パエ-リャ

木製カトラリ-

Abu Sayyaf の脅威について

2016-09-05 17:23:19 | Weblog

最初の警告はコタキナバル在住の欧米系の知り合いから数日前にもたらされた。

カナダ人が誘拐されて首を切られたと。結果的にマレ-シア領ボルネオ東部海岸一帯に赤信号が出ているので、詳細はググレと言われたが、正直ピンと来なかった。つまり、サンダカンからタワウに至る路線はやばいと彼は言う訳で、フランス大使館情報らしい。

もし、誘拐されると、そのままフィリピンのス-ル-地方に連れていかれて、アウトだと言われた。アブサヤフだと。なので、それなら、もし、ボルネオに行くならキナバル山の麓で遊んで、レンタカ-でボルネオ最北端の町、Kudat に足を延ばせば良いかもとか言ったら、とんでもない、クダットも完全赤信号で、日本大使館も赤信号を出している。安全なのはサラワクしかないと、

問題は、この辺の情報は新聞とかには出ていないことだ。数日前にダバオで大規模なテロがあった。それは日本の新聞に出たが、その直後に同じミンダナオの Cotabato で起きた、6人が殺されたテロのニュ-スは、ミンダナオ北部に住む現地人の知り合いから Whatsapp で知らされた。日本では知られていない。

ダバオ近郊に住む別の現地人情報では、実はダバオはジェンサンの可能性もあったと。誘拐された18歳のフィリピン人少年の家族が、身代金を支払えなかったので、その少年は首を切られ、デュエルテが報復に軍隊を差し向けて、逆にフィリピン軍に20人近くの死者が出ていることも、日本ではニュ-スになっていない。

地図で示してみよう。

赤い帯の部分はすべて、やばいことになっている。General Santos では一人の少年の首が切られ、結果的に20人近くの兵士が死んだ。ダバオでも爆弾テロで15人近くが殺された。コタバトでも爆弾テロで6人が殺された。すべて、過去、数日間の話で、日本のメディアにはほとんど出ていない。

長い矢印の箇所は、先月末にタクシ-でダバオからダピタンという、デュマゲテにフェリ-でわずか1時間の港町に行く時に通過しただろう場所で、ダバオのタクシ-運転士が怖がって拒否した場所だ。既に、現地人の間では衆知の事実だったのかもしれない。

実は、自分の現地人知り合いは、まさにこの場所に住んでいるので、正確な現地情報を提供してくれている。

問題は、自分の見るところ、デュマゲテにある。と言うか、そもそもの話はミンダナオの歴史にある。スペイン人がフィリピンを植民地にしたのは、良く知られているが、実はミンダナオはイスラムの支配下にあって、スペイン人も手を出せなかった経緯がある。

General Santos が良い例で、別に、サントス将軍というスペイン人の将軍がいたわけではない。今世紀初頭だと記憶しているが、北部のルソン島で飢餓が(根本的な理由は大地主の搾取だ)起きたときに、ミンダナオに飢える住民を連れて移住して、飢餓から一部の住民を救った首領のあだ名が将軍だっただけの話だ。

つまり、イギリスでケルト人が僻地に追いやられたのと同じことがイスラム系住民に起きたので、南部や出っ張り部分にイスラム系の住民が集中している。その結果、第二次大戦の直後には、これらのイスラム系住民が、北ボルネオは彼らのものだとして、占拠して局地的な戦争がオ-ストラリアを巻き込んで始まり、結局、フィリピンのイスラム側が敗北した経緯がある。

つまり、サンボアンガとかジェンサンあたりのイスラム系過激派には国境の概念はないので、カナダ人を誘拐して首をはねるのは当たり前と言える。中東の過激派とは、本来は無関係だったのだ。

で、いきなり、バングラデシュに話は飛んでしまう。日本人が殺された。学生に、しかも、ある程度裕福な地元の学生に、だ。戻って、デュマゲテ、そこはフィリピン最大の学園都市でもある。が、場所が悪い。どう考えても悪すぎる。ダピタンの港からわずか1時間で行けてしまうのだ。

デュマゲテの町の学生の中に、10人の確信的な思想を持った学生がいれば、テロや誘拐は成立してしまう。実行犯は、その半分の人数で事足りるからだ。だから、デュマゲテは既に怖いと思う。爆弾テロは起きないだろうが、多分、誘拐は大がかりな必要はないので、相当にやばいと言えるだろう。それどころか、セブだって、相当やばいかもしれない。無知、無防備が最大の原因になるのだろう。

