日本史のなぞ なぜこの国で一度だけ革命が成功したのか
発行日平成 2 8年 1 0月 3 1日
著者 大澤真幸
朝日新聞出版
『「神道に現れた民族論理 」で 、折口は次のように語っている ( * 2 1 ) 。まづ祝詞の中で 、根本的に日本人の思想を左右してゐる事実は 、みこともちの思想である 。みこともちとは 、お言葉を伝達するものゝ意味であるが 、其お言葉とは 、畢竟 、初めて其宣を発した神のお言葉 、即 「神言 」で 、神言の伝達者 、即みこともちなのである 。祝詞を唱へる人自身の言葉其ものが 、決してみことではないのである 。みこともちは 、後世に 「宰 」などの字を以て表されてゐるが 、太夫をみこともちと訓む例もある 。何れにしても 、みことを持ち伝へる役の謂であるが 、太夫の方は稍低級なみこともちである 。此に対して 、最高位のみこともちは 、天皇陛下であらせられる 。』
21『折口信夫全集第三巻 』中央公論社 、 1 9 5 5年 。
『さらにふしぎなことがある 。皇室と公然と戦ったうえに 、撃ち破った上皇たちを流罪に処し 、天皇を退位させるというとてつもない 「不敬 」を犯しながら 、泰時は 、天皇制の支持者たち 、北畠親房や安積澹泊といった皇室の熱烈な擁護者たちから 、優れた政治家として激賞されてきたのだ 。楠木正成のような 、皇室 (いわゆる 「南朝 」 )の側に立って戦った者が 、天皇制の支持者たちの間で人気があるのはあたりまえのことである 。なぜ 、泰時も 、彼らから褒められるのか 。足利尊氏のように 、皇室に一定の 「敬意 」をはらった者でさえも 、天皇制の支持者から 、しばしば厳しく批判されてきたのだ 。泰時は尊氏よりもはるかに悪い 、とされるべきではなかったのか 。』
北条泰時の関東御成敗式目は、革命であったが新たな天皇を立て、これを上奏、きこしまして革命を中和して天皇を内なる絶対者としては完成せしむ、みこともちと二重の関係で日本的だったからだろう。尊氏は革命で弓を引いたことだけが印象に残ったのはなぜか?”きこします”中和が足りなかったのかしら。戦後の高度成長期が曲がり角(貿易自由化)に来たとき佐橋 滋(さはし しげる[1]、1913年(大正2年)4月5日 - 1993年(平成5年)5月31日)は日本の官僚。元通商産業事務次官という官僚がいたが、官僚たちの夏』で知られるモデル官僚だが、こういうタイプの国民に”きこします”革命(自由経済から官僚統制全体主義経済へ)が日本人にあっているのかもしれない。まあこの人は自衛隊違憲論の社会党だったから政治官僚次官のボナパルト型だったのかもしれない。
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