ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

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すてきな命 vol.25

2007-04-11 00:05:01 | すてきな命
 知的障害者、以前は精神薄弱と呼ばれていた。「害」はないので「知的ハンディ」位がいいだろうか。「フックン」は知的ハンディとして生まれた。今、十五歳。私にニコニコして「ハッピィ?」と問いかける。心がなごむ。フックンのようにハンディを持った人は、今までは入所更正施設に入っている。家族と離れ、ご飯も五十人、百人の人と食べ、決められたスケジュールの上で人生をすごす。

 フックンのパパは、国立コロニーの指導員から、厚生省の傷害福祉専門官として働いている。ハンディのある人たちが地域で一生、安心して生活できる環境を整えることを、全国の自治体や、関係者に働きかけている。ママは群馬も変えたいと、十一月十七日に「地球生活支援ぐんまフォーラムⅡ」を、伊勢崎の「県総合教育センター」で開く。シンポジウムは、パパや県の人、施設で働く職員など。私たちは「フックンに動かされているみたい」ママは言う。フックンが現在通っている養護学校の校長先生があいさつをした。これからは先生を○○先生と呼びましょう。そのそばからフックンは校長先生に近づき「コウちゃん、ハッピィ?」と呼んだ。校長先生は「フックンにはかなわないなー」。呼び方よりも大切なことをフックンは伝えた。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年11月1日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」

すてきな命 vol.24

2007-04-11 00:04:14 | すてきな命
 六歳で奉公に出され、毎日、遠い川から水汲みをし、御主人の体を、眠い目をこすりこすり揉み、朝早くから夜遅くまで働いた。給料もなく、休みはお正月とお盆の二日間だけ。奉公は二十一歳の時まで続いた。

 その事を知った小学校四年生の私は考えた。

 私の母の一番上のお姉さん、母の郷里である酒田で、そのあと、料亭をやっていた。お料理も上手で、こんなにも素敵なおばさんは、不幸だったのだろうか。人間て、自分の意志に関係なく多様な環境の中に生まれる。おばさんは不幸であって欲しくなかった。そして一生懸命考えた私は、結論を出した。自分の好きなことができる環境、才能があることやないこと、美人であるとかないとか、お金持ちだとか、貧乏だとか、そんなことは幸せや不幸とは関係ない。とにかく一生懸命生きることができること、その事が幸せなんだ。そう結論を出した私は、とてもおばさんは幸せな人だと思った。おばさんの努力や苦労は、きっと、その後の人生のあらゆる場面で役にたったに違いない。

 アフガニスタンの戦火にさらされている子どもたちも生き抜いて欲しい。生まれたばかりの赤ちゃんは皆、まっすぐな無垢な心で大人を信じている。世界中の赤ちゃんの心に答えられる平和な世界にしなければ。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年10月18日)
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