豊田喜雄さん、八十二歳、吾妻郡長野原町川原湯温泉で「やまた旅館」を五十六年経営してきた。妻である小富士さん八十三歳の作る料理はおいしい。一ヶ月前、四百八十年の歴史ある川原湯神社が火事のため全焼してしまった。あまりのショックに膝から力が抜け、全身が震えた。この町の入り口に「八ツ場ダムに沈む川原湯温泉へようこそ」という大きな看板がある。建設省が四十九年前に、突然ここにダムを造ると一方的に告げ、町民はこぞって反対運動を続けてきた。
豊田さんも生真面目に反対運動を続けた年長者の一人だ。「もう手が震えて書けないんだよ」と言って、私に新聞の切り抜きや燃えたあとの神社の写真とともに手紙をくれる。私の宝物だ。
豊田さんは「湖底の蒼穹(そら)」という本の中で『この世去る時来るともふるさとを湖底に沈めることは許さなじ』と歌っている。もう、多くの同胞が死んでいった。自然環境の厳しいこの土地で、先祖から受け継いだ生きていくための多くの知恵といっしょに、この大地がダムの底に沈む。この事実は悲しい。川原湯を夜歩くと、ネオンの無い昭和の初期に戻ったような温泉街、暖かい人々、風や川の音、虫や鳥の声、生きている森、心洗われる。やはり悲しい。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001/5/24)
豊田さんも生真面目に反対運動を続けた年長者の一人だ。「もう手が震えて書けないんだよ」と言って、私に新聞の切り抜きや燃えたあとの神社の写真とともに手紙をくれる。私の宝物だ。
豊田さんは「湖底の蒼穹(そら)」という本の中で『この世去る時来るともふるさとを湖底に沈めることは許さなじ』と歌っている。もう、多くの同胞が死んでいった。自然環境の厳しいこの土地で、先祖から受け継いだ生きていくための多くの知恵といっしょに、この大地がダムの底に沈む。この事実は悲しい。川原湯を夜歩くと、ネオンの無い昭和の初期に戻ったような温泉街、暖かい人々、風や川の音、虫や鳥の声、生きている森、心洗われる。やはり悲しい。
(坂口せつ子)
(高崎市民新聞 2001/5/24)