次回はちょっとファンタジー色のあるやつが書きたいな。
サイコドラマ⑬
どんなに馴染みのない感情も、自然と浮かんでくるようだ。
僕は、途方に暮れて帰路についた。村谷さんをこのまま放っておけば、リストカットの痕はますます増えていくだろうと思った。そう思うと僕の中で、ズタズタになった腕のイメージが、勝手に膨らんでいった。それは他でもない、僕が付けた傷だった。いても立ってもいられず、僕は外に飛び出した。日は沈んでいた。父親も母親も、夕食前の突然の出来事に、揃って怒りの声をあげた。これまで、特に隠し立ても無く生活をしてきた我が家だ。突然のこの行動は、2人にとって青天の霹靂といっても大げさではなかっただろう。夕飯はどうするんだ、という父親の声が聞こえた。その台詞は、今回ばかりは僕を苛立たせた。夕飯なんてどうだっていいんだよ。いちいちうるせえな。そんな風に思ってから、反抗期ってこういうことの繰り返しなんじゃないか、と今更ながら思った。
外に出たからといって、行く当てがあるわけでもなかった。僕は、公園に足を運んだ。夏休みが明けてから、ここに通う頻度は多くなっていた。生活空間である学校と家から、唯一逃れられる場所だった。ベンチに近付くと、先客が見えた。
「村谷さん」
村谷さんは驚いた風でもなく、俯いたままでいた。
「村谷さん、さっきはごめん」
村谷さんは、僕に応えるでもなく、下の方を向いていた。
「隣、いい?」と僕は少し遠慮しながら聞いた。
村谷さんは肯いた。怒っているようにも見えたけれど、僕は隣にそっと腰かけた。
静かなまま、長い時間が過ぎた。村谷さんがどんな気持ちでいるのか分からず、僕は声をかけられずにいた。怒っているだろうから、まずはもう一度謝ろう。そう思っては、いや、そもそも僕のしたことが間違っているわけではないし、怒っているのがどうしてなのかよく分からない。そう思い直し、口をつぐんだりした。そして、それを繰り返すたび、心臓の音が大きくなったり、小さくなったりした。浜辺の波のようだった。
村谷さんは、不意にぽろぽろと涙をこぼした。夜の暗さにも埋もれない、静かな、綺麗な涙だった。僕の心臓は切なく締め付けられた。同時に、僕は恥ずかしくなった。自分がどんな風に村谷さんに話しかけるか、などということに気を取られている間にも、きっと村谷さんはひとつのことを考えていたんだろう。そして、今流れてきた涙が、恐らくその答えなんだろう。そう感じた。
どれほど時間が経ったのだろうか。時計を確認するのは気が咎めた。僕は、結局何も声をかけず、村谷さんを見ていた。色々と考えているうちに、今の村谷さんにとって、僕はここにいることだけのために必要なんじゃないか、と思うようになったのだ。
「ごめんなさい」しばらくして村谷さんは、小さな声で言った。
はじめ僕は、その言葉が誰に向けられているのか分からなかった。
「小池君を心配させるようなことをしちゃって、本当にごめんなさい」村谷さんはもう一度言った。
途端に、僕を切ない気持ちが支配した。俯いていて村谷さんの表情は見えなかったが、居た堪れない思いは僕にも充分に伝わってきた。
「こちらこそごめん」と、僕は言った。
「謝らないで」村谷さんは、俯いたまま言った。「小池君が許してくれなかったら、私、誰に許してもらえばいいか分からないよ」
僕は、村谷さんが誰かに許してもらう必要なんてないと思ったが、黙っていた。そういう問題じゃないんだ、という村谷さんの声が、聞こえてくるような気がしたからだ。
「傷、見せてくれる?」と、僕は聞いた。
村谷さんは少し考えたようだったが、やがて静かに頷くと、自分の右腕のブラウスを、ゆっくりと引き上げた。月明かりに照らされ、白い素肌が露わになった。赤い筋が2本、走っていた。またしても、村谷さんに対する衝動が、僕の中にこみ上げてきた。僕は、それを必死に抑えながら、2本の筋を見ていた。そして僕は思った。僕は、この傷に恋をしているのではないか――
「ごめん、村谷さん」僕は言った。
村谷さんは、何を謝られているのか分からない、という様子だった。それもそうだろう。僕は、村谷さんの傷に欲情し、そんな自分がたまらなく憎いのだ。
「僕は今の所、村谷さんと向き合うことができないでいる。村谷さんの腕の傷を見ると、切ない気持ちになるんだ。自分が浮「よ」と、僕は辛うじて言った。
「小池君」村谷さんは腕を僕の前に差し出して、言った。「私はカッターナイフで、小池君も傷付けていたんだね」
僕は思わず、村谷さんの腕に顔を付けた。冷たい腕だった。どうしようもなく切ない気持ちが募り、自分の舌で赤い筋をそっとなぞった。涙がこぼれてきた。
「ごめんね、村谷さん。俺、こんなに、こんなに情けないなんて――」言葉が続かなかった。
不意に、村谷さんが僕の身体を抱きしめた。僕は、ゆっくり抱きしめ返した。キスよりも、温かい気持ちが僕の中に広がった。優しい時間だった。
