進路成績が出て、推薦入試の面接の練習や先生たちが高校に出向く入試相談が行われる12月。
中学校3年生は、受験のことで頭がいっぱいになる。
そんなとき辛いのが実技教科。進路成績が出た後から、内職を始めるのが出てくる。
同じ区の中学に勤務して3校目だけど、
この地区は勉強についてはかなり熱心で、成績についても超ナーバス。
非常勤時代に勤めていた学校では、3年の国語を担当していた若い先生に、
進路成績発表後、自分の子どもの成績がなぜこうなのか、教え方が悪いんじゃないのか、
という無記名の気持ち悪いはがきが立て続けに数枚届いたこともある。
やり方が陰険だったので、印象に残っている。
私もある親から、
「うちの子がどうして『1』なんだ。上げないと教育委員会に訴える。」
と言われたことがある。
『1』は、私は通常、授業に出ていない、提出物が何もないなどの場合のみつけることにしているが、
この場合、『1』は仕方なかったケースだった。
いくら呼びかけても反応しない、1時間ずーっと何もしないで座ったままなのだ。
他教科でもほぼ同様だったらしい。
後に、不審に思った母親がこの子を大きな病院に連れて行き、発達障害だったことが検査で判明したけど、
この時点では、母親も知らなかったので教え方の問題だと思ったようだった。
周囲の生徒は私の苦労を見てる。
その母親に、「ぜひ、授業の様子を見に来てください。」と言ったが、一度も来やしなかった。
教育委員会に訴えるでもなく、ただ文句が言いたかっただけのようだった。
話がずれてしまった。内職である。
今日の3年の授業で1人、やっちゃったのがいた。
初任あたりの頃は、仕方ないかもと見て見ぬふりをしてたこともあったけど、
ここ数年は「それはちがうじゃん!」と注意を促すようになった。
だって、中学の教育課程だしね、美術も。
だいたい、週に1時間しかない美術の時間をつぶしてまで勉強しなきゃいけないくらい余裕のないのが、
第一希望の学校に受かるわけはない。今まで見てきた生徒も、みんなそうしてたのは、落ちたよ。
っていう事実を冷厳に伝えた。そして、
今までいい関係を作ってきたと思ってた。
成績が出た途端、手のひらを返したように裏切るとは思わなかったよ、残念、と付け加えた。
これは効く。
「うーん、ごめん・・・」とその子が言った。
先生がどう思おうが関係ない、という子もいるだろうけど、
この学校の子は、そこまでワイルドではない。こういう言い方が一番いい。
美術、大事だと思う。
絵を描いたり、物を作ったり、音楽もしかり。
高校では選択になるにしても、そういうことがなぜ、中学だけで全ての人への教育が終わってしまうのだろう。
余裕のないカリカリした日本人像っていうのも、この辺りも原因の一つなんじゃない?
美しいものを楽しむ、美しい音楽に心を躍らせる。それを創造しようとする。
特別な才能のある人だけじゃなくて、
みんなが、もっと時間をかけて取り組むべきことじゃないの?
政治家さんたちって昔、絶対、美術とか音楽の先生と上手くいかなかったんじゃないのかなあとか思う。
苦手意識も強かったんじゃない?
だから、今、芸術の時間ってどんどん減らされていってるんだよねー。きっと。
その結果、中3くらいの子どもたちが、
「世の中、金さえあればなんとかなるからさー。」
とか、普通の会話で言っちゃう国になった。
子どもと接していて、答えのないものを作るときの子どもの戸惑いの大きさがハンパないことを感じる。
答えのないものにチャレンジする習慣があまりない。
美術や音楽は、答えがない。道を自分で作るものだ。
超下っ端の一教員が吠えても仕方ないかもしれないけど、
子どもたちと接する最前線で、
日本という国の大きな危機を感じてしまった。
中学校3年生は、受験のことで頭がいっぱいになる。
そんなとき辛いのが実技教科。進路成績が出た後から、内職を始めるのが出てくる。
同じ区の中学に勤務して3校目だけど、
この地区は勉強についてはかなり熱心で、成績についても超ナーバス。
非常勤時代に勤めていた学校では、3年の国語を担当していた若い先生に、
進路成績発表後、自分の子どもの成績がなぜこうなのか、教え方が悪いんじゃないのか、
という無記名の気持ち悪いはがきが立て続けに数枚届いたこともある。
やり方が陰険だったので、印象に残っている。
私もある親から、
「うちの子がどうして『1』なんだ。上げないと教育委員会に訴える。」
と言われたことがある。
『1』は、私は通常、授業に出ていない、提出物が何もないなどの場合のみつけることにしているが、
この場合、『1』は仕方なかったケースだった。
いくら呼びかけても反応しない、1時間ずーっと何もしないで座ったままなのだ。
他教科でもほぼ同様だったらしい。
後に、不審に思った母親がこの子を大きな病院に連れて行き、発達障害だったことが検査で判明したけど、
この時点では、母親も知らなかったので教え方の問題だと思ったようだった。
周囲の生徒は私の苦労を見てる。
その母親に、「ぜひ、授業の様子を見に来てください。」と言ったが、一度も来やしなかった。
教育委員会に訴えるでもなく、ただ文句が言いたかっただけのようだった。
話がずれてしまった。内職である。
今日の3年の授業で1人、やっちゃったのがいた。
初任あたりの頃は、仕方ないかもと見て見ぬふりをしてたこともあったけど、
ここ数年は「それはちがうじゃん!」と注意を促すようになった。
だって、中学の教育課程だしね、美術も。
だいたい、週に1時間しかない美術の時間をつぶしてまで勉強しなきゃいけないくらい余裕のないのが、
第一希望の学校に受かるわけはない。今まで見てきた生徒も、みんなそうしてたのは、落ちたよ。
っていう事実を冷厳に伝えた。そして、
今までいい関係を作ってきたと思ってた。
成績が出た途端、手のひらを返したように裏切るとは思わなかったよ、残念、と付け加えた。
これは効く。
「うーん、ごめん・・・」とその子が言った。
先生がどう思おうが関係ない、という子もいるだろうけど、
この学校の子は、そこまでワイルドではない。こういう言い方が一番いい。
美術、大事だと思う。
絵を描いたり、物を作ったり、音楽もしかり。
高校では選択になるにしても、そういうことがなぜ、中学だけで全ての人への教育が終わってしまうのだろう。
余裕のないカリカリした日本人像っていうのも、この辺りも原因の一つなんじゃない?
美しいものを楽しむ、美しい音楽に心を躍らせる。それを創造しようとする。
特別な才能のある人だけじゃなくて、
みんなが、もっと時間をかけて取り組むべきことじゃないの?
政治家さんたちって昔、絶対、美術とか音楽の先生と上手くいかなかったんじゃないのかなあとか思う。
苦手意識も強かったんじゃない?
だから、今、芸術の時間ってどんどん減らされていってるんだよねー。きっと。
その結果、中3くらいの子どもたちが、
「世の中、金さえあればなんとかなるからさー。」
とか、普通の会話で言っちゃう国になった。
子どもと接していて、答えのないものを作るときの子どもの戸惑いの大きさがハンパないことを感じる。
答えのないものにチャレンジする習慣があまりない。
美術や音楽は、答えがない。道を自分で作るものだ。
超下っ端の一教員が吠えても仕方ないかもしれないけど、
子どもたちと接する最前線で、
日本という国の大きな危機を感じてしまった。
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