おきると荘の書斎

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セックスの話

2015-01-21 00:36:00 | ノンジャンル
最近、セックスレスが問題視されてきていますね。割と露骨に。
NHKが性行為について取り上げ始めるレベルですから、相当ヤバいのでしょう。

男性にも、結構性行為そのものを忌避するような傾向があるみたいですね。
何故なんでしょうか。

まあ、実際に忌避している方々にはそれぞれの理由があると思いますので、よかったら教えて下さいね。

ただ、ここで俺はひとつ「活字離れ」という原因を呈示してみようと思います。
それを持ってきた理由は何か。NHKで「アダルトサイトへの関心は高いのにセックスへの関心は低い」みたいな傾向が紹介されていたからなんですねー。


ここで、性行為を追体験できるメディアについて考えてみよう☆

やっぱりAVが一般的にあるんでしょう。
実写的なAVと、いわゆるエロアニメってのがあるよね。

三次元と二次元ってやつ。
この2つなんだけど、皆さんどういう風な目線で見てるんでしょうか。

俺は、この辺に結構肝心な所があると思うんだよね。

大いに考えられると思うのは、セックスを性行為のみとして見ているパターン。
AVでいうと、色々なシチュエーションは用意されているわけだけど、やっぱりみんなセックスを見るために再生している部分が大きいんじゃないか、と。

それに比べると、多少アニメはシナリオってのがある。

この違いは、実はかなり大きいと思う。性行為を見ているのか、物語を見ているのか。
アニメに関しても、二次元の性行為という形で見てる人は結構いるかもしれないですね。


セックスのみを見るのと、物語を追体験するのはどう違うのか。
一番大きいのは、セックスのみを見ることによって、性行為が形骸化してしまうことだと思います。
物語から、セックスが分離してしまう。体の重なり合いだけになってしまう。
そうなってくると、ある種マスターベーションだけで充分、みたいな気持ちが生まれてくるんじゃないか、と。

性行為が体だけの問題だと感じてしまうと、セックス→快楽の構図だけの問題に落とし込まれてしまう。

これは結構な要因じゃないか。


映像よりもう少し物語に近いものだと考えられるのは、文字を追うという作業や、静止画によるものじゃないでしょうか。
ただし、成人向け雑誌みたいなものの画像は、性行為そのものに対する想像は結構刺激してくれると思うんだけど、物語的ではないんじゃないかなあ。
文字を追う作業で、一番大衆娯楽っぽいのはエロゲですかね。

エロゲは、比較的物語を大切にしているものも多いと思いますし、エロゲ原作の一般アニメみたいなものも、視聴者は物語に惹かれる部分が強いでしょう。
この辺りは、もう少しセックスに心の領域が噛んでくるんじゃないですかね。

主人公はヒロインと、唯一無二の人間関係を築いていく。
その集大成として、最後にセックスがくる。動物の紀行番組に近い構成ですね。

それまでには、身体の問題としての性行為以外の、精神的な結びつきが生まれてくる。


思うに、この体験って結構大切なんじゃないかな。


そして、その最たるものが小説やエッセイみたいなメディアじゃないかと。

ここまでくると、物語の受容の拠り所は活字だけになり、相手の顔や表情ですら、自分の心の中で作り出すことになりますね。

性行為や性そのものが登場する小説って、もちろん官能小説だけじゃないよね。
直接的なセックスの描写で結構印象に残ってるのは村上春樹とか、石田衣良とかの小説でしょうか。
この辺りの人たちは、大分詳細なセックスの描写を書いてますね。

もう少しぼやかした書き方をする人もいますね。最近読んだのだと伊坂幸太郎とかが印象的ですが、ドストエフスキーのカラマーゾフの兄弟とかも、性に関する話題が結構出てくるし、司馬遼太郎なんかでも、かなり想像を掻きたてるような描写があります。

ただ、この辺の小説におけるセックスの位置付けって、結局の所文脈の上にあるものなんだよね。
文脈を切り離して、小説のセックスのシーンだけを読んだとしても、あまり感慨は湧かないんじゃないかと思う。
漫画なら、涼風辺りなんかがそういうタイプなんじゃないですかね。


結局何が言いたいのかというと、もう少し文脈のあるセックスと縁を持つことが、大切なんじゃないんでしょうか。


勿論、仕事がどうのこうのとか、一度断られた経験でプライドがどうのこうのとかいうことが原因になるセックスレスは、重要なことだと思います。

が、それだけじゃないんだろうな、というのが私見です。

援助交際っていう思春期の行動は、臨床心理の分野でもかなり取り上げられるテーマではあるんですが。
そこには、身体だけの関係と割り切っているようでいて、上手い家族や学校からの自立の方法、すなわち割り切りの方法を見つけられないという問題が横たわっていると言われます。

人間、割り切ったり分離したり、因果関係に帰結させたりするのが全てではないと思いますね。