26年前。
今、「お台場」と呼ばれている所には船の科学館があるぐらいで、何にもない埋め立て地でした。
そこでJ-POP史上初めての10万人コンサートが行われたんです。
どんな規模になるのか、どんなことになるのか、
音楽業界だけでなく、色々な業界が注目していました。
私自身は仕事で行けなかったのですが、後日、発売されたVTRを見て涙を流していました。
特に、この曲
アルフィー「Rockdom~風に吹かれて~」1986.8.3 TOKYO BAY-AREA(youtoube)
この曲が「俺達の時代を忘れないで」のリフレインを繰り返していたことから、一時は解散説も流れた程でした(笑)
数年を経て、自分もある程度大人になった頃、何故かこの曲が嫌いになったんでね。
どうしてなのかは判らなかったけど、ライブで聴くたびにうんざりしていました。
それがいつしか、また大切な曲になったんです。
この曲が嫌いになっていたのは、彼等がこの歌を歌っていた世代の頃でした。
それを通り過ぎたら、懐かしく大切な曲になっていて。
こういうことがあって、1つの曲でも自分の年齢や環境など色々な要因で好きになったり嫌いになったりすることもあるんだと知りました。
今は大切な曲ですよ。
中と半端に大人だった頃には、きっとうざったかったんでしょうね、この曲。
なんだか悟りを開いてるような曲ですもん(笑)
それが40歳間近でまた好きになって…。
ふふふ。
こういうことがあるからAさんファンを辞められないのよね。
長く見ているからこそ、判ることがあるってね。
しかし、32歳でこの曲を書いた右氏の心境は一体どうだったんだろう。
個人的にはこの曲よりもその翌年に出た「My Truth」の方が解散するんじゃないかという気持ちが強かったかな。
この頃の右氏は本当に、鋭いナイフのような、そんな感じで見ていて怖かったもん。
そのナイフで自分自身を傷つけるんじゃないかって。
ま、それも杞憂に終わったんですけどね(笑)
今じゃGLAYの20万人コンサートが最大と言われますが、Aさんの場合は交通手段も何もない本当に更地で一から作りましたもんね。
これがなかったら、日本の大規模野外ライブは無かったと言われてます。
(観客10万人でよく事故がおきなかったものだと、本当に思います。翌年の野外オールナイトコンサートも凄かったけどね)
しかし、会場から最後にハケた人は、もう電車が動いていなかった…ってオチもあったそうです。
そしてこの日は東京都の都バスを借りれるだけ借り切ってピストン輸送したんだそうですよ。
勿論、地方からはツアーバスがスゴイ数来ていましたし。
(名神・東名の渋滞で大阪のツアーバス20数台が開演に間に合わなかったのは有名な話)
今、これと同じ規模のライブを屋外でやることは難しいでしょうね。
長時間会場で待たなければならない観客の健康状態を始め、それだけの交通手段の用意。
何より、場所が無い。
彼等自身、もうこういうイベントはやらないと思いますけど、こういうスゴイ野外イベントがあったんだよということは、語り継いでいきたいと思います。
おまけ。
その10年後、彼等はこんな歌を歌っています。
倖せのかたち (youtube)
優しくていい曲です。
今、「お台場」と呼ばれている所には船の科学館があるぐらいで、何にもない埋め立て地でした。
そこでJ-POP史上初めての10万人コンサートが行われたんです。
どんな規模になるのか、どんなことになるのか、
音楽業界だけでなく、色々な業界が注目していました。
私自身は仕事で行けなかったのですが、後日、発売されたVTRを見て涙を流していました。
特に、この曲
アルフィー「Rockdom~風に吹かれて~」1986.8.3 TOKYO BAY-AREA(youtoube)
この曲が「俺達の時代を忘れないで」のリフレインを繰り返していたことから、一時は解散説も流れた程でした(笑)
数年を経て、自分もある程度大人になった頃、何故かこの曲が嫌いになったんでね。
どうしてなのかは判らなかったけど、ライブで聴くたびにうんざりしていました。
それがいつしか、また大切な曲になったんです。
この曲が嫌いになっていたのは、彼等がこの歌を歌っていた世代の頃でした。
それを通り過ぎたら、懐かしく大切な曲になっていて。
こういうことがあって、1つの曲でも自分の年齢や環境など色々な要因で好きになったり嫌いになったりすることもあるんだと知りました。
今は大切な曲ですよ。
中と半端に大人だった頃には、きっとうざったかったんでしょうね、この曲。
なんだか悟りを開いてるような曲ですもん(笑)
それが40歳間近でまた好きになって…。
ふふふ。
こういうことがあるからAさんファンを辞められないのよね。
長く見ているからこそ、判ることがあるってね。
しかし、32歳でこの曲を書いた右氏の心境は一体どうだったんだろう。
個人的にはこの曲よりもその翌年に出た「My Truth」の方が解散するんじゃないかという気持ちが強かったかな。
この頃の右氏は本当に、鋭いナイフのような、そんな感じで見ていて怖かったもん。
そのナイフで自分自身を傷つけるんじゃないかって。
ま、それも杞憂に終わったんですけどね(笑)
今じゃGLAYの20万人コンサートが最大と言われますが、Aさんの場合は交通手段も何もない本当に更地で一から作りましたもんね。
これがなかったら、日本の大規模野外ライブは無かったと言われてます。
(観客10万人でよく事故がおきなかったものだと、本当に思います。翌年の野外オールナイトコンサートも凄かったけどね)
しかし、会場から最後にハケた人は、もう電車が動いていなかった…ってオチもあったそうです。
そしてこの日は東京都の都バスを借りれるだけ借り切ってピストン輸送したんだそうですよ。
勿論、地方からはツアーバスがスゴイ数来ていましたし。
(名神・東名の渋滞で大阪のツアーバス20数台が開演に間に合わなかったのは有名な話)
今、これと同じ規模のライブを屋外でやることは難しいでしょうね。
長時間会場で待たなければならない観客の健康状態を始め、それだけの交通手段の用意。
何より、場所が無い。
彼等自身、もうこういうイベントはやらないと思いますけど、こういうスゴイ野外イベントがあったんだよということは、語り継いでいきたいと思います。
おまけ。
その10年後、彼等はこんな歌を歌っています。
倖せのかたち (youtube)
優しくていい曲です。