『刻々と私は失われて消えてゆく。ただ情報という雑念だけが今ここに残る。実は未来も情報である。私は刃の先のような相互作用の許容される今に閉じ込められている。』
仮に情報空間が本当の実在時空で今という相互作用の場だけが時空の例外だとしたら、私たちの世界は高次元の情報マトリックスが三次元に接した接点の移動であり、大きな情報空間一部が意識に投影されているということになる。
追補 ウィグナーの思考実験が精密に実証されたらしい。オカルトではなく、マクロな事象も量子論的重ね合わせだから相互作用は確定しない。意識投影は現実には確定しないことを情報空間で確定させ普遍性を空間共有してはじめて実在となる。
実在は「あるもの」ではなく「なるもの」という事です。
つまりこの「なるもの」の接点を失うことが死である。そう考えてみれば死は終わりではない。しかしそれが生かといえばそうではない。生とは情報投影の中の方が情報空間より心地よいと執着することだから。