私は音楽は好きだけど、専門的な事は知らない。
母は私にマリンバを習わせたかったらしいが、地方の中小都市にそんなセンスの良い音楽教室など無く、私は親戚から貰った古いオルガンを弾いて遊ぶ程度だった。
小4の時の担任が音楽教諭で、私達のクラスが学校代表として、市の小学校の音楽会に出ることになった。
これが音楽と真面目に接した最初かも知れない。
曲名はわすれたけど、2曲か3曲演奏したっけ。
うち1曲は鉄琴を担当し、あとはリコーダー。
その年の冬には リコーダー・アンサンブル・コンテストにも出た。
緊張したけど、演奏するのは楽しかった。
小5の時には学校の鼓笛隊に入ってベルリラを担当。
でも小5の3学期に転校して、転校先の小学校で半ば絶望した。
何故なら、音楽教諭は家庭科の教諭が兼任で、マトモな指導がされていなかったから。
ソプラノリコーダーで、一番低いドの下のシをどうやったら吹けるのかと聞かれた時、恐らく私の背後には縦線がザーッと降っていたと思う(苦笑)
彼等はリコーダーの基礎すら知らなかったのだ。
同じ市内の隣の学校なのに、この差は何だ?と、小学生ながらに悩んだっけ。
前の小学校は市立にも関わらず学力も高く、理科教育の優れた学校に贈られる「ソニー賞」を貰った。
男女分け隔て無く、良く学び、良く遊んだ。
が、転校先の学校は違った。
なんだか陰鬱で、休み時間は男子は外でドッジボール、女子は教室でお喋りだった。
私は女子の中で、只一人、男子とドッジボールをしていた。
だから、女子よりも、男子と仲が良くなるのが先で、気の合う男子とよく喋っていた。
が、それが女子には気に入らなかったらしく、女子のボスらしき子から「○○君と一週間喋らないで」と釘を刺された。
今で言えば、「イジメ」の走り(笑)
ま、一年経てば中学で前の小学校の子と会えるからと、一年耐えた。
(中学は前の小学校と、転校先の小学校とあと2つの計4校が集まる)
中学は器楽部に入った。
吹奏楽が無かったから。
楽器はリコーダー、クラシックギター、何故かコントラバス(笑) ピアノとエレクトーンだった。
リコーダーはソプラニーノからバスまで、一通りあった。
そらもう天国でしたね(笑)
みんなで集まって好きな曲を演奏してたもんでした。
マトモに練習したのは、文化祭の前、市の音楽会の前、リコーダーアンサンブルコンテストの前だけ(笑)
普段はピアノで白色彗星のテーマを弾いたりしてました。
中学を卒業して高校に入ったら、音楽系は合唱部のみorz
マン研に入ってるうちに、たまたま見に行った「レンズマン」で流れた「愛の鼓動」でズッホリてALフィーにハマって今に至ります。
ALフィー熱も落ち着いて、今は気が向いたら新曲を買い、気が向いたらライブに行くという気楽なスタンスです。
そういえば、数年前、前に住んでいた街の近くに、元N響のコンマスの徳永次男さんの演奏会がありました。
さすがにヤマトはやって頂けませんでしたが、CD購入者へのサイン会の時に「ヤマトの音楽で徳永さんを知りました」とお話しさたら、ニッコリと優しく微笑んで下さいました。
それで、私は音楽に満足してしまい、以来、リコーダーを吹くことも無くなり、ライブにも通わなくなりました。
でもたったこれだけでも、私は音楽を堪能しました。
地方都市に住む人間にはこれが精一杯。
今は甥っ子がエレクトーンを頑張っているので、影からコッソリ応援しています。
やっぱり音楽は演奏してこそ楽しいですね。
母は私にマリンバを習わせたかったらしいが、地方の中小都市にそんなセンスの良い音楽教室など無く、私は親戚から貰った古いオルガンを弾いて遊ぶ程度だった。
小4の時の担任が音楽教諭で、私達のクラスが学校代表として、市の小学校の音楽会に出ることになった。
これが音楽と真面目に接した最初かも知れない。
曲名はわすれたけど、2曲か3曲演奏したっけ。
うち1曲は鉄琴を担当し、あとはリコーダー。
その年の冬には リコーダー・アンサンブル・コンテストにも出た。
緊張したけど、演奏するのは楽しかった。
小5の時には学校の鼓笛隊に入ってベルリラを担当。
でも小5の3学期に転校して、転校先の小学校で半ば絶望した。
何故なら、音楽教諭は家庭科の教諭が兼任で、マトモな指導がされていなかったから。
ソプラノリコーダーで、一番低いドの下のシをどうやったら吹けるのかと聞かれた時、恐らく私の背後には縦線がザーッと降っていたと思う(苦笑)
彼等はリコーダーの基礎すら知らなかったのだ。
同じ市内の隣の学校なのに、この差は何だ?と、小学生ながらに悩んだっけ。
前の小学校は市立にも関わらず学力も高く、理科教育の優れた学校に贈られる「ソニー賞」を貰った。
男女分け隔て無く、良く学び、良く遊んだ。
が、転校先の学校は違った。
なんだか陰鬱で、休み時間は男子は外でドッジボール、女子は教室でお喋りだった。
私は女子の中で、只一人、男子とドッジボールをしていた。
だから、女子よりも、男子と仲が良くなるのが先で、気の合う男子とよく喋っていた。
が、それが女子には気に入らなかったらしく、女子のボスらしき子から「○○君と一週間喋らないで」と釘を刺された。
今で言えば、「イジメ」の走り(笑)
ま、一年経てば中学で前の小学校の子と会えるからと、一年耐えた。
(中学は前の小学校と、転校先の小学校とあと2つの計4校が集まる)
中学は器楽部に入った。
吹奏楽が無かったから。
楽器はリコーダー、クラシックギター、何故かコントラバス(笑) ピアノとエレクトーンだった。
リコーダーはソプラニーノからバスまで、一通りあった。
そらもう天国でしたね(笑)
みんなで集まって好きな曲を演奏してたもんでした。
マトモに練習したのは、文化祭の前、市の音楽会の前、リコーダーアンサンブルコンテストの前だけ(笑)
普段はピアノで白色彗星のテーマを弾いたりしてました。
中学を卒業して高校に入ったら、音楽系は合唱部のみorz
マン研に入ってるうちに、たまたま見に行った「レンズマン」で流れた「愛の鼓動」でズッホリてALフィーにハマって今に至ります。
ALフィー熱も落ち着いて、今は気が向いたら新曲を買い、気が向いたらライブに行くという気楽なスタンスです。
そういえば、数年前、前に住んでいた街の近くに、元N響のコンマスの徳永次男さんの演奏会がありました。
さすがにヤマトはやって頂けませんでしたが、CD購入者へのサイン会の時に「ヤマトの音楽で徳永さんを知りました」とお話しさたら、ニッコリと優しく微笑んで下さいました。
それで、私は音楽に満足してしまい、以来、リコーダーを吹くことも無くなり、ライブにも通わなくなりました。
でもたったこれだけでも、私は音楽を堪能しました。
地方都市に住む人間にはこれが精一杯。
今は甥っ子がエレクトーンを頑張っているので、影からコッソリ応援しています。
やっぱり音楽は演奏してこそ楽しいですね。