父親は銀行の管理職、両親は新藤洋一を、エリートコースに進ませるため、進学校の近くに引っ越しをした。「今まであなた方の言うこと聞いてきた。今後は自分の後からついてきて下さい」。彼は大学に行かずに働いた。通信会社に就職して十年、東京での空気、水にはじまる環境の悪さと、未来への夢を見いだせなかった彼は退職し、石川県の有機無農薬農場で研修を受けた。石川県では、農場直営のレストランで料理長として修行をし、独特の料理人魂を身につけた。その後、祖母の住んでいる群馬の吉井町に「百姓」のできる土地があったため、そこに住み、「作農料理人」としてエネルギーと食の自給をめざし、活動してきた。太陽パネルによる電気はもちろんのこと、ニワトリ百五十羽を平飼いし、毎日産む七十個のタマゴの加工販売からスタートした。そしてそのフンを活かすため、バイオガスの研修に行き、群馬県で第一号、全国でもまだ十機しか稼働していないバイオガスプラントを造った。現在、土日曜営業のレストランと、家のガスに活用している。試行錯誤のうちにはっきりしてきた「自給」。これを危機に瀕している全国に広げていくことを使命と感じている。理想を実行していく男はカッコイイ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001年10月4日)
食の安全と環境は「すてきな命」の基本です!
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001年10月4日)
食の安全と環境は「すてきな命」の基本です!
せっちゃんの明るい「かきくけこ」