ここで、第十三場面の幕が下りる。
サイコドラマ⑬
どんなに馴染みのない感情も、自然と浮かんでくるようだ。
僕は、途方に暮れて帰路についた。村谷さんをこのまま放っておけば、リストカットの痕はますます増えていくだろうと思った。そう思うと僕の中で、ズタズタになった腕のイメージが、勝手に膨らんでいった。それは他でもない、僕が付けた傷だった。いても立ってもいられず、僕は外に飛び出した。日は沈んでいた。父親も母親も、夕食前の突然の出来事に、揃って怒りの声をあげた。これまで、特に隠し立ても無く生活をしてきた我が家だ。突然のこの行動は、2人にとって青天の霹靂といっても大げさではなかっただろう。夕飯はどうするんだ、という父親の声が聞こえた。その台詞は、今回ばかりは僕を苛立たせた。夕飯なんてどうだっていいんだよ。いちいちうるせえな。そんな風に思ってから、反抗期ってこういうことの繰り返しなんじゃないか、と今更ながら思った。
外に出たからといって、行く当てがあるわけでもなかった。僕は、公園に足を運んだ。夏休みが明けてから、ここに通う頻度は多くなっていた。生活空間である学校と家から、唯一逃れられる場所だった。ベンチに近付くと、先客が見えた。
「村谷さん」
村谷さんは驚いた風でもなく、俯いたままでいた。
「村谷さん、さっきはごめん」
村谷さんは、僕に応えるでもなく、下の方を向いていた。
「隣、いい?」と僕は少し遠慮しながら聞いた。
村谷さんは肯いた。怒っているようにも見えたけれど、僕は隣にそっと腰かけた。
静かなまま、長い時間が過ぎた。村谷さんがどんな気持ちでいるのか分からず、僕は声をかけられずにいた。怒っているだろうから、まずはもう一度謝ろう。そう思っては、いや、そもそも僕のしたことが間違っているわけではないし、怒っているのがどうしてなのかよく分からない。そう思い直し、口をつぐんだりした。そして、それを繰り返すたび、心臓の音が大きくなったり、小さくなったりした。浜辺の波のようだった。
村谷さんは、不意にぽろぽろと涙をこぼした。夜の暗さにも埋もれない、静かな、綺麗な涙だった。僕の心臓は切なく締め付けられた。同時に、僕は恥ずかしくなった。自分がどんな風に村谷さんに話しかけるか、などということに気を取られている間にも、きっと村谷さんはひとつのことを考えていたんだろう。そして、今流れてきた涙が、恐らくその答えなんだろう。そう感じた。
どれほど時間が経ったのだろうか。時計を確認するのは気が咎めた。僕は、結局何も声をかけず、村谷さんを見ていた。色々と考えているうちに、今の村谷さんにとって、僕はここにいることだけのために必要なんじゃないか、と思うようになったのだ。
「ごめんなさい」しばらくして村谷さんは、小さな声で言った。
はじめ僕は、その言葉が誰に向けられているのか分からなかった。
「小池君を心配させるようなことをしちゃって、本当にごめんなさい」村谷さんはもう一度言った。
途端に、僕を切ない気持ちが支配した。俯いていて村谷さんの表情は見えなかったが、居た堪れない思いは僕にも充分に伝わってきた。
「こちらこそごめん」と、僕は言った。
「謝らないで」村谷さんは、俯いたまま言った。「小池君が許してくれなかったら、私、誰に許してもらえばいいか分からないよ」
僕は、村谷さんが誰かに許してもらう必要なんてないと思ったが、黙っていた。そういう問題じゃないんだ、という村谷さんの声が、聞こえてくるような気がしたからだ。
「傷、見せてくれる?」と、僕は聞いた。
村谷さんは少し考えたようだったが、やがて静かに頷くと、自分の右腕のブラウスを、ゆっくりと引き上げた。月明かりに照らされ、白い素肌が露わになった。赤い筋が2本、走っていた。またしても、村谷さんに対する衝動が、僕の中にこみ上げてきた。僕は、それを必死に抑えながら、2本の筋を見ていた。そして僕は思った。僕は、この傷に恋をしているのではないか――
「ごめん、村谷さん」僕は言った。
村谷さんは、何を謝られているのか分からない、という様子だった。それもそうだろう。僕は、村谷さんの傷に欲情し、そんな自分がたまらなく憎いのだ。
「僕は今の所、村谷さんと向き合うことができないでいる。村谷さんの腕の傷を見ると、切ない気持ちになるんだ。自分が浮「よ」と、僕は辛うじて言った。
「小池君」村谷さんは腕を僕の前に差し出して、言った。「私はカッターナイフで、小池君も傷付けていたんだね」
僕は思わず、村谷さんの腕に顔を付けた。冷たい腕だった。どうしようもなく切ない気持ちが募り、自分の舌で赤い筋をそっとなぞった。涙がこぼれてきた。
「ごめんね、村谷さん。俺、こんなに、こんなに情けないなんて――」言葉が続かなかった。
不意に、村谷さんが僕の身体を抱きしめた。僕は、ゆっくり抱きしめ返した。キスよりも、温かい気持ちが僕の中に広がった。優しい時間だった。
ここで、第十三場面の幕が下りる。