トドの小部屋

写真付き日記帳です。旅行記、本や美術展の紹介、俳句など好きなことをつれづれに。お気軽にどうぞ。

大相撲五月場所

2024-05-25 13:29:02 | 旅行
5月23日(木)に友人のN子さんのお誘いで、初めて大相撲本場所を観に東京の両国国技館へ行ってきました。朝、8時41分静岡発のひかりで、品川まで。その後、京浜東北線に乗って浜松町まで行きました。ウォーターズ竹芝から水上バスで隅田川をクルーズし、両国へ向かう行程をN子さんが考えてくれました。まず、乗船する前に軽くランチを食べました。


水上バスの桟橋付近です。


ウォーターフロントの近くに変わったオブジェがあったので、記念撮影しました。


乗船したのは、この「あじさい」という船。二階が展望デッキになっていて、川風が気持ちいいので、両国までデッキに立って行きました。


スカイツリーが見えてきたので、記念撮影。


隅田川は都会を走る河なので、途中で幾つもの橋をくぐって行きました。
両国で船を降りて国技館を撮影。幟がたくさん立っています。ちょうど静岡の郷土力士の幟が見えます。


国技館に入る前に、付近の街を散策しました。回向院という立派なお寺にお参りしました。回向院は、明暦の大火をきっかけに建立されたそうですが、その後の関東大震災を始め、第二次世界大戦による被災者や、東日本大震災の犠牲者などを供養する目的のお寺だそうです。ここでは、お参りのみで撮影はせず。通り沿いの店で、早くもお土産を買いました。お相撲さんの絵がたくさんついている今治生まれのガーゼハンカチと小紋の日本手ぬぐい。あとは、おやつに相撲サブレを1枚だけ。サブレを焼いてる良い香りにさそわれて、つい。

通り沿いに歴代横綱の手形を押した記念碑がところどころに建っていました。

今回は、4人かけの升席だったので、N子さんとN子さんの従姉のOさん、そして、東京のお姉さまのT子さんも国技館で合流しました。
私は、コロナ禍を経て初めての上京だったので、T子さんとは本当に久しぶりでした。長浜へみんなで旅行して以来だと思います。お元気そうで良かったです。(*^^*)
館内の相撲博物館も見学し、2階の屋上にあった写真撮影用の顔はめのボードでも写真を撮りましたが、遠藤のボードが一つだけ。お姫様だっこのポーズになりました。(笑)
取り組みが始まると、掛け声が凄かったです。前の升席のおじ様たちは、缶ビールのお代わりが半端なく。横のほうにいた男性グループと競うように掛け声をあげてました。女性の掛け声もよく聞こえてましたので、私も翠富士の取り組みの時だけ、大きな声で2度「翠富士~!」と声援を送りました。この日の対戦相手は金峰山。負けてしまいました。

熱海富士は、王鵬と対戦し、勝ちました。左側が熱海富士です。スマホの望遠撮影ですので、こんなものですね。ボケてます。


升席で、国技館名物の焼き鳥をいただきました。T子さんが、チーズ入りのちくわを買ってきてくれました。N子さんはアイス最中を。ご馳走様でした。
最後の弓取り式まで観て、帰途に就きました。両国駅は帰りの客で大混雑。焼津までの私の乗車券は、山手線なら有効だったのですが、自動改札に拒否られて、秋葉原までの近距離切符を買ってやっと通過しました。久しぶりの大混雑。どこへ行っても人が多いです。東京駅でお弁当を買って、こだまに乗車し、お弁当を食べながらゆっくり帰りました。来月、白内障の手術をすることになったので、東京へは眼鏡をかけて行きました。写真を撮ったら、4人とも眼鏡をかけてるんだよね。(笑)


