識などが特に目立つような存在ではなく、誰もが認める次官候補や、エースと呼ばれるタイプではなかった。
しかし、障害者問題を自身のライフワークと述べ、人事異動で担当を離れた後も、福祉団体への視察を続けるといった仕事に臨むまじめな姿勢や、低姿勢で物腰柔らかく、誰も怒らせることなく物事を調整することができる、敵を作らない典型的な調整型官僚として有能であることが評価されていた。そのため、女性としては松原亘子に続き2人目となる事務次官就任の可能性もささやかれていた[5]。
2008年には、厚生労働省雇用均等・児童家庭局長に就任した。