こうなると、一体、フィリピンの何処が安全かと言う話になってしまう。メトロマニラは問題外の外だろう。素朴に考えると、レイテ島か、台湾に極近い、バシ-海峡の島かな、と思ったりする。

その一方で、本当かよ、と自問する自分を見出している。


パン切り台のデザインと試作過程 (4)

2016-09-05 11:35:30 | Weblog

現在進行中の作品がそろった画像が以下になる。

 乾燥中のクランプが付いているものも、やろうと思えば今日中に仕上げ段階に入れるが、実際には明日にずれ込むだろう。

なので、次の準備に取り掛かっている。

            
これはブナの材で、通常は3m近くの長さの1枚板を購入して使うが、もう80cm程しか残っていない。また、買いに走らなければ。で、パン切り台の試作品を見て、これでいけるのではと思い始めている。400mmx18mmx180mmだ。

ランチョンマットの事もあるので、並べてみると次のように見える。

 画像の関係で奥行きがより長く見えるが、実際には横幅より、約40mm程少ない。で、これも、こんなものなのか、と思う。厚みを10mmで押さえれば、テ-ブルに置いても、それほどの高さは感じないだろうと、まあ、変更するとすれば、横幅を450mmに取って、奥行きを340mmに抑えることかもしれないが、半端な部材が出来てしまうので、どうだろう。

市販のランチョンマットを見てみたい。ネットで調べると、330mmx430mmが平均だと出ているが、既に我が家にあるものを測ってみると250mmx350mmしかないが、普段特に不自由に感じている訳ではない。近くのモ-ルを覗いて見つけたのは400mmx450mmだったが、布製なので参考にはならない。

なので、400mmx300mmで作ろうと、試作だけれど、思う。それで良いのではないだろうか?皆で取り分ける大皿を乗せるわけでもないし、明日から試作にかかろうと思う。恐らく、100個近くの独立した穴を開ける精密作業の前に、穴の位置を確定する作業があるので、膨大な作業用になる。たった1枚のマットでの話だ。

こうなると、もう宮大工の世界に近いと思う。ちなみに、次の画像は前に加工したパン切り台だ。

我ながら感心するのは、小さいので部材の厚みも薄く加工している事だ。大したものだと思う。自分の直感的な判断を尊重する所以でもある。小さなものは耳かきサイズのスプ-ンから、大きなものは家まで、直感的な判断で作るのが自分のやり方だ。


ビサ-ヤ紀行-デュマゲテの町中からセブ、ネグロス(11)

2016-09-05 06:01:20 | Weblog

デュマゲテを出港したのは午後の4時過ぎだった。

今年の冬用の視察に立ち寄っただけだったのに、なんとなく懐かしさが残るデュマゲテの町が後方に見えている。 改めて背後の山が高いと実感した。

      

   右に見えているのはシキホ-ル島だ。                             アポ島も遠くに見える。右の陸地はネグロス島の一部だ。この時の動画が次になる。

https://youtu.be/eoMeq3Ijn-0

時速30km程度は出ていると思う。

ここで、再度セブ島から出ている高速フェリ-の話をしておいても悪くないだろう。セブのマクタン空港に着いて、そのままマクタン島のリゾ-トに滞在するとしても、片道2時間でセブの第一ピアから行けるボホ-ル島に行く人は相当数いると思われるからだ。 この画像はタグビラランで見かけた Super Cat というオペレ-タ-の高速ボ-トだが、造りは同じだ。大多数の客はセブ-ボホ-ル間の旅で500ペソを払って、エアコンの効いた非常に退屈な1階席に入る。座席指定だ。250ペソは推測だ。

(もしかしたら、ここも500ペソかもしれない。セブからボホ-ルのタグビラランまで片道2時間、更にデュマゲテまで片道2時間で、合計1000ペソ近く払うので、それからの推測でしかないが)

1000ペソ払うと、2階前方のキャビンになる、このキャビンに入るには1階席の中にある階段を昇るか、あるいは2階の暴露キャビンとの境にあるドアを通ることになる。でも、後者のドアはいつも閉じられている。

