生まれつき足に奇形があり、普通に歩けなかった私の母方のいとこ。しゃべることにも障害があったがよく家事をやっていた。母方の山形・酒田までは、何度もいくことはできないが、父亡き後、母と私の子ども三人連れて行った時のことだ。そのいとこは結婚していた。相手の男性は、小児まひのため、車椅子。片方の腕は動くが、押さえたりするだけ。もう一方の動く指で、時計の修理を身につけた人だ。
彼は、私たちに、みそ汁をよそってくれ、そして後片付けも両手でキッチンまで歩いて行き、妻の洗った食器かごを下におろしてもらい、フキンで拭いていた。時計の修理と販売をして何年も平和に暮らしていた。いつも釣りに行く酒田港へも車椅子で案内してくれた。三人の子どもたちは、その姿を見て感動していた。最近、母から時計屋を止めたことを聞いた。時計の修理販売で自立するのは難しくなったのだろうか。最近群馬で開かれた「地域支援フォーラム」というのに参加してきた。長野市で十五人のスタッフで、百五十人の在宅のハンディのある人たちと、その家族のフォローをしている福田寿さんの基調講演が痛快だった。いとこ夫婦も出来る限り地域で自立して生活を続けて行ってくれたらと思う。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2001年12月6日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
彼は、私たちに、みそ汁をよそってくれ、そして後片付けも両手でキッチンまで歩いて行き、妻の洗った食器かごを下におろしてもらい、フキンで拭いていた。時計の修理と販売をして何年も平和に暮らしていた。いつも釣りに行く酒田港へも車椅子で案内してくれた。三人の子どもたちは、その姿を見て感動していた。最近、母から時計屋を止めたことを聞いた。時計の修理販売で自立するのは難しくなったのだろうか。最近群馬で開かれた「地域支援フォーラム」というのに参加してきた。長野市で十五人のスタッフで、百五十人の在宅のハンディのある人たちと、その家族のフォローをしている福田寿さんの基調講演が痛快だった。いとこ夫婦も出来る限り地域で自立して生活を続けて行ってくれたらと思う。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2001年12月6日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」