こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです。
今日は何の脈略もなく、納豆発祥伝説について。。。
皆さんは納豆といえば、水戸とお思いでしょう。。。昔から駅前で、つと納豆を「水戸納豆」として販売していたのが有名になって、水戸といえば納豆というイメージになったのですよね。。。
しかし、実は納豆発祥説は、秋田が有力なのです。文献にも多くの記載があるようです。
後三年の役の時に八幡太郎義家の兵が、馬の背中に藁で包んだ大豆を背負わせていた所、糸ひくものが・・・・
これが納豆だったとの事。。。(最初にこの糸ひくものを食べた人を尊敬します。。。)
藁についていた納豆菌と大豆が出会って、馬の体温で温められて発酵したという事ですが、科学的にもうなずけます。
後三年の役の合戦場になった現横手市雄物川町沼館の八幡神社の祭典には、必ずつと納豆が奉納されます。
この頃、島流し?の地となっていた九州が、関西、四国などを飛び越して納豆を食べる地域であるという事も歴史的背景を感じさせます。
水戸にはこれに匹敵する歴史的背景もきっと存在するものと思いますが、今のところ深くは知りません
ただ、言えているのは、秋田より水戸の方が商売が上手だったという事は事実でしょう。
という事で、納豆発祥の碑、アップします。
機会がありましたら、美郷町の金沢公園にある碑をご覧方々、金沢の八幡神社に行ってみては如何でしょうか。
ちなみに後三年の役資料館なるものもありますよ