



クリーブランドでの初めてのコンサートから早1ヶ月・・
クリーブランドでは8月~10月の3号に渡って、Patrizioの記事が連載されていました。
第1号だけはこちらとこちらでご紹介しましたので、
コンサートは終わってしまいましたが、続きをご紹介しておきますね。


「The Spirit within Patrizio Buanne」
「インタビューを続けていくうちに、
Patrizioの人間性、「Il cantante(歌手)」の奥深さ、
それに加えてPatrizioのPadre Pio(ピオ神父)への敬愛、
そして母親への深い愛情を強く感じました。
続きを読んでみて、それがよくわかるから。」
(記事:Francesca V. Mignosa)


父は60年代後半、イタリアからウィーンに初めてピザをもたらした人なんだ。
でも母は我が子には父親のような暮らしを望んでいなかったと思う。
父は夜昼問わず働きづめだったからね。
僕自身は、歌が好きだったから歌手になりたいという思いもあったけど、
その頃はまだプロになるんだという強い意志はなかったんだろうな。
でも家族はみんな歌えるし、踊れるし、だから僕もいつも歌っていたんだ。
そしていつの頃からか、歌手になりたいと夢見るようになっていった。
音楽に対する定義が僕の中でだんだん変わっていったんだ。特に父が亡くなった後はね・・

この想いはいつどのようにあなたの中に芽生えたの?

僕は悲しみのあまり穿孔性の潰瘍で命を落としかけたんだ。
「どうして僕ばかりこんな目に?」・・・
僕は自分自身に問いかけ続けた。
そんな時、ある人に出会ったんだ。
ナポリ近くのTelese(テレーゼ)に住んでいた父の友人でね、
ひどい自動車事故を克服した人なんだけど、
その人は僕にPadre Pioの話をしてくれて、
生誕地Pietrelcina(ピエトレルチナ)へも連れて行ってくれたんだ。
それまで神様といえばキリストとマリアしか知らなかったから、
最初はちょっと疑問を感じたよ。
けど、ピエトレルチナでとても感銘を受けたんだ。
スピリチュアルな何かを感じ、Padre Pioを信じてみたくなった・・
一度信じてみると、これまで見えなかったものが見えてくるような気がするんだ。
まるで手をとって導びかれているようにね。
そして突然、夢が叶い始めたんだ!驚きだったよ。
ビートルズで有名なロンドンのアビーロード・スタジオでのレコーディング、
ロイヤル・フィル・ハーモニック・オーケストラとの共演、
ユニバーサル・ミュージックとの契約・・・
これまでのすべての努力が一気に報われ始めたのは、
何らかの大きな力が確かにあったんだと思う。
そして2005年2月28日、
僕のファースト・インターナショナルアルバム「The Italian」のがイギリスで発売され、
歌手としてのキャリアが本格的に始まることとなった。
アルバムはすぐチャート入りし、生まれて初めてのゴールド・ディスクを獲得したし、
南アフリカ、アジア(台湾)、ニュージーランドでは、プラチナ、ダブルプラチナ、
オーストラリアではなんとトリプルプラチナ、
そして初めての最初のコンサートツアーが実現したんだ。
シドニーのOpera House(オペラハウス)、ロンドンのApollo Theatre(アポロシアター)、
シンガポールのEsplanade(エスプラネード)・・
世界の伝統ある素晴らしい会場での6週間のツアー、
そして2年後にはついにアメリカだよ!
2006年10月に「Prestigious Niaf Gala」に招かれ、
ワシントンDCで、George W. Bush大統領の前で歌ったんだよ。
アメリカでの初めてのショウは、PBS(公共放送ネットワーク)でも放送されたおかげで、
アメリカでもレコードが売れ始めて、
翌年には6週間かけての北米横断コンサートツアーまで実現したんだ。
ワシントンのKennedy Center(ケネディセンター)、
NYのLincoln Center(リンカーンセンター)、
ピッツバーグのBenedum Center(ベネダムセンター)、
そしてChicago Theatre(シカゴシアター)・・
この4年間を振り返ってみて今言えることは、
とてもハードな日々だったけど、それ以上に素晴らしい経験をしてきたということだ。
なんといっても、ファンになってくれたたくさんの人たちに出会えた!
たくさんの人と友達になれたし、それにソフィア・ローレンにも会えたんだよ。
よく自分自身に問いかけるんだ、
「いつの間に、どんな風にして、ここまでくることができたのか・・」
世界中のたくさんの人たちの素晴らしいサポート、
そして、天からのエナジーも確かにあったはず。
これを多くの人は「幸運」というんだろうね。
人それぞれ解釈は違うにしても、いずれにせよMagicalな何かがあったことは間違いない。
これからもずっと大切にしていきたいと心から思っているよ。
そして、流行すたりの早い音楽業界だからこそ、
あくまでもクオリティを追求し、レコードを作っていくことに捧げていきたいと思う。
僕のレコードは、これからもずっとタイムレス、約束するよ!


歌手になるという夢に向かいながら、とにかく学校を卒業させることもね。
母はいつも僕と僕の夢のためにいてくれた。唯一の気がかりだったはずだよね。
ひょっとしたら・・・もし母がいなければ・・・
僕はただの「夢見る人」で終わっていたかもしれない・・








Patrizioの言う「天からのエナジー」って、
Patrizioにとってはやはりパパの力が一番でしょうネ。
いつも思うことですが、Patrizioって「心」をとても大切にする人です。
ファンの心、家族の心、周囲の心だけでなく自分の心も。
目に見えるものだけじゃなく、心が感じることを信じることは大切ですよね。
私、つくづく思うの。
人を愛すること、笑顔でいること、心の声をよく聞くこと・・
Patrizioって、音楽だけでなくいろいろな面で、
現代の私たちが忘れかけている大切なものを思い出させてくれているんだなって。
Chi si contenta gode..