なので、このボ-トが転覆したら、1000ペソ払った乗客は助からないだろう。一番安全で、快適なのは2階後部の暴露席だ。エアコンはない。

窓に注目してほしい。黄色の枠も、緑色の枠も色付きのプラスチックの固定窓だ。つまり、開けることは出来ないので、外の景色は見えない。ひたすら騒がしいビデオを見る他、2時間の間、やることがない。

暴露席は少し、事情が違う。この画像のボ-トは後部にオ-ニングがかかっているが、通常は開け放たれている。今回は、この2階の暴露席の左右の窓がどのように運用されているのか、初めて見ることができた。途中で10分ほど雨が降ったからだ。

   この画像はオ-シャンジェットの2階の暴露キャビンの窓だ。下側の窓はプラスチックの固定で、開けることはできない。その上に巻き上げが可能なキャンバス地の布があって、10か所ほどに紐が付いていて、普通は巻き上げてあるので、風が通り、エアコンなしでも快適な2時間になる。後部は完全に開放されているので、素晴らしい、本当に素晴らしの一言だ。

で、雨が降ると、乗客がこのオ-ニングを自分たちで下すのだが、ひもが欠落していたり、長さが不十分だったりするので、うまく再巻き上げが出来ない場合が多い。

 用意の良い人は、どこにでも必ずいるものだ。

2階の暴露キャビンにやってくる人は多い。眺めがよいし、寒くないし、中には自分のキャビンに戻らないで、そのまま居ついてしまう人もいる。何故か、往復ともニワトリがいて、時々大きな声で鳴くのが理由だろう。

        

動画もある。以下だ。https://youtu.be/JDtR0MCxJaQ

タグビラランはボホ-ル島の港だ。近づいた時には未だ明るかったが、この1時間後あたりでは、既に暗くなり、オレンジ色の照明が町全体を覆っているのが遠望できた。それほど、町の規模が大きいと言えるのだろう。

              遅れがあったので、大急ぎで荷物の積み降ろしをしていたのが次の画像になる。

       

 

この先は、ひたすらセブの第一ピアに戻る2時間強の船旅なのだが、途中で今後重要だと思うことに気が付いた。

20代前半で日本からロッテルダムまで喜望峰周りの客船に乗ったことがあるので、水平線の距離は覚えている。20m位で20km以下だ。オ-シャンジェットの暴露キャビンは10m位だろうから、見えるはずの水平線はそれほど遠くない。なのに、タグビラランを出て、約1時間半以上も左側は暗黒のままだったのだ。

ちなみに、南十字星は南半球でしか見えないというのはウソだ。確か、香港あたりから見え始め、アフリカの喜望峰を回って、象の耳の辺りまで見えていた記憶がある。

左にはセブ島の南部が延々と見えているはずだった。それが見えないのだ。振り返るとタグビラランはずっと見えている。段々と小さくなるけれど、明るいオレンジ色の町は視認出来た。スマホのナビもセブが近いと言っているのに、明かりが一切みえないのだ。

つまり、結論としては、光を出す村落なり、町がセブ島の東海岸沿いのはないのだ。ネグロスが不調なら、セブの南部でも良いと漠然と考えていた。タグビラランは私に言わせれば小さな町だ。それに、右側にあるボホ-ルの西側には、そこそこに町の光が、小さくて、とても弱弱しいけれども見えている。

どんな感じか、推測はできる。4月にさんざんバイクで走り回ったからだ。すべて町でなく、田舎の商店街程度の規模だ。それでも光は発しているのに、セブ側には光がない。つまり、滞在には適さない、超過疎の地が延々と続くのがセブ島の大部分だとわかる。

あんな所にはとても滞在出来ないだろう。まともなホテルがあるとはとても思えない。人は、セブ、セブと騒ぐが、セブ島の大部分にはセブは存在しない。だから、前々から思っていた、セブ島とは実はマクタン島のことだろうとの推測が、矢張り正しかったと思う。

で、マクタンほど退屈な島もないと思う。マルタや種子島とまるで同じだ。町の明かりが見え始めたのは、セブの港に差し掛かる30分ほど前からだ。圧倒的な大きさで見え始めた。さすがに、フィリピン第二の大都市だと感じ始めていたが、ここで小さな問題に気が付き始めていた。 

この後は、マクタンへの移動と空港の話になる。それでお仕舞だ。