私が二十歳、最初の子どもが産まれる月、父が嫁ぎ先の私たちの部屋の外から、まだフトンの中の私に言った。「せつ子、京子がダメみてえだ」。私は飛び起きて、窓を開けた。結婚して二人目の赤ちゃんを妊娠した姉は、お腹が痛くて三つの病院を回されたが、原因がわからず、大きな病院で、やっと子宮外妊娠とわかり、手術したら、もう破裂していて、夫の会社の男性からたくさん輸血を受けているという。その後、姉は、血精肺炎になり、体中がむくみ、顔はふくらんで、同部屋の同じ病名の人が次々亡くなっていくのを見て、不安を感じていた。
夫の会社の人が「玄米で病気を治す」という本を持ってきた。姉は医者とけんかをして退院し、家族全員が、姉のために模索した。ある時はタニシがいいと聞き、家族総出で川で採った。私はそんな家族が大好きだった。姉は肝機能の数字を気にしないようにするために、小さい時から習いたかったピアノを始めた。一日に必ず七時間以上弾いた。その後、子どもたちに教えるようになり、元気になって三十年以上、弾き続けている。
姉の衣装部屋には、ピンクと赤、白、フリルのドレスがいっぱいだ。「お姉ちゃん、もうちょっと大人っぽいものにしたら」「いいのこれで。子どもたちが喜ぶんだから」
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2002年4月4日)
せつ子は「すてきな命が輝くまちづくり」を目指しています。
せっちゃんの明るい「かきくけこ」
夫の会社の人が「玄米で病気を治す」という本を持ってきた。姉は医者とけんかをして退院し、家族全員が、姉のために模索した。ある時はタニシがいいと聞き、家族総出で川で採った。私はそんな家族が大好きだった。姉は肝機能の数字を気にしないようにするために、小さい時から習いたかったピアノを始めた。一日に必ず七時間以上弾いた。その後、子どもたちに教えるようになり、元気になって三十年以上、弾き続けている。
姉の衣装部屋には、ピンクと赤、白、フリルのドレスがいっぱいだ。「お姉ちゃん、もうちょっと大人っぽいものにしたら」「いいのこれで。子どもたちが喜ぶんだから」
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞2002年4月4日)

せっちゃんの明るい「かきくけこ」