一生この景色と太陽を見るのかと思うと耐えられないと思った。挽歌「晩歌」の以下の解説を読んでも胸のあたりが暗澹としてくる。私も秋になると関節が痛かった。ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの 室生犀星のオリジナルの通りまっぴらなところなのだ。
ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて異土(いど)の乞食(かたい)となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆうぐれに
ふるさと思ひなみだぐむ
そのこころもて遠き都にかへらばや
とほき都にかへらばや。
(「朱欒」大正二年五月号)
池田信夫のいうとおり私達は退路を断って故郷を後にした。近代は伝統を蝕む自立した自我はまず家族と家族の住む故郷から自立し、一人で生きて行ける資格を求めて近代の門(多くは都会であり大学である)をくぐる。それが豊かさを保証すると信じていたし、ある程度の心地よい生活を実際に手にしただろう。しかし絶対の自由など人間の耐えられる豊かさではない。不安は大きくなるばかりだ。池田信夫が近代合理主義に裏付けられた自由主義の実験は米国で失敗したという(2004年ブログ)。ネオコンはそのような抽象的な勢力ではないが人間の不安が終わるときはない。
『物語の舞台は、さいはての街 釧路。季節はもう春だというのに北海道の釧路は寒く、外は冷たい風が吹いている。兵藤怜子は独りで山裾を歩いていた。彼女の左肘は幼い時に患った関節炎が元で自由に動かすことができない。怜子はこの後遺症については吹っ切れたのだが、父親はこのことに自責の念を感じて彼女のイエスマンになってしまっている。冷たい風に肘の傷跡が痛み出すと彼女の心も微かに疼き出すのであった。ある日、怜子はふとしたことから娘と一緒になって犬を散歩させていた中年の建築技師:桂木節夫と出会った。』