SuperLite1500シリーズ ザ・テトリス(プレイステーション)
2006年5月18日掲載
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『昔よくかよってたんだけどね、渋谷センター街に「渋谷会館」ってビルがあって、そこは地下から5階までまるごとゲームセンターなんだ。そのビルの看板に「頭と指先を鍛えよう」ってのが二十年くらい前からあったんだけど、今でもあるのかな?
そういえば最近、脳を鍛えるゲームがはやっているけど、ゲーマーにとってはヤバイ風潮なんだよ。いままでゲームをしたことのない人達にもウケているわけなんだけど、ああいうゲームって、操作の面白さとか、上達の喜びがあるわけだ。つまりゲームそのものの楽しさなんだ。ゲーマーじゃない人がゲームをできるようになってきたんだ。
一方、今のゲーマーってストーリーとかキャラクターを重視するだろ? つまりゲーム以外の要素ばかり求めて、肝心のゲーム的な部分については、やれ「レベル上げがめんどくさい」だの「ゲームをやらされている」だの言っているんだ。ゲーマーと言われる奴らこそがゲームをできなくなっているんだ。体力、学力に続いてゲーム力まで落ちているんだ。
そこでだ、この「ザ・テトリス」を見直したいんだ。今さらテトリスなんて、と言うかも知れないけれど、今だからこそテトリスなんだ! このテトリスはな、対戦プレイができる以外はごく普通のテトリスだ。それはつまり、「ゲーム」に必要な要素が全てそろっていて、なくてもいい要素が全くないということだ。誰もが知っているゲームだし、今のゲーマーを鍛えるのにはうってつけだと思わないかい?
ひょっとしたら、プライドの高いゲーマーはテトリスを認めていないのか? 女子供のやるゲームだとでも思っているのか? そういうゲーマーがテトリスをどれほどうまくできるのか知りたいもんだ。テトリスができないゲーマーの方がよっぽどカッコ悪いじゃないか! そんなプライドは犬に食わせちまえ!
むしろ、テトリスみたいなゲームを君のゲーム観の中心に置いてみるんだよ。ストーリー中心のゲーム観じゃあテトリスの居場所なんてないだろう? もし君が「ゲームとは…である」と語りたいのならば、少なくともテトリスをカバーできるだけの定義をしなきゃ説得力が無いね!
ストーリーやキャラクターが大切なゲームがあるのはわかっている。私だってそういうゲームで好きな作品なんていくらでもあるさ。だけど、そういうものを必要としないゲームもあるんだ。だから「ゲームで最も大事なのはストーリー」とか「ゲームはエンディングが全て」とか言うのはもうやめよう! ゲームの発展を願うなら、「ゲームの中の世界」ばかりを語るのはやはり健全ではない。ゲームは頭と指先を使ってナンボだろ? ムービー見てるだけで語れるようなストーリーなんか、まずは脇に置いておくんだ。
まだ「ゲーム」がわからないのか? じゃあ例えば、将棋や囲碁の楽しさって何だ? スポーツの楽しさは? ゲーマーとスポーツ選手とは本質的にどこが違うというんだ?
1ラインでも多く消し、1点でも多く取り、1レベルでも高みに到達するためにテトリスをプレイするんだ! テトリスで、「ゲーム」で、昨日の自分を超えるんだ!』
『うぜぇんだよ』
『すいません……』