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プレジールコンサート@プラザおおるりホール

2024-05-20 11:59:27 | エンターテインメント
昨日は、島田市のプラザおおるりホールで開催されたプレジールコンサートに友人のY子さんと行ってきました。出演者は、テノール歌手の榛葉樹人と榛葉薫人さんご兄弟、ソプラノ歌手の寺西里江子さん、松下美有紀さんの4人。榛葉さんご兄弟、寺西さん、松下さんの4人全員が島田市出身で、ピアニストの小林みどりさんは藤枝市出身、ピアニストの久米涼子さんは吉田町出身という地元出身の音楽家たちによるコンサートでした。会場はほぼ満席で、たぶん、昔からの知人や友人なども多かったのではないでしょうか。あたたかな雰囲気でした。私を誘ってくれたY子さんも榛葉さんご兄弟のお母様と同級生とのことでした。第一部の最初は、カンツォーネメドレーで、サンタルチア、グラナダ、マリウ愛の言葉を、2番はシューベルトの「鱒」、3番はL.ドリープの「カディスの娘たち」、4番はA.ヒナステラのアルゼンチン舞曲集、5番目はGガーシュインの「サマータイム」。6番目は、GMロドリゲスの「ラ・カンパルシータ」」。7番目は、「グリーンスリーブス」。休憩をはさみ、第二部の最初は、ブラームスのハンガリー舞曲集より第六番をピアニスト2人による連弾。2番目は、「イムジン河」を榛葉さんお二人で。3番目の「夜来香」はソプラノのお二人で。4番目の「蘇州夜曲」は榛葉さんのお二人。5番目のF.リストの「リゴレット・パラフレーズ」は小林みどりさんのピアノ演奏。6番目はソプラノのお二人で「アメイジンググレース」。最後の7番目は、全員で「瑠璃色の地球」でした。ソロだったり、デュエットだったり、演奏形式をいろいろに変えながら、変化にとんだ楽しいコンサートでした。MCを主になさった榛葉樹人さんは、アンサンブルグルーブのFORESTAのメンバーとして、BS日本こころの歌にもご出演とのこと。お話が慣れていらっしゃる感じで、滑らかな語り口でした。アンコールは全員で、「MY WAY」を歌いました。なじみのある曲が多く、変化にとんだ構成で楽しかったです。



撮影可で、SNSに上げて良いとのことでしたので、Y子さんに撮影してもらいました。


16時ちょっと過ぎに終わり、Y子さんを島田駅まで送っていくつもりで、二人で市役所の第二駐車場に向かったのですが、おおるりから東方面に道路沿いに行けばたどり着くはずが、ちっとも駐車場が現れません。かなり歩いてしまい、いくら何でも変だということで、引き返しながら、通りかかりの人に尋ねました。やはり、通り越してしまったようで、かなり戻りました。話しながら歩いていたので気づかなかったのだろうか。かなり広い駐車場なのに。「はて?」
子供の頃、長野市の善光寺のそばにお住まいだったピアノの先生のお宅から帰る途中で、キツネに化かされた経験が数回ある私。信じてもらえないかもしれませんが、善光寺から坂道を下って長野電鉄の善光寺下という駅まで行くいつもの道が見つからず、同じ場所をくるくる回ってしまうのです。善光寺付近は、キツネに化かされる人がいるんですよ。またそうなのかと思ってしまいました。

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島田市ばらの丘公園

2024-05-11 16:30:59 | お出かけ
今年のGWは、長男一家が風邪をひいて、お嫁さんが発熱して寝込んでしまったため、5日から二泊で名古屋に行く計画はやめにし、ずっと家にいて庭仕事をしてました。4日に胡瓜とトマトの苗をそれぞれ二本ずつ植えて、5日に一晩水につけておいたサツマイモ(紅はるか)の苗を10本庭の畑に植えました。また、チューリップの球根を堀りあげて、向日葵とコスモスの種をまきました。庭の草取りもできたし、GW明けにやろうと思っていたことが全部できましたが、3日間家にいたら、さすがに出かけたくなって、6日には、近場の観光に出かけました。
まず、島田市の静居寺へ。ここは16世紀に開山された曹洞宗のお寺だそうですが、牡丹のお寺として近隣では知られています。私は今回初めて行ってきました。5月の句会で、静居寺の唐破風の惣門を俳句に詠んだ人がいたので、惣門を見に出かけました。国道1号線バイパスの旗指ICを降りてすぐの所に静居寺はありました。駐車場がすごく広かったですが、誰もいませんでした。牡丹はすっかり終わり、新緑の季節です。惣門は確かに立派で、県の有形文化財に指定されていると説明文にありました。立派な本堂は閉まっていて、ガラス越しにご本尊さまが見えましたが、中に入れなくて残念でした。順路を見て、奥にある経堂まで行きましたが、経堂も閉まっていて、輪蔵が扉の隙間から見えただけでした。林叟院や近所の十輪寺は、いつも本堂が開いていますのに。つまらない気持ちを抱えて、お寺を出て、近くにあるはずの島田のばらの丘公園に向いました。
ちょうど春バラの季節。確か5月10日ごろが見ごろと言っていたとおり、園内に薔薇が咲き誇っていました。ここの薔薇園は、数回行ったことがあります。園内には、さまざまな種類の薔薇があり、温室内の薔薇も見事です。私は、香りの高い薔薇が好きです。今回特に美しいと思った薔薇は、これ。「宇多野」という名の薔薇でした。



