公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

「駿台荘物語」 大石静

2015-07-03 07:37:50 | 今読んでる本
流行作家の私生活を駿台荘で見ていれば、生意気な娘になるのが必然と思う。たまたまテレビで見かけた阿川佐和子さんと大石静さんの対談で駿台荘の女将の養女として育てられたことを知る。

登るとアテネフランセそばに出る。女坂を登った右手が駿台荘だったのだろうか。


京塚昌子とか春川ますみとかといった女優の裏で係る作家との私生活を知れば生意気な娘になるのも無理はない。若き日のほっそりした京塚昌子が岡本綺堂の愛弟子北条秀司(北條 秀司(ほうじょう ひでじ、新字体:北条、1902年(明治35年)11月7日 - 1996年(平成8年)5月19日):王将などの戯曲作家)の愛人だったとは知らなかった。女優として売れてからも京塚は外見とは違って奔放な日々、事情はあった、どうしても変えられない食酒生活を過ごし糖尿病で64歳で早逝した。京塚昌子は盲腸を切除してから太りだしたという逸話も興味深い。


我らの世代は、戦後という戦前禁忌の世界に育ったので、昭和の底に溜まっていた明治大正の文学を知らずに大作家を知るという残念な世代である。かろうじて旧漢字が読める程度で、戦前との無縁さは大石静さんも7つほど上だから似たようなものだ。しかし女将の世代は全く違う背景の母達だ。
春川ますみの方は谷崎潤一郎が日劇時代から贔屓にしていたことは有名な話で、まあ変態だからね、先生は昭和四十年に仏になっているから、空き家の春川ますみを五味康祐が狙っていたのかな?
美人の実母に似ていれば良かったと嘆息し元祖ぶりっ子を自称する大石静さん、女優を目指せば、そりゃ同輩にいじめられるだろう。週刊文春に自ら書いた「私ってブスだったの」を集めて読むと確信する。

タフでなければ、ブスになれない。優しくなければ、ブスの資格さえない。

文庫版は嵐山光三郎のあとがきから読むといい。大石が改心美女であることが理解できる。↓

『当たらない手相見の五味康祐、ニヒルな柴田錬三郎、気むずかしい五味川純平…少女時代に養母が経営する旅館で垣間見た作家たちの素顔と奇行を描いた表題作をはじめ、ブリッコしゃべりの秘密、不倫の宿、女性ホルモンの危機、女子高生今昔など、男と女の裏話や仰天面白話を軽快に綴った、傑作エッセイ集。』

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