首領蜂(プレイステーション)
2008年1月10日掲載
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現在の「ゲーム」には主に以下の4つの側面がある、と私は分析します。
(1) ゲーム…駆け引き・戦略・試行錯誤等を、操作を含めて楽しむ
(2) コミュニケーションツール…競争、対戦、協力、会話、情報交換
(3) シミュレータ…現実・架空の事物を模擬、箱庭世界と「なりきり」
(4) メディア…映像・音楽・物語・概念・知識の伝達媒体、表現手段
プレステ以降のゲーム機では(2)(3)(4)の充実を目指してきました。これら4つのバランスなどとる必要はありませんが、「ゲーム」と言うからには、(1)の側面の発展を望みます。例えば、古くは落ちものパズルにおける「連鎖」や、縦スクロールシューティングにおける「弾幕」にように。
「弾幕」は、瞬間的に解法を読み解くべき「迷宮」、いわばリアルタイムパズルである、と何かで読んだ気がします。「弾幕系シューティング」というカテゴリを確立させたのはおそらく「怒首領蜂(どどんぱち)」ですが、その母体となってゲーム性の発展を担ったのが、本作「首領蜂(どんぱち)」です。
本作はシンプルの見本のようなゲームです。そして当たり判定は小さく、それなりの弾幕も展開されるあたり、「弾幕系」の基本が形成されつつあります。危なくなったらすかさずボンバーですが、使うほどボンバーの最大ストック数が増えるという親切設計です。
他の特徴として、ボタン連射でショット、押しっぱなしでレーザー、といった使い分けも重要です。これによって戦略性とともにプレイのリズムをも生み出しています。簡単ではないがとても遊びやすく、コンボによる得点システムと相まって、今でも広いプレイヤー層に受け入れられるでしょう。
続編の「怒首領蜂」に隠れてさほど顧みられない本作ですが、高いポテンシャルを持ったゲームとしてオススメします。プレステ版は横画面での全画面表示ができないのがマイナスですが、それ以外は良い移植です。
ゲームとしての発展性のある作品を作るのは難しいことでしょう。お金をかければできるものでもありません。もしできたとすれば、それは例外無くシンプルなものに違いありません。時代が一周まわって過去のゲームが見直されてきた現在、何らかのゲーム的な飛躍の予感がします。
有名なゲーム感想家の方は、以前あるゲームの感想で、ボスが放つ弾幕を「花火のよう」と例えました。私にとっても弾幕は、ゲームの発展と回帰を祝う「打ち上げ花火」なのです。