この1週間は、欧州、特に旧東欧は「この話題」が少なからず採り上げると思います。
まず、ORFのサイトで見たこの記事、、、
「独首相、ハンガリー・オーストリア国境訪問」
この場所が、東西冷戦の終結に重要な役割を果たしたのは、ご存知だと思います。
今から20年前、旧東独の多くの人が、「パノラマピクニック」に参加するため、ハンガリーのオーストリアに近いショプロンに訪れてました。
一応目的はピクニック。
でも、本当は、、、
オーストリア、さらには旧西側へ向かうこと。
その頃、ソ連ではゴルビーこと、ゴルバチョフ氏が書記長となり、これまでの東西冷戦の態度を軟化させる兆しを見せてきており、、、
他の東欧諸国も、この空気に敏感に反応して、民主化へのステップを公に、徐々に進めはじめたころでした。
勉強不足で申し訳ないのですが、この後簡単に書かせていただくと、、、
国境を超えようと列挙した旧東独の人たちに対して、ハンガリーの国境警備員がとった行動は、、、
見て見ぬふりをして通してあげた!
確かにハンガリーも、東側に属してました。
でも、他と比べて民主化への意識が強かったので、こうできたのでしょう。
その後は、、、
もうご存知ですね!
数ヶ月経ったドイツ、ベルリンで起こった、あの「壁の崩壊」。
さらには、、、
東欧各国の民主化。
その劇的な変化を遂げた大事なステップの一つが、このハンガリーの「パノラマピクニック国境越え」だったのです。
そして、もう一つ、大事な出来事が、8月のこの時期にありました。
時は1968年、8月20~21日。
場所はプラハ。
当時、「プラハの春」と言われ、民主化へ進みつつあったチェコスロヴァキアでしたが、、、
それを警戒したソ連軍が軍事介入をして、その動きを踏みにじった事件がこの日に起きたのです。
そして、それに抗議して、翌年、学生がヴァーツラフ広場で焼身自殺をして。。。
「チェコ事件」と呼ばれる、この痛々しい弾圧は、今でも東欧の民主化を語るときの苦い思い出として、新聞はもちろん、ガイドブックでも知ることができます。
そして、同じ場所で、その21年後の1989年に、、、
今度は、100万人の市民が集まり、、、
無血で革命を果たすことができ・・・
今度は「成功の舞台」となることができたのです。
で、この8月21日。
実は、、、
ウチは、6年前、なんとその激動
その舞台、プラハを旅行してたんです。
当時は無知で、そのことを知らなかったのですが、、、
何気に買った新聞を見ると、、、
この35年前(当時)の事件のことが大々的に載っていて、、、
「この時期に来たこと」に驚き、身震いしたことを今でも覚えてます。
もちろんその革命の中心地、ヴァーツラフ広場にも行きました。
すでに争いとも血とも無縁なこの場所に、「激動の歴史があった」とは信じられませんでしたが、、、
ref="http://">
ウチが訪れた時にも、ヴァーツラフの銅像の前には、花束が置いてありました。。。
その花束は、我々旅行者に「この国の歴史を、そしてここで何が起こったのかを分かりやすく教えてくれてるんだな・・・」と、今、書きながら思ってます。
こうした歴史を知ることで、ウチはもっとヨーロッパを知ることができるし、好きに(時には嫌いに?!←でもしょうがないよね・・・)なれると思います。
特に東欧は、必然的にこのような「民主化の舞台」とつながりのある所へ行くことが多いと思うので、これからはもっと予習をしておきたいと思います。
不足してたことが多いと思いますし、間違ったことを書いてるかもしれませんので、もしよろしければご教授頂ければありがたいです。
めずらしく、「真面目なブログ」を書いた、今日のsuzukkyでした!
まず、ORFのサイトで見たこの記事、、、
「独首相、ハンガリー・オーストリア国境訪問」
この場所が、東西冷戦の終結に重要な役割を果たしたのは、ご存知だと思います。
今から20年前、旧東独の多くの人が、「パノラマピクニック」に参加するため、ハンガリーのオーストリアに近いショプロンに訪れてました。
一応目的はピクニック。
でも、本当は、、、
オーストリア、さらには旧西側へ向かうこと。
その頃、ソ連ではゴルビーこと、ゴルバチョフ氏が書記長となり、これまでの東西冷戦の態度を軟化させる兆しを見せてきており、、、
他の東欧諸国も、この空気に敏感に反応して、民主化へのステップを公に、徐々に進めはじめたころでした。
勉強不足で申し訳ないのですが、この後簡単に書かせていただくと、、、
国境を超えようと列挙した旧東独の人たちに対して、ハンガリーの国境警備員がとった行動は、、、
見て見ぬふりをして通してあげた!
確かにハンガリーも、東側に属してました。
でも、他と比べて民主化への意識が強かったので、こうできたのでしょう。
その後は、、、
もうご存知ですね!
数ヶ月経ったドイツ、ベルリンで起こった、あの「壁の崩壊」。
さらには、、、
東欧各国の民主化。
その劇的な変化を遂げた大事なステップの一つが、このハンガリーの「パノラマピクニック国境越え」だったのです。
そして、もう一つ、大事な出来事が、8月のこの時期にありました。
時は1968年、8月20~21日。
場所はプラハ。
当時、「プラハの春」と言われ、民主化へ進みつつあったチェコスロヴァキアでしたが、、、
それを警戒したソ連軍が軍事介入をして、その動きを踏みにじった事件がこの日に起きたのです。
そして、それに抗議して、翌年、学生がヴァーツラフ広場で焼身自殺をして。。。
「チェコ事件」と呼ばれる、この痛々しい弾圧は、今でも東欧の民主化を語るときの苦い思い出として、新聞はもちろん、ガイドブックでも知ることができます。
そして、同じ場所で、その21年後の1989年に、、、
今度は、100万人の市民が集まり、、、
無血で革命を果たすことができ・・・
今度は「成功の舞台」となることができたのです。
で、この8月21日。
実は、、、
ウチは、6年前、なんとその激動
その舞台、プラハを旅行してたんです。
当時は無知で、そのことを知らなかったのですが、、、
何気に買った新聞を見ると、、、
この35年前(当時)の事件のことが大々的に載っていて、、、
「この時期に来たこと」に驚き、身震いしたことを今でも覚えてます。
もちろんその革命の中心地、ヴァーツラフ広場にも行きました。
すでに争いとも血とも無縁なこの場所に、「激動の歴史があった」とは信じられませんでしたが、、、
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ウチが訪れた時にも、ヴァーツラフの銅像の前には、花束が置いてありました。。。
その花束は、我々旅行者に「この国の歴史を、そしてここで何が起こったのかを分かりやすく教えてくれてるんだな・・・」と、今、書きながら思ってます。
こうした歴史を知ることで、ウチはもっとヨーロッパを知ることができるし、好きに(時には嫌いに?!←でもしょうがないよね・・・)なれると思います。
特に東欧は、必然的にこのような「民主化の舞台」とつながりのある所へ行くことが多いと思うので、これからはもっと予習をしておきたいと思います。
不足してたことが多いと思いますし、間違ったことを書いてるかもしれませんので、もしよろしければご教授頂ければありがたいです。
めずらしく、「真面目なブログ」を書いた、今日のsuzukkyでした!