パエ-リャ

木製カトラリ-

テ-ブルマットのデザインと試作過程 (1)

2016-09-06 17:03:17 | Weblog

自分が好んで作るマット状のものは、パン切り台であれ、テ-ブルマットであれ、ラティス構造を基本としている。

大きな理由は、大面積の1枚板は手に入らないし、余程乾燥がしっかりしていないと、加工後にゆがみが出る、それに、加工面積が大きすぎてNC加工機でもないと加工そのものが難しいからだ。

でも、最大の理由は矢張り、何をどうやろうと、ただの板切れで、ちっとも美しさを感じないからだと思う。それに反して、夕暮れの下町で見かける千鳥格子に美しさを感じない人はいないだろう。

なので、大きな作業要素としては、

1. 製材

2. 穴あけの位置決め

3. 穴あけ

になる。

製材に関しては相当の経験があるが、製材しなければならない薄板の数を考えていて、再び、過去に何度も犯してしまった過ちを繰り返してしまった。

      この画像がそれだ。

同じ幅の材を多数切り出すなら、帯鋸の刃と、それに並行するガイド(この画像では赤の文字が描かれているアルミのLアングルだ)を使えばとの考えは、極自然なものだ。

細かな設定のやり方や、何故そうするのかと言う、技術的な背景(ドリフト)の説明は省くが、実際の運用は難しい。これは、刃に負担をかけないための知恵なのだが、実際には相当の負担がかかる。

それは、設定の不十分さよりも、むしろ運用速度の面で現れるのだ。数が多いので、速く切りたいと思えば、思うほど、その負担を帯鋸の刃が吸収することになる。今日、数時間の間に、3本の刃を破断させてしまった。

      この画像で分かるように、切断の直線度の面では素晴らしい。でも、切断速度の面では、恐らく、5cmを切断するのに、5分もかかってしまう。

なので、3回目の破断の後は、ガイドなしに目で見ながら切断し始めて、今日の製材作業を終えることにした。その結果は、これも過去に何度も経験していることだが、切断速度の向上だ。

5倍くらいの速度で切断が出来るのだ。勿論、ガイドはないので、時々理想的な直線からは逸脱してしまうのは仕方ない。でも、その位の逸脱は、プレ-ニング処理で治せるし、さらにベルトサンダ-で補足的に厚みの調整も含めて行う事が出来る。

それに、実際問題として、その位の、目視切断が出来ないようでは、修業が足りないとも言えるのだ。結果は、次の画像に示されている。

その他にも、ノウハウはある。もう、10年も朝から晩までやってきた作業なのだから。一つだけ言えば、途中に片面(だけの)プレ-ニングが入っている。直線治具を理想的に使うためだ。なので、恐らく、この時点で右側の1枚板と比べれば、恐らく数%の幅損失があると思う。

問題は、明日以降に浮上するが、一言でいえば、この1枚の板材を3分割する方法だ。2分割は、比較的容易い。今までの経験上、特別の仕掛けなしに2分割の切断は出来ている。

でも、ここである程度の幅をカバ-出来るジグを作成することは、今後のために有益と思われるので、木工作業を暫く離れて、暫らく金属加工を行ってみたい。この10年の間に、何度も、何度もやろうと思って、忙しくてやれなかった作業だ。

背景を話しておこう。木工では、特定の幅に板材を切り出したいと思う場合が絶えずある。でも、その望みは捨てなければならない。逆に、手軽に得られる幅を使って、その中で作品を作るのだ。つまり、アルミのLアングルの幅が基準になる。

だから、工房には沢山の異なる幅のLアングルがあるし、幾つかは特定の目的のためにだけ作成されたLアングルジグもある。でも、稀に、それではどうにもならない場合が出てくる。特に3分割などがそうだ。

具体的には、微調整が出来るLアングル治具をこの際、作って置きたい、非常に便利なことは経験上解っているからだ。

なので、次の記事は、この金属の治具の話がメインになるだろう。

 


ビサ-ヤ紀行-デュマゲテからマクタン、セブへ、ネグロス(12)

2016-09-06 07:10:10 | Weblog

デュマゲテを午後4時過ぎに出発したオ-シャンジェットのフェリ-が、セブの第一ピアに戻ったのは既に9時を回っていた。

そこで問題になるのは、その晩のホテルにどうやってたどり着くかと、ホテルから夜中の12時過ぎにどうやって空港まで移動するか、だった。ダバオから空路マクタンに来て、すぐに飛び乗った渡し船フェリ-は朝の6時から夜の10時まで運航しているのはわかっていたが、あまり乗り気にならなかった。

何故なら、仮に向こう岸に着いても、そこで再びトライシクルなり、タクシ-でホテルまで移動する必要があったのが、何となく面倒だったからだ。問題はホテルの位置だ。地図を示す。