あと、同じように淡い色合いの「ピース」という薔薇も好きです。帰りに門の傍に薔薇の人気投票をするコーナーがあったので、お気に入りの薔薇を一位から三位まで書いてポストに入れてきました。







かなり前ですが、我が家にも昔、二種類の薔薇が植えてありました。植える場所がなかったので、家の西の目立たない場所に植え、あまり花を楽しむこともできないまま、丈が高くなりすぎ、秋になって枝を切り詰めるとき、棘が強くて手が痛く、結局抜いてしまいました。なので、薔薇は薔薇園で観ればいいなと思っています。
ちなみに、今日は庭のトマトと胡瓜の畝にマリーゴールドを植えました。マリーゴールドの根は、土中のせん虫対策になるし、モンシロチョウなども寄せ付けないので、青虫対策にもなるらしいです。それと、虫よけに木酢を200倍に希釈して、胡瓜とトマトに散布しました。ウリハムシ対策です。上手く育ちますように。

私は、赤いバラより、淡い微妙な色の薔薇が好きです。
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星野富広さんの訃報

2024-05-02 18:06:54 | つぶやき
2024年4月28日(日)に詩人で画家でもある星野富弘さんが、他界されました。私が初めて彼の著書「愛、深き淵より」を読んだのは、もう20年以上前のことで、勤務先の学校の図書館から借りました。何の予備知識もなく、選んだ本でしたが、内容に衝撃を受けました。富弘さんは、群馬大学を卒業後、高崎市立倉賀野中学校の体育教師として赴任し、部活動の指導中、器械体操の模範演技をしていた最中に、どういうわけか、頭から落下し、頚椎を損傷し、首から下の運動機能を失いました。感覚がなくなり、まったく動かすことができないという大怪我を負いました。たった二か月の教員生活。怪我をする前は、強靭な肉体で、山男でもあった20代の彼が、なんども命の危険にさらされる壮絶な入院生活を送ることになりました。その間の家族の支え、特に、お母さんの献身的な看病と愛情。親子の関係など、涙なくして読めない本でした。9年にわたる長い入院。そんな暮らしにあっても、ガーゼを巻いたサインペンを口に咥えて、字を書く練習をし、病室の花を写生し、水彩絵の具で色をつけて、多くの作品を生み出しました。絶望の果てに、残された機能を使って表現する喜びを得ました。花の絵に添えられた彼のことばは、心を打つものばかり。数年後、亡き夫と富弘さんの故郷の群馬県の勢多郡東村に建てられた村立・富弘美術館を訪れました。水彩画が退色しないよう、明度を落とした照明の中で、優しさにあふれた彼の多くの作品を観ることができました。富弘さんの生きざまに多くの人が感動し、生きる指針をもらったのではないでしょうか。4月28日(日)は私は、たまたま、焼津市綜合体育館で、太極拳の三段四段特別講習を1日受講していましたが、帰宅後、彼の訃報に接し、悲しくなりました。でも、富弘さんは、精一杯生きられたと想像します。私の蔵書の一冊、「新版、愛、深き淵より」を読み返し、富弘さんを偲ばせていただきました。すばらしい絵と詩をありがとうございました。心より、ご冥福をお祈りします。


コメント (2)
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