公開メモ DXM 1977 ヒストリエ

切り取りダイジェストは再掲。新記事はたまに再開。裏表紙書きは過去記事の余白リサイクル。

久しぶりの秋葉原 川端康成

2013-03-28 19:02:09 | 日記
久しぶりに秋葉原にやってきた。平日のせいか活気が無いね。

ラジオや無線、パソコンの聖地だったのはもうすっかり昔の話。これほど変化の激しい街も珍しいが、今座っているあたりがラジオ部品の狭い通路が櫛の目のようになっていたところだったと知る人もだいぶ減ったに違いない。なんだか自分がものすごく昔の人間になったみたいで、きっと自分が子供の頃の明治生まれもそんな風に昭和の風俗をみていたのだろうなどとぼんやり思う。

年齢を経ると同じ本を読んでも全く目に浮かぶものが違う。川端康成の「雪国」は映画だったらR15指定がふさわしいはずなのだが、言葉の美しさに幻惑されて男のくだらなさが理解できなかった。女の計略も理解できなかった。

川端といえば自殺するまでは雲の上の文豪のように思っていたが、独りの人間として、この男はくだらないなあと近頃思う。なぜかというと、特攻を取材しながら、一行も書いていないという事実があるからだ。老境になるまで生しか無い男は概してくだらない。

こういう言い方は、川端康成を文学界で特別視する人々には耐えられないだろうが、彼には特攻を受け止めることができなかったのだろうと思う。当時はすでに雪国も書いていて周りの期待は煩わしいものだったのかもしれない。書かないのなら自分は書かないと表明するべきなのだが、それもしていない。それでいて他の物は書ける。そこがくだらないのだ。

川端は自殺ではないと主張する向きには遺書がないというのが自然かもしれないが、仮に本当に自殺であったとしても、川端は遺書を残さなかったただろう。そんな作品は彼には書けない。

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