神父さんと、前橋教会と県庁へ行った彼は、家に帰ってきて絵を描いた。
ピンクなどパスカルカラーをちりばめた、明るい、暖かい、やさしい絵になった。そして彼は、自由に飛び回る鳥にでもなったように、県庁の斜め後ろの空から、赤城の裾野にある「心暖まる家」あかつきの村を描いた。
彼は今50代。あかつきの村で九年前から生活している。3年位前に、神父さんから「絵を描いたら」と、富士山に行った。思い出をはじめて描いた。それから彼の部屋はスケッチブックや画用紙で埋めつくされていった。
彼は家族から学力がないということで学校に行かせてもらえなかった。学校に行きたくていつも校門のところで立っていたという。
彼の絵は暖かい。話をしていると心が洗われる。少年のままなのだ。
いろんな仕事をしたという。字もかけない自分がどうやって役に立つか、クビにならないように一生懸命働いたという。たぶん、人権侵害的な扱いを受けたこともあったろうに。
にもかかわらず、私たちを包み込んでしまう、こんなにも暖かく明るい、楽しい作品を描くのは、彼の、そしてたぶん人間が皆持っている、生のエネルギーなのだ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001年1月18日)
あかつきの村 HP
http://www8.ocn.ne.jp/~ak-mura/
ピンクなどパスカルカラーをちりばめた、明るい、暖かい、やさしい絵になった。そして彼は、自由に飛び回る鳥にでもなったように、県庁の斜め後ろの空から、赤城の裾野にある「心暖まる家」あかつきの村を描いた。
彼は今50代。あかつきの村で九年前から生活している。3年位前に、神父さんから「絵を描いたら」と、富士山に行った。思い出をはじめて描いた。それから彼の部屋はスケッチブックや画用紙で埋めつくされていった。
彼は家族から学力がないということで学校に行かせてもらえなかった。学校に行きたくていつも校門のところで立っていたという。
彼の絵は暖かい。話をしていると心が洗われる。少年のままなのだ。
いろんな仕事をしたという。字もかけない自分がどうやって役に立つか、クビにならないように一生懸命働いたという。たぶん、人権侵害的な扱いを受けたこともあったろうに。
にもかかわらず、私たちを包み込んでしまう、こんなにも暖かく明るい、楽しい作品を描くのは、彼の、そしてたぶん人間が皆持っている、生のエネルギーなのだ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001年1月18日)
あかつきの村 HP
http://www8.ocn.ne.jp/~ak-mura/