第七ラウンドで、ストレートパンチを受け、左目の上が裂け、血が吹き飛んだ。「アーダメ、モウヤメテ!」後楽園ホールの観客席にいた私は心で叫び、手で自分の顔をふさいだ。今から5年前、ウェルター級タイトルマッチ、高崎ボクシングジム所属の小松進一、二回目のドクターストップを振り切り、九ラウンド三回目のドクターストップで、レフリーストップになった。顔を押さえた指の間から試合を見ていた私は、声を張り上げて声援していた。その黄色い声に励まされ、失明覚悟で戦ったという。黄色い大声を出さなければ良かったと後悔先に立たず。
どっちにしても、プロレスやボクシングの見られない母性が出てしまう私には、応援は百歳も歳をとった気分になる。その小松進一が、この七月九日、タイトルマッチの前哨戦を戦う。私に来てくれますかと言った。私は一瞬ためらい覚悟を決めて「ベストを尽くそうね。見に行って応援する」と言った。小松君は父親を知らずに、おばさんに預けられて育った。高校は自分で働いて通った。彼がこんなにも厳しいボクシングに立ち向かい、優しく礼儀正しいのも、彼の生きてきた結果だ。目の前の厳しい夢に向け、その毎日のトレーニング。何があっても強く生きていける。幸せな男だ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2001年6月7日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
どっちにしても、プロレスやボクシングの見られない母性が出てしまう私には、応援は百歳も歳をとった気分になる。その小松進一が、この七月九日、タイトルマッチの前哨戦を戦う。私に来てくれますかと言った。私は一瞬ためらい覚悟を決めて「ベストを尽くそうね。見に行って応援する」と言った。小松君は父親を知らずに、おばさんに預けられて育った。高校は自分で働いて通った。彼がこんなにも厳しいボクシングに立ち向かい、優しく礼儀正しいのも、彼の生きてきた結果だ。目の前の厳しい夢に向け、その毎日のトレーニング。何があっても強く生きていける。幸せな男だ。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2001年6月7日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
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