
generativity
日本社会は半分面白がっていろいろに世代を描いてきたが、全ては消費と消耗だった。
ジェネラティヴィティ(generativity)とは、エリク・H・エリクソンが用いた精神分析学上の言葉。
「次世代の価値を生み出す行為に積極的にかかわっていくこと」あるいは生殖。
チベット仏教の次世代ダライ・ラマ探しは最も洗練されたgenerativityと思う。
人間社会は複写の様には類型化増加しない。例えば流行はカタでありながら世代を跨ぐ流儀ではない。現代社会は流行という洗脳がメディアの役割となっている。チベット仏教のgenerativityとは真逆の力が大きくなってしまった。
世代は消費されている。人間社会自身が無責任な消耗品になってしまったのである。
これまで戦後に発生した世代を列挙してみれば、時代幅は主観なので気にしないでもらいたいが、多くの分類や亜分類が生じた理由はgenerativityの不在に他ならぬ。
①焼け跡ヤミ市世代1935〜1944年生まれ
②太陽族世代1935〜1944年生まれ
③団塊の世代1944〜1949年生まれ
④白け世代1950〜1960年生まれ
⑤クリスタル世代1960〜1963年生まれ
⑥サトリ世代1988〜1993年生まれ
①や②はそろそろ消える世代だが、その世代に類型を死守する後継ぎはいない。