ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

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すてきな命 vol.20

2007-04-08 10:16:35 | すてきな命
 インドの青年映画監督シュリプラカシュ(33才)は、ドキュメンタリー映画「ブッダの嘆き-ウラン公害に立ち向かう先住民」を三年半かけて一九九九年に完成させた。インドの独立と同時に、核の廃棄物ダムのために家は壊され、人も動物も植物も、見たことのない奇形や病気、死にさらされている先住民の実話をリアルに描いている。東京で開かれた第八回地球環境映画祭でアースビジョン大賞に選ばれた。彼は賞金の百万円で、最新のカメラを秋葉原で求めた。その一ヶ月後、私に国際電話が入った。「せつ子、とても悲しい。今日もまた一人子どもが死んだ」。私達日本人が、少々暑いとエアコンのスイッチを入れて電気を使う影に、世界の限られた地域で被爆者が産まれる。ウラン採掘現場から、東海村、元核実験場から風化の地域、核兵器の生産現場から解体現場まで・・何千、何万、何百万の人々が今も危険にさらされていることを私達は自覚せねばならない。シュリプラカシュは、この受賞は、世界のこのような辺境で苦しんでいる弱者達の受賞なのだと言った。多くの危険の中で制作された「ブッダの嘆き」は彼の苦労による勇気と愛の贈り物だ。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年8月23日)

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せっちゃんの明るい「かきくけこ」

すてきな命 vol.19

2007-04-08 10:16:02 | すてきな命
 あまりのかゆさと痛さに悩んだ日々。アトピーで苦しみ、治るのか治らないのか不安に夜も眠れない青春を過ごした。そんなやすこちゃんが、この春、元気な赤ちゃんを自宅で出産した。自分でもこんなに大きな声が出るんだと感心しながらあたりかまわず陣痛にこらえきれずに声を出してしまった。やすこちゃんが信念を持って農業の道を歩んでいる勝さんと出会ったのは四年前。新婚旅行は、風呂シャワーなしの寝袋旅行だった。アトピーを治したい、その一心で、勝さんとも出会い、自然を身近に安心できる生活を模索した。
 やすこちゃんは自宅分娩を決めていた。木暮先生という助産婦さんも、長崎の母も、出産のために駆けつけてくれた。結局、田植えの季節だったので、母は毎日、農作業を手伝ってくれた。友だちも遠方から、近くから来てくれた。狭い家はまるで合宿所のようだった。
 多くの人が家に入れ替わり泊まり、料理をし、百姓をし、夜まで語り合った。「アトピーのおかげで私は今、こんなに多くの暖かい友人達に囲まれ、感動的なお産が出来た」。奈々美と名付けられた。女の赤ちゃんを抱き、乳を飲ませ、求め続けた幸せを味わっていた。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年8月2日)

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すてきな命 vol.18

2007-04-08 10:15:21 | すてきな命
 私の大好きなイギリス人女性の友だちが、十一年間過ごした日本を離れ、自分が育ったスコットランドの土地で子供を育てるため、今朝、新幹線に乗った。イギリスから来ていた彼女のお母さん、七歳と六歳の二人の可愛い子どもを、彼女の夫が成田で見送った。彼女の夫は日本人、優しい、優しすぎるのではないかと思う。
 彼女は一般の日本人女性にはあまりいないストレートなタイプで、彼女の行動には少しの無駄もないようにさえ見える。スコットランドの土地で、彼女はいつも、馬に乗って過ごしていたという。これから彼女にふりかかる数々の試練を、聡明な彼女ならたくましく切り開いていくと思う。
 私は十代の頃、「子どもは今あるものにしがみつき、大人は今あるものを捨てることができる」という言葉に出会ったことがある。今あるものを捨てるというのは、悲しみや苦しみを伴うことも多い。
 彼女ととっても気が会うなと感じている自分がとてもうれしい。イギリス、スコットランドは遠い。今度、いつ会えるのか、その時彼女はどんなことをしているのか。自分はどうなっているのか。今からワクワクする。彼女の純粋でたくましいパワーを、共にもっと育てたいと思う。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年7月19日)

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すてきな命 vol.17

2007-04-08 10:14:32 | すてきな命
 「今どちらにいるか教えていただけますか?」「御親族の方意外には教えられません」三カ所目まで電話でたどり着いた私は、もう会えないのかと思うと悲しみがこみ上げてきてしまった。脳血栓で救急車で運ばれて一年。プライバシー保護のためだということで、今居る場所を教えてもらえなかった。
 Kさんは、ラサール高校を優秀な成績で卒業し、大学を出て、就職も決まった時、蓄膿の手術で耳が全く聞こえなくなって、そのために家族に人権侵害を受け、Kさんは家族と縁を切り、その学力を生かして五十年間翻訳の仕事をして生きてきた。「僕は人間嫌いですし、友達もいませんから、もし私が死んだときは、あなたが最近見ないなと思ってくれる位でしょう」などと言っていた。Kさんと私は、私がスポーツクラブでエアロビクスのインストラクターをしていた十六年前に知り合った。「私のスタジオで三線の演奏会をしますのでいらっしゃいませんか?」とお誘いしたことがある。「耳の聞こえない僕を誘ってくれるあなたは、おもしろい人だ」などと言って「五十年ぶりに耳の聞こえた頃の気分になりました」と喜んでくれた。
 今、どこにいるのか。私や友だちに会いたいと言って欲しい。私の笑顔をプレゼントできるのに。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年7月5日)

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すてきな命 vol.16

2007-04-08 10:00:17 | すてきな命
 アメリカ・ミシシッピ川の近くで育った伊達シャパード・デーロ。大学でアジアの政治経済を学んだ。さらに大学の勉強では学べない日本の生活を体験するため日本にやってきた。最低五年は帰らないつもりだった。そして日本女性と恋愛し、結婚。生まれた子供の「まさし」も今年八歳になる。
 二年前、一年余の間に大変なことが続いた。妻の母が一月に、同年十二月に父が亡くなり、翌年二月精神的支えを無くしたかのように力つきた妻が自らの命を絶った。それから二週間後、九人の子供を産み育て、九十八歳まで生き抜いた祖母が一年の入院の末、亡くなった。伊達家は百年の歴史ある折箱業を代々営んできた。お得意様が心配した。これで「有限会社折房」は終わりになってしまう。シャパードは悩んだ。折房には、十五歳の時から四十八年間も勤めた内山さんがいた。内山さんは「シャパードは大切なところをきちんとやってくれたらいい。一緒にやっていきましょう」と言ってくれた。
 一人息子のまさしもいる。この土地でこの家業をやっていこう。妻が亡くなった日から二年が過ぎた。内山さんとまさしが楽しそうに店で遊んでいた。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年6月21日)

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