このホテルは時間をかけて選んだもので、最初は悪い選択ではないと思っていた。マクタンの渡し船フェリ-まで、トライシクルならそれほど遠くないからだ。直線距離は1km弱なので、実際にはフェリ-から2kmはあるし、とても歩ける距離ではない。

熱帯では1kmを歩くのはしんどい。前にダバオの下町で小学生が学校の帰りに一人でトライシクルに乗っている何度も見かけた程だ。

ホテル近辺のパノラマが以下になる。 https://goo.gl/hhBNPC

     

中のレストランも悪くはないし、 https://goo.gl/maps/Tt49F4QrNY32 

           

外テ-ブルだって、全然悪くない。 https://goo.gl/maps/7Ad6toMZjYG2

フィリピンのホテルには何度も泊まっているが、外にテ-ブルが置いてあるのは初めてで、昼間ビ-ルでも飲むには良いかもと、着いた時に思った程だ。

ただ、設備的には部屋がとても小さかった。

でも、エアコンは十分に機能していて、素晴らしかったし、1泊2500円程度なので過不足はなかったと思う。つまり、このホテルをマクタンの渡し船フェリ-への基地として捉えていた訳だ。

食事だって、悪いとはとても思えなかった。

               

           

デュマゲテと比べれば、ほとんど半値なのだから。然も、ラザニアや、パエ-リャなど、フィリピン的でなくて、非常に好感が持てた。

問題は、このホテルで、夜中の12時にタクシ-を捕まえられるかだった。マクタンではタクシ-は24時間営業だとは4月に来た時にも確認してあったし、今回も同じことを言われたので、夜中に空港に行けないとは全然思わなかったが、捕まえてもらったタクシ-に結局、300ペソ払うことになった。

フライトは翌朝の5時50分だったので、いくら何でも、真夜中に起きてタクシ-を捕まえるなら、いっそのこと12時に行って、空港で仮眠するほうが乗り遅れの心配もないだろうとの読みだったからだ。

ところが、セブに戻ったのは既に9時を回っていたし、渡し舟フェリ-は10時が最終便だと分かっていたので、結局セブの第一ピアからタクシ-でホテルに直行することに決めて、そのためのコストは、400ペソだった。 

結局、700ペソ払ったわけで、邦貨にすると2千円位になる。だったら、空港に歩いて数分で行けるとネットでは出ている、冒頭の地図の Waterfront Airport Hotel & Casino が、確か5千円位なので、そちらを選んで置けば良かったような気もするわけだ。多分、韓国人や中国人がうざいだろうが。

直観的には、結局、ホテルに着く時間の問題だろうと思う。このホテルはマクタンの渡し船フェリ-には最適だと判断しての予約だったが、周りは特にどうということもない地域なので、今後の事を考えると、もう一度ホテルを検討する必要があるだろう。

日本からのフライトがマクタンに着くのは大抵、午後の4時頃なので、矢張り空港の近辺に泊まりたいとの思いは強い。無理をして、その日のうちにセブ側に渡れないことはない。が、あそこはゴミの町だ。なんかかんかあって、着く頃には真っ暗になるだろうから、4月がそうだった、ならば、明るいうちにマクタンのこの辺を散歩した方が余程よい。 

12時過ぎに空港へ移動する途中で エアポ-トホテルの前を通り過ぎた。

      

複雑な思いだった。で、空港での仮眠はベンチさえなく、

      大抵の人は床に直接寝ていたので、自分も躊躇なく同じようにした。バックパックを枕にして、実際に寝てしまったので、ここから先にはチェックイン時間まで入れないと言った、近くの警備員が起こしてくれたほど、問題なく快適に仮眠できたのは新鮮な驚きだった。

つまり、この場所から先には進めないのだった。フライトの2時間前にならないと。

これに先立って、改めて外国の空港は不親切だと思うことがあった。それは空港税の支払い場所が閉まっていたので、別の窓口で聞いたら、(結局)別の2か所目の窓口が少ししか離れていない、そこからは見えない場所にあったのが、日本だったら教えてくれるのが普通だが、マクタンでは違った。

別の窓口の場所を知っている、知らないの問題ではなく、自分の窓口の管轄でないことが理由だ。そもそもスマホで遊んでいる状態で、どうにもならない。国の豊かさも、そのような事に関係するとは思わない国民性なのだろう。

ビサ-ヤ紀行はこれで完結した。現在は、フィリピンとマレ-シアの治安を注視している段階で、次回はジャカルタに飛んで、アンボンに行くことを試みるか、あるいは、気乗りはしないが、ベトナムかタイ辺りにでも行ってみようかと考えている。11月位にずれ込んでしまう可能性が高い。10月は別荘でのBBQもあるし、物置の本格的な修理作業もあるからだ。

あるいは、危険はあるが、1っか月ほどダバオ郊外の村で過ごして、家のリフォ-ム作業に没頭することも考えている。