高崎駅東口に、高崎調理師専門学校があった。32年前、その学校を卒業した3人組、星野さん、柳さん、清水さん。ある意味でははみ出し者だった。石原町のアパートに3人で暮らし、ロングヘヤーにパンタロンGパンの時代、それぞれレストランなどでバイトをし、現場勉強をしていた。従って必要と思う授業のみ出席したり、今思えば生意気な表現をして、先生と仲間を驚かせたりしていた。
星野さんはラーメン屋になり、柳さんはケーキの道に進み、クレッセントのパティシエとして有名になり、独立して活躍している。
清水さんは東京でフランス料理人として、お店を持ち、軌道に乗っていた。そこへ毎日通ってくる人がいた。日本の経済界を動かしているような人達の集まる会員制クラブの社長だった。彼は引き抜かれた。台湾要人接待の折、フランス料理畑の彼は中華料理を命ぜられた。新しい料理のスタイル「ヌーベルシノワーズ」に要人は絶賛してくれた。有名ホテルの料理人たちの話題になった。東京でのノリノリ料理人生活これからという時に、箕郷町に呼び戻された。
今年4年目、箕郷町のフュージョン(融合)レストラン「オー・ドゥ・ピュール」は、清潔感あふれるたたずまいで、特製カレーやエビチリランチも食べられる。人生は短い。自分の考えでしっかり地に足をつけて生きることは楽しい。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2005年6月16日)
レストラン「オー・ドゥ・ピュール」
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
星野さんはラーメン屋になり、柳さんはケーキの道に進み、クレッセントのパティシエとして有名になり、独立して活躍している。
清水さんは東京でフランス料理人として、お店を持ち、軌道に乗っていた。そこへ毎日通ってくる人がいた。日本の経済界を動かしているような人達の集まる会員制クラブの社長だった。彼は引き抜かれた。台湾要人接待の折、フランス料理畑の彼は中華料理を命ぜられた。新しい料理のスタイル「ヌーベルシノワーズ」に要人は絶賛してくれた。有名ホテルの料理人たちの話題になった。東京でのノリノリ料理人生活これからという時に、箕郷町に呼び戻された。
今年4年目、箕郷町のフュージョン(融合)レストラン「オー・ドゥ・ピュール」は、清潔感あふれるたたずまいで、特製カレーやエビチリランチも食べられる。人生は短い。自分の考えでしっかり地に足をつけて生きることは楽しい。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2005年6月16日)


せっちゃんの明るい「かきくけこ」