ベリーダンススタジオ★☆★ぱわふるマドンナ★☆★ 主宰・坂口せつ子 

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すてきな命 vol.27

2007-04-12 00:07:43 | すてきな命
 生まれつき足に奇形があり、普通に歩けなかった私の母方のいとこ。しゃべることにも障害があったがよく家事をやっていた。母方の山形・酒田までは、何度もいくことはできないが、父亡き後、母と私の子ども三人連れて行った時のことだ。そのいとこは結婚していた。相手の男性は、小児まひのため、車椅子。片方の腕は動くが、押さえたりするだけ。もう一方の動く指で、時計の修理を身につけた人だ。

 彼は、私たちに、みそ汁をよそってくれ、そして後片付けも両手でキッチンまで歩いて行き、妻の洗った食器かごを下におろしてもらい、フキンで拭いていた。時計の修理と販売をして何年も平和に暮らしていた。いつも釣りに行く酒田港へも車椅子で案内してくれた。三人の子どもたちは、その姿を見て感動していた。最近、母から時計屋を止めたことを聞いた。時計の修理販売で自立するのは難しくなったのだろうか。最近群馬で開かれた「地域支援フォーラム」というのに参加してきた。長野市で十五人のスタッフで、百五十人の在宅のハンディのある人たちと、その家族のフォローをしている福田寿さんの基調講演が痛快だった。いとこ夫婦も出来る限り地域で自立して生活を続けて行ってくれたらと思う。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年12月6日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」


すてきな命 vol.26

2007-04-12 00:06:24 | すてきな命
 文化大革命で、大学の教員をしていた父とともに住み慣れた北京から内モンゴルに追いやられたとき、魏傑(ウェイジェ)は七歳だった。四人の妹や弟がいた。父の一回目の拷問の後、母は毒を飲んで自殺した。父は二回目の拷問で死んだ。残された魏傑は、ニワトリの卵を、弟や妹に食べさせる米と交換するために、十キロの道を毎日歩いた。自分でできる仕事は何でもした。そして、一生懸命、勉強をした。中国共産党幹部に見出され、仕事をし、さらに中国政府の仕事をするまでになった。

 出張で来日の折、日本を学ばなければと、誰もがうらやむ仕事を辞め、日本留学をした。日本語学校で学びながら、重労働で学費、百数十万をためた。高崎経済大学在学中に私と友達になった。彼は夕方六時から夜中の一時までアルバイトをし、その後、私がスタジオの引っ越しで大変な時、夜明けまで私を手伝ってくれた。そして、二時間ほど寝て学校へ行った。

 日本に住んでいる私達には考えられない努力家だ。少なくとも、今日、文化大革命を知っている中国の世代と日本の同年代では、生きぬく力に大きな差があるように思う。謙虚で努力家で誠実。彼は今、有能な人材として日本企業で働いている。
(坂口せつ子)

(高崎市民新聞2001年11月15日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」