田沢湖 湖畔の杜通信

湖畔の杜レストランORAE《番猫『ミミ』のわがまま雑記考》

被災地へ・・・Vol.10

2011年03月30日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

一度目に大船渡に伺いました時に、「リアスホール」で遭遇した光景です。

なんと岩手県の獣医師会の方たちがボランティアで、飼い主とはぐれてしまったワンちゃんや猫ちゃんを保護しているという事で、その動物が避難している「リアスホール」にゲージや餌を運んでいるところに出会いました。

「リアスホール」は人だけではなく動物の避難にも機能していたのです。

リアスホール内の木に繋がれたワンちゃんの鳴き声を聴いて、車椅子の女性の方が「あの声は飼い主をなくした不安な鳴き声だ」、「人間もこんな風に助けてくれているなら、動物も人間と同じなんだから助けてあげて!!」と叫んでおりました。

お話を伺うと、この方もワンちゃんを飼っていらしてはぐれてしまったとの事。「うちの子かと思ってきてみたの」と避難所から出ていらしたとの事でした。

「動物も人間と同じ」という立場に立って、保護していらっしゃる獣医師会の方たちに敬意を表すると共に、こちらからもお礼を申し上げたい気持ちで一杯になりました。

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岩手県獣医師会「救援緊急車両」

動物たちのレスキューのようで、非常に頼もしいです

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車の中にはゲージや餌も・・・


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被災地へ・・・Vol.9

2011年03月29日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

大船渡、綾里地区からの帰りの車の中。

小高いところ、冷たい海風の吹くところにある、あの建物の中で夜を過ごすのだな・・・。

お休みになる避難者の皆さんの苦痛はいかばかりかと。

小雪の中、炊き出しのところではしゃいでいた女の子。

素足でしかも、しもやけなのか先端が真っ赤。

思わず両手でその足を包んで温めてあげたい、そんな衝動にかられました。

「なんとかしたい」  「なんとかしなければ」

そんな想いを強くし帰ってきて開けた会社のドア。

「ああああ!!!」

沢山のお気持ちと優しさが積み重なっておりました。

感謝で胸が一杯になりました。

本当に感謝で、感謝で、とにかく感謝で胸が一杯になりました。

その訳は後のブログで、ご報告いたします。

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被災地へ・・・Vol.8

2011年03月28日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

車は小高い場所にある「綾里地区公民館」というところに向かっておりました。

ここが今回の炊き出しの場所です。

公民館前の駐車場は結構広かったのですが、消防車が陣取り緊急体制をとっているという雰囲気でした。

建物は新しいのですが地震によるものでしょう、中に入ると壁が落ち天井の鉄筋を囲んでいる外壁材のようなものも割れて垂れ下がっていました。

大分揺れたと思われるこの建物に避難しなければならない事を気の毒に思いながらも、ご担当の方と炊き出しをさせて頂く段取りについて打ち合わせさせて頂きました。

いつもは婦人会の方が炊き出しをしていらっしゃるようでしたが、今回は私たちがお邪魔したので、1食分助かると喜んでおられました。

公民館の調理場をお借りするのもご迷惑でしたので、外でまるで屋台のような雰囲気でやる事になりました。

外販は勝手知ったる・・・・というところで、素早く段取りをとり、早速作り始めました。

今回は、横手焼そばの麺を横手市の林泉堂さんに、生野菜を田沢湖の生産農家 千田さんにご協力を頂きました。

という事で湖畔の杜レストランORAEからは、焼そばのお好み焼きサンド、

また田沢湖水深委員会からは田沢湖名物「あじゃら鍋」を提供させて頂きました。

 ソースの焦げる香ばしい匂い、ジュッと言う音・・・・炊き出しのまわりには、たちまち子供達や高校生の男の子達が集まっていました。

焼そばを桜エビ入りのお好み焼きの皮でサンドして、上にソースを塗りマヨネーズをたっぷりのせて・・・・。

この光景に高校生の男の子達は「マヨネーズたまんね~!!」「やべえ~!!」を連発。

ソースやマヨネーズの味わいは、子供達にとっては本当にご馳走なのですね。

小学生の子供達は焼いている傍を離れず、ピョンピョンと飛び跳ねておりました。

 足元を見ると靴下も履いていないし、見るからに寒そうな格好をしている・・・この日は小雪がチラつく空模様。

いつもどんなものを食べているの?の質問に、

「ん~、おにぎりとか、カップラーメンとか」

「でも昨日はチキンラーメンだった!」と。

それがいかにもご馳走のように言うのです。

この子達の様子に、「よお~しい!」と俄然テンションがあがり、「待っててね!今沢山作ってあげるからね!!!」と。

1時間弱で110食分を用意した後、うちの厨房のスタッフが、傍から離れない高校生の男の子たちに「焼いてみろ」と自分が食べる分を手ほどきしていました。

お好み焼きの生地が流れたとか、ひっくり返せるかとか、ワイワイと楽しみながら焼く様に、今はこのような事もこの子たちには非日常なのだなと・・・。

「来てよかった」としみじみ思いました。

沢山のお野菜と団子、甘酒で仕上げる「あじゃら鍋」はとても優しい味で、体が温まるのでご年配の方にもお喜び頂ける準備となりました。

 婦人会の方からお聞きした110食は避難していらっしゃる方の数で、公民館の敷地内にいらっしゃる診療所の方とか、消防署の方などはその食数には入っていない事がわかり、急遽その方たちにもお作りして提供させて頂きました。

働いていらっしゃる方もボランティアの方も皆、被災者なのです。

ある男性は「ソースの香りなんて、何ヶ月ぶりだろう」と、子供のように焼台の前でじっと待っていらっしゃいました。

またある女性は「この焼そばを持って帰って家族4人でわけて食べますと・・・」泣いていらっしゃいました。

この方には無理やりもう1パックお持ち頂きましたが、もっと持っていって下さいと言っても誰一人として多くを手にする方はおりませんでした。

それは「出来るだけ多くの方のもとに渡るように」という気遣いなのです。

こちらが、そのような気遣いをさせない程の提供が出来ていれば・・・と唇を噛みました。

 消防署の方とお話を致しましたら、消防署にも津波がきたという事で、公民館に間借りするかたちで待機していらっしゃるとの事でした。

こちらのメンバーにも地域の消防団がおりましたので、暫し消防の話しで盛り上がっておりました。

「田沢湖に行きますから」と、皆さん。

いらして頂けるあらゆる余裕はきっとない事を思うと、私たちに対する気遣いなのだろうと思います。

いつかはいらして頂きこの時の事でもお話でも出来ればと思いますが、今私たちが一番望んでいる事は、「皆さんの笑顔を見る事」 「皆さんを笑顔にする事」。

それしかないのです。

「笑顔を拝見する以上のお返しはありません」と言い、帰り仕度に入りましたが、私たちはこちらが今日頂いた皆さんの笑顔で逆に勇気付けられた事のお礼を言いたい気持ちで一杯でした。

 日を重ねるに従って必要なものも変化します。

その時必要なものは直接連絡を下さいとお願いし、連絡先をお渡しして帰って参りました。

あの方たちの、背負いきれない程の様々な事を思うと「私たちはある日の一日に気まぐれに参加しただけ」・・・そのような力なき存在であったと、無力さに自分を責めるしかありませんでした。

そうして、「また繰り返し、繰り返しお邪魔する・・・・これしかない」

そう強く思いました。

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「ひとつになろう日本」

「力を合わせて」

秋田・田沢湖からきました 

と緊急車両に貼り込んで 出発しました。

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大船渡 綾里(りょうり)地区公民館

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浸水した消防署の待機所に・・・

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田沢湖の水耕栽培 千田さんのレタスです

洗わずに食べれる生野菜。水のないところには

持ってこいです。

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大人気の横手焼そば 林泉堂さんのご協力です

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やる気満々で望むスタッフ

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ジュ~という美味しそうな音が食欲をそそります

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大判の鉄板。

半分は焼そば、半分はお好み焼きと段取りよく

進められました。

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「わあお~」の歓声が・・・

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ソースとマヨネーズ・・・そして青のり。

作っている私たちも食欲をそそられる程でしたので

子供達が飛び跳ねるのも無理はありません。

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生野菜も添えて・・・・

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寒そうな格好の子供達を少しでもあったかい

テントにと。

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湯気をたたえる「あじゃら鍋」。

色々な具材の旨味がとけあった美味しそうな

香りで辺りが満たされました。

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彩りも添えて・・・。中に運び込みます。

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自分達が作った焼そばをいかにも大切なものを

見るように・・・

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焼そばの温かさも美味しさのひとつです


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被災地へ・・・Vol.7

2011年03月27日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

大船渡の下平地区を後にし、反対側の湾の綾里地区へ車を進めました。

綾里地区へ向かうところには川があるのですが、この川沿いには民家が多数あります。

民家のガラスこそ割れていませんでしたが、道路には沢山の泥が溜まっていて、あの川の土手をこえてここまで水がきたのかと唖然とするばかりでした。

更に車を走らせると、山峰に建っている民家でさえ破壊されているのを目にし、こんなところまで津波がきたのかと、ただただ口を開け荒涼とした光景を見ておりました。

生コンの大きな会社がありましたが、建物自体は残っているものの割れたガラス窓から瓦礫が覘いているところを見ると、機能できる状態ではない事がわかりました。

その会社を過ぎて間もなく、まるで焼け地のように真っ黒な世界が広がっていました。

最初、燃えたのかと思いましたが、建物は残っているのに黒くなっているのに気付き、「あっ、これは重油だ」とまかりました。

海に目を移すとやはり黒いのです。

養殖の地も壊滅です。

この先、炊き出しに行く綾里公民館には、ここで住宅を奪われた方たちがいらっしゃるのだ、と涙で一杯になりつつも、この惨劇をしっかり目に焼き付けていかなければと思いました。

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きっと積まれた材木自体が津波の力によって

破壊機のようになっていたに違いありません

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とにかく一面、真っ黒なのです

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道路を塞ぐように乗り上げた漁船。

もう少しで目の前の民家に激突していたであろう

様を想像し、恐ろしさで身体が震えました。

船の下をくぐるように して車を走らせました。

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一部焼けたようなお宅もありました


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被災地へ・・・Vol.6

2011年03月26日 | 東日本大震災 被災地へ。

こんにちは、秋田・地ビール 湖畔の杜レストランORAEのミミです

2度目の大船渡市。

何をどうお伝えすればよろしいか、心の整理がつかず、わがままを言いましてアップが遅れました。

誠に申し訳ありません。

でも伝えなければいけないのだと強く想い、PCに向かっておりますが、その場に身を置いた時の事を思い出すと、涙で文字が見えなくなります。

前回、参りました時は、アメリカなど海外のレスキューの方たちが入っていらっしゃるという事で立ち入りが出来なかった場所に、今回は足を踏み入れました。

車を止めて、瓦礫の山を歩いて、お世話になっている方のお宅があったところに足を進めました。

風景が全くかわり手探りでお宅を探すような状態だったのですが、「あそこだ!」とわかったら、それまで心臓がドキドキしていたのに、ひきつけられるようにその場に一気に駆け出しておりました。

「あー、あー、あー」

という言葉を何度も何度も繰り返すだけでした。

これまでの試練やご苦労や喜びを積み重ねて出来た家も何もかも、無きものになっていました。

自分が今こうしてある事自体がまるで罪のように思える光景を目にし、自分を責める想い、満足に何も出来ない事を責める想い、そしてこの状態をどのような気持ちで受けとめているのか・・・その方の事を想い、この日から心のモヤモヤに捕らえられどうしようもありません。

このモヤモヤを取り除くには、やはりこの地に向かうしかないのだと思います。

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国道45号線を走ると海側はこのような光景が・・・

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数々の思いが詰まった建物の様々な部分が

未だ波のように打ち寄せたままです

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車や重機が通る道の確保が第一だったのでしょう。

埋まった道路がようやくきれいになったという感じです。

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車から見る光景。この道も塞がれていたに違いありません。

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何をどうしていいのか・・・

見ているだけで、住んでいた方のため息が聴こえてきそうです

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これでも大きなものは取り払われ、大分片付いた

のだと思われます

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門はわかるものの建物は認められません

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とにかくこのような惨劇がとめどもなく広がっているのです

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建物の前に、立ち尽くす人。

話しはしなくても、この方の背中から

様々な想いが伝わってきます。

コメント (